2020/03/09

熊谷晋一郎(編) (2019) 『当事者研究をはじめよう』金剛出版



以下は、『当事者研究をはじめよう』から私なりに学んだことをまとめたお勉強ノートです。まとめは「当事者研究」、「社会的関係性」、「身体」の3点についてです。

とはいえ、まとめはとても恣意的なものですから、この本にご興味をもたれた方はぜひご自身で本書を手にとってください。なお、以下は敬称略となっていることをお許しください。


A 当事者研究について

A1 グループ当事者研究・2人当事者研究・1人当事者研究

当事者研究の「当事者」とは単数形なのか複数形なのかというのは以前私が抱いていた疑問でした。向谷地生良先生に直接お会いする機会があった時にそれをお尋ねしたところ「複数形です」との即答をいただきました。

ある問題を抱えている当事者は狭い意味での当事者で、これは1人であることがほとんどでしょう。しかし、「当事者」には広い意味もあり、それは狭い意味での当事者と共に当事者研究を行う人々も含まれます。ですから当事者は複数というわけです。(私は、二義性を避けるため、狭い意味での当事者を「第1当事者」、広い意味での当事者を「研究当事者」と呼ぶことも可能ではないかと思っています)。

伊藤知之(「当事者研究の公開」(123-127ページ))は、グループ当事者研究・2人当事者研究・1人当事者研究という用語を導入しています。

当事者研究の典型例は、グループで行う「グループ当事者研究」でしょうが、それを2人で対話的に行う「2人当事者研究」もあります。これらの複数人での当事者研究で学んだことをもとに第1当事者が、日頃から気づいたことをノートなどに書くことは「1人当事者研究」となります(123-124ページ)。

「グループ当事者研究」、「2人当事者研究」、「1人当事者研究」(および「第1当事者」、「研究当事者」)という名称は便利な区分なので私も今後使ってゆきたいと思います。


A2 当事者研究ワークシート

綾屋紗月が「当事者研究を体験しよう!」(88-105ページ)と「付録」(196-203ページ)で示しているのが、特に2人当事者研究で有効に思える「当事者研究ワークシート」です(注)。ここに示されているのは2019年度版であり、決定版というわけではありません。当事者研究を行うものがそれぞれに変更することも認められています。

2人当事者研究では、まず第1当事者と研究当事者の2人がそれぞれにワークシートを記入し、次にそれを交換して互いの話を聞き取り合います。(93ページ)

私見ですが、これは2人の当事者の間に、権威や権力の大きな差がある時に効果的であるように思えます。専門家といった権威・権力を抱いた人は、どうしても上から目線で一方的に助言をしてしまうからです。

専門家もワークシートで自分を(簡単に)当事者研究し、自分の弱さや問題を認め、そしてそれを第1当事者に示すことによって、専門家も少しは第1当事者の語りを謙虚に聞くことができるのではないかと思います。また第1当事者も、研究当事者(専門家)も弱さや問題を抱えた人間であり、傷つきやすく完璧でないという意味でお互い対等であるということを認識できるのは重要ではないでしょうか。

ワークシートはもちろん2人当事者研究以外でも使えます。たとえばメンバーが4人いれば4人一組でワークシートを交換することもできます。特に権威・権力の点で問題がないなら、第1当事者だけがワークシートを記入した後、それをグループ全体で共有することもできるでしょう。(93ページ)

これまた私的見解ですが、このワークシートは、自己観察と二次観察を促進する工夫だと解釈できます。

自らが経験したことを改めて書いて表現することにより、当事者は、自分を、「経験した自分」、「経験を記述する自分」、「経験記述を読む自分」の3つに分化できると考えられるからです。

経験を書き出さないと当事者は「経験した自分」の中に囚われてしまい、何がなんだか整理できない状態に留まるかもしれません。そこに「経験を記述する自分」を導入することにより、自己観察が始まります。記述した後は、「経験記述を読む自分」により改めて落ち着いて自分の経験と記述を観察すること(つまりは二次観察)することができます。

以下は、教師の省察について以前に書いた拙論の一部ですが、ここでは「経験した自分」、「経験を記述する自分」、「経験記述を読む自分」を、それぞれ「実践者」、「記述者」、「読者」として表現しています。

また、書くことは「対話」である、というメタファーを四人とも使ったことは興味深い。 (中略)
もちろん書くことは一人で行う行為であるから、この「対話」は、分化された複数の自己の間での対話である。自らの実践を書く場合、教師は、選択的な想起を行う中で、教室の中で実践していた「実践者」を自己から分出する。その分出は同時に、その実践を文章化するという「記述者」という自己も分出する。さらに、文章化は時間のかかる行為であり、教師は書く最中から自らの文章を読み始め、書きながらも文章を修正・編集し、時を置いて読み返すので、この過程で自己からさらに「読者」が分出する。つまり、実践の文章化で、教師は、「実践者」、「記述者」、「読者」の三者を分出し、自己は三つに分化する。(100ページ)

引用文献
樫葉 みつ子, 大塚 謙二, 坂本 南美, 柳瀬 陽介
「英語教師が自らの実践を書くということ (2) : 中高英語教師が自らの実践を公刊することについて」
『中国地区英語教育学会研究紀要』(2014年44巻 p.97-106)
https://doi.org/10.18983/casele.44.0_97
関連論文
柳瀬陽介
「言語教師志望者による自己観察・記述の二次的観察・記述」
『中国地区英語教育学会研究紀要』(2012年42巻 p.51-60)
 https://doi.org/10.18983/casele.42.0_51

自分の経験を書き出すことは必ずしも容易なことではありませんが、ワークシートの枠組みによって、当事者は、自己観察とその二次観察をうまく進められるのではないかと思います。

(注)
当事者研究ワークシートの主な項目は
1 研究テーマ
2 苦労のエピソード
3 苦労のパターン
4 苦労の年表
5 個人的要因/社会的要因
6 仲間のコメント
7 実験計画
8 実験報告
となっています。



B 社会的関係性

B1 対等性・安心感・平場感

当事者研究では、支配関係や上下関係を作らないことが決定的に大切であることを複数の論者が述べています。

上岡陽江+ゆき(「ダルク女性ハウスの当事者研究」(14-26ページ))は、「役割分担で大切なのは、絶対にメンバー間に上下関係をつくらないこと。支配関係と上下関係のあるところに回復なんてありえない」(21ページ)と、当事者研究における対等な関係性の重要性を説きます。

綾屋紗月(「当事者研究を体験しよう!」(88-105ページ))は、研究当事者のコメントが、どうしても上から目線のアドバイスになりがちであり、第1当事者は「攻撃された」と思ってしまうことを指摘しています。綾屋の助言は、研究当事者が「アドバイスではなく、自分個人の経験を書く」ことですが、大切なのは当事者研究では皆が「安心感」を得ることとまとめることができるでしょう。(99ページ)

綾屋紗月・熊谷晋一郎・上岡陽江(「当事者研究ワークシート実践報告①」(106-116ページ)でも、「安全な場づくり」が強調されます。その関連で、ファシリテーターが自分の不安や緊張を言語化するにせよ、それはその言語化が場の安全性や参加者のためになるかを精査したうえでなければならないとも述べています。(111ページ)。

さらに綾屋・熊谷・上岡は、「先輩と後輩、当事者スタッフと利用者など、自助グループ内でも発生することがある固定化された上下関係を、対等に戻す効果」として「平場感」(112ページ)という用語も使っています。

支配関係や上下関係から逃れるために、対等性・安心感・平場感が重要だというのがこれらの報告者が力説しているところです。


B2 「主体性」の問い直し

油田優衣(「強迫的・排他的な理想としての<強い障害者像>」(27-40ページ)は、脊髄性筋萎縮症の当事者として、日常生活の多くの側面で介助者を必要としています。現在は10人以上の介助者と接しています。彼女は、介助者が変わることにより自分の欲求が変わることに戸惑いを覚えます。

介助者がAさんであったはずのところ、急にBさんが来たなら、それまで覚えていなかった欲求が湧いてくることを彼女は経験します。そのことにより彼女は、それまでの信念を揺さぶられます。彼女のこれまでの「当然」は、「「自分」というものが「確固たる個」として存在し、「自分のやりたいこと」は、自分の純粋な欲望として自分の中に存在する」、というものでした。この背景には「障害者の自立生活というものは、障害者の主体性の下に行われるべきものであって、介助者に影響されてはならない」という信条がありました(32ページ)。

関連記事
B・ラトゥール著、伊藤嘉高訳 (2019)『社会的なものを組み直す』法政大学出版局、Bruno Latour (2005) “Reassembling the social” OUP
https://yanase-yosuke.blogspot.com/2019/08/b-2019bruno-latour-2005-reassembling.html
國分功一郎 (2017) 『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/2017.html


こういった戸惑いを経た油田は、当事者研究を「<強い主体>というイメージに支えられた近代的主体の脱構築の実践」ととしてとらえます。浦河の当事者研究では、当事者を「自分のことは、自分が"わかりにくい"ことを知っている人」として、「自分のことは自分だけで決めない」ことを当事者性の原則としているからです。(35ページ)

「主体性」を、社会的関係から孤立した(虚構的な)「個人」に帰属させることについては注意が必要です。もちろんこれは「コミュニケーション能力」といった概念についても当てはまることです。



C 身体

C1 身体感覚の確認

過酷な問題に苦しむ当事者は、しばしば自分の感情や身体に対する感覚を閉ざすことで自分を守ります。ゆき(上岡陽江+ゆき「ダルク女性ハウスの当事者研究」(14-26ページ))は、母親の自殺を知った時の自分を「そもそも自分の感情というものがよくわかっていなかったし、身体にチェックインできていなくて、どこか別次元にいるようだった」と述懐しています。(14ページ)

上のようは事態はかなり深刻なものですが、通常の当事者研究でも「身体感覚の確認」や「疲労の確認」は重要だと綾屋は報告します(綾屋紗月「当事者研究を体験しよう!」(88-105ページ))。抑圧された状態に慣れきった人は、身体からのメッセージを無視して、社会的に無難な発言・無難な発言だけをしがちです。しかしそれは問題を回避するだけのことですから、当事者研究では、「身体感覚の確認」や「疲労の確認」を重視します。

身体からのメッセージは、従来、話題としては積極的には取り上げない雰囲気も時にあります。しかし例えば英語話者が日常的に使う "How are you?" にしても、そういった問いは、「あなたの身体、つまりはあなたの感情と思考と記憶を生み出す根源は、今、どのような状態であるのか?」という問いとして重視されるべきでしょう。身体の異和感こそは、何かがおかしいことを原初的な形で私たちの意識に伝えているからです。


C2 異和感の対自

記憶を飛ばしでもしないとやっていけないような辛い経験をした当事者が自己分析を進めることは容易なことではありません。そのような人が自己分析を始める際にきっかけとなるのが、「感情と身体感覚が入り混じって、なぜそのようなものが押し寄せているのかさえわからない「異和感」に注目」(134ページ)することです。(上岡陽江・宮本眞巳・熊谷晋一郎「専門家からアドバイスを受ける「正しい」方法」(130-136ページ)。

上岡・宮本・熊谷は、対人関係場面で相手の言動がきっかけとなり生じた異和感について振り返ることを「異和感の対自化」と呼んでいます。

その第1段階は「異和感の察知、注目、識別」で、感覚に気づきそれを感情語で描写することです。第2段階は「異和感の理解」で、異和感が生じた理由などの理解を深めます。第3段階は「異和感の対自化がもたらした影響の確認」で、気づきと理解により、異和感がどのように変化したかを検証することです。この気づき・理解・検証を自覚的に行うことで、自己分析が多少は可能になるのではないかというのが3人の見解です。(上岡・宮本・熊谷 136ページ)



以上、この本を、

A 当事者研究について
 A1 グループ当事者研究・2人当事者研究・1人当事者研究
 A2 当事者研究ワークシート
B 社会的関係性
 B1 対等性・安心感・平場感
 B2 「主体性」の問い直し
C 身体
 C1 身体感覚の確認
 C2 異和感の対自化

という3観点6項目でまとめてみました。

ですが、もちろん、この本には他にもたくさん重要なことが書かれています。気になる方はぜひご自身でご一読ください。







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