2020/04/06

臨時休講中の受講生(新入生)の皆さんへ:現代社会で学ぶことの意義



[この記事は、柳瀬の担当する英語クラスでの授業開始前の準備的配布資料として作成したものです(2020/4/9に若干の加筆修正)。本日現在、京都大学国際高等教育院は、COVID-19感染拡大防止のため、5月6日までの授業を全面休講する予定です。]


新入生の皆さん、はじめまして。国際高等教育院で英語を担当しています柳瀬と申します。国際高等教育院からの指示に基づき、皆さんの英語クラス(ライティング-リスニング)を担当する教員として、授業開始前にこのメッセージを送っています。

皆さんが今読んでいるこのブログは、柳瀬が教育・研究目的のために個人的運営している媒体です。以下の文章では、随時、このブログでの関連する記事も紹介します。私は、皆さんの学習意欲を維持し高めることを狙ってこれらを示します。私としては、この記事が、皆さんが大学で学ぶ目的を明らかにするきっかけの1つになってもらえればと思っています。


*****

現代社会で学ぶことの意義
--VUCA, Adaptive Challenge, 4Cs, Societyの視点から--


今回のCOVID-19感染拡大のため、一種の休みのような時間をもらっている皆さんは今、どのようなことを考えているでしょうか。この文章では、現状を理解するために有益と私が考える4つの英語フレーズを紹介し、大学で学ぶ意義について一緒に考えたいと思います。4つのフレーズは、VUCA,  Technical Problems and Adaptive Challenges, 4Cs,そして“There really is such a thing as society”です。


(1) VUCA

"VUCA"とは、現代社会を描写する4つの語である "Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity" の頭文字をまとめたものです。私はこの用語を 伊藤・ハウ (2017) で知りました。

関連記事
伊藤穰一、ジェフ・ハウ著、山形浩生訳 (2017) 『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』早川書房
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/01/2017-9.html

Volatility(激変性)とは、世界の状況が急転することを指します。皆さんもセンター試験を受けている時に、皆さんの春がこのようになることは予想していなかったでしょう。

ですから現代社会はUncertainty(不確実性)に苛まされる社会です。現在のコロナ感染拡大で各国・各地方の政治的リーダーや専門家がさまざまな対応をしていますが、誰も確実な未来予測をすることができません。

このように世界が激変し、私たちは不確実性に対応しなければならないのはなぜかといえば、それは現代社会がComplexity(複合性)の高い社会だからです。複合性とはもともとはシステム理論の用語ですが、ここでは「あるシステムにおいて、あまりに多数の要素がお互いにつながり相互に影響を与えているので、誰もそのシステムがどのように変化するかを正確に予測できない状態」と定義しておきます。現代社会は、進行するグローバリゼーションで世界各地のさまざまな活動が多種多様な様式で結びついています。ですからウィルス感染の波及効果も人々の想像以上に多種多様に及びます。複合性の高い状況では、狭く限定された分野での正確な知識を誇る科学者・専門家も、明確なことが言えません。
参考記事:2020/04/09追加
In the Fog of Coronavirus, There Are No Experts
https://www.nytimes.com/2020/04/07/opinion/coronavirus-science-experts.html
用語の最後はAmbiguity(多義性)です。これは、1つの事柄が正しいとも間違いとも決めつけられないことを指します。例えば、疫学の専門家が都市封鎖(ロックダウン)を主張するとしましょう。感染拡大防止のためには正しいかもしれませんが、それに伴う経済的損失(失業や倒産など)を考えると、都市封鎖を即時に実行することに躊躇する人は多いでしょう。また、この記事を執筆時点(4月6日)で日本でも「緊急事態宣言」が出るかもしれないとのニュースが流れていますが、そのような宣言が民主主義の根幹を蝕み、国家が独裁主義化しかねない諸刃の刃であることは、歴史が教える通りですし、また現在でも懸念されていることです。
参考記事
The New York Times: Hungary’s Leader Grabbed Powers to Fight the Virus. Some Fear Other Motives.
https://www.nytimes.com/2020/04/05/world/europe/victor-orban-coronavirus.html
皆さんが生きるこれからの社会は、このVUCAの傾向がますます高まるかと私は考えています(もちろん、この予測はVUCAのメッセージを否定する矛盾にみちたものですが(苦笑))。

皆さんの高校までの学びは、volatileでない状態を前提とし、正解が必ずあるという意味でuncertainではなかったといえるでしょう。多様な条件は捨象した理想的条件で問題を考える点でcomplexではなく、正解は正解、不正解は不正解という意味でambiguousでもなかったでしょう。しかし現代社会がVUCAであるとしたら、皆さんにもVUCAに対応する力が必要となります。しかし、現代人の多くは、VUCAのための考え方が得意ではないという意見もあります。次項ではそのことについて考えましょう。


(2) Technical Problems and Adaptive Challenges

Technical problems(技術的問題)と adaptive challenges (適応課題)の区別は、ハーバード卒業生の「最も影響を受けた授業」の講師に選出されたこともある著者によって書かれた以下の著書から私は学びました。
関連図書:
ハイフェッツ、リンスキー著、野津智子訳 (2018) 『最前線のリーダーシップ』英治出版
http://www.eijipress.co.jp/book/book.php?epcode=2256
Technical problemsとは、私たちにとっておなじみのものです。「現在はAという状態にあるが、本来はZという状態になければならない。そのためにはA => B => C => D ... という手続きを取りZに到達して問題を解決せよ」という思考法です。特定の方法を取れば問題は解決する(Zに到達する)というのは過去の事例からわかっています。問題を抱えた当事者がしなければならないのは、この方法を知り、目前の事例に適用することだけです。それだけで問題は確実に解決するはずです。

しかし世の中に起こる出来事は、techinical problemsだけではなく、adaptive challengesもあると上記書の著者は述べます。

Adaptive challengesとは、過去の成功方程式では解決できない挑戦であり、問題解決をする当事者自身も変わる必要がある課題です。当事者には、これまでの成功体験だけでなく、価値観や自己認識などの信念、はてはこれまでの制度や規則までも廃棄して変えることがしばしば求められます。

現在、大学関係者もこのadaptive challengeに対応しようとしています。できることなら通常のような形態で授業を行い、皆さんの学習権を保障したいところです。しかしそうはできないことは周知の通りで、対面授業が当たり前のクラスにもオンライン教育を導入しなければならないかもしれません。

しかしオンライン教育については、これまで規制がかけられていました。一定以上のオンライン授業は単位認定ができませんし、著作権付き資料をオンラインで共有することに関しても法的な規制があります。大学教師はこれまでの考え方を変え、行政関係者はこれまでの制度を(一時的にとはいえ)変更し、今回の事態に対応しなければならないようです。それとも更に考えを変えて、大学授業を続けるべきという前提すら疑うべきでしょうか?現在、何をするのが正解かを知っている大学関係者は一人もいません。

このようにadaptive challengesには予め定められた正解がありません。しかし、このようなadaptive challengesをtechnical problemsとして認識している人も実は少なくありません。この非常事態に組織人として何か行動を求められても、「最終ゴールは何なのか教えてほしい」、「具体的にどのように対応すればいいのか指示してほしい」と望む人も多いでしょう。さきほどのFrom A to Zの言い方を借りるなら「最終ゴールであるZをきちんと定義してほしい」、「対応する手順としてのB, C, D, E...を示してほしい」といった要求です。

しかし現状で言えるのは次のようなことでしょう--「この新たな事態でZを一義的に定義することは誰もできない。私たちは最善を尽くして、何をZとするべきかを決めてゆかねばならない」、「手順は、B, C, D, E...のように体系的には示せない。どの段階でも、私たちは与えられた条件の中で次の一手を創造しなければならない」--。私たちは、「問題解決とは、きれいに定義された問題を、その効果が証明された方法を適用することによって解決することである」という私たちtechnical problems的な認識を一時保留し、「この事態に対応するために、すべてを変える準備をしておかねばならない」というadaptive challenges的な認識ももてるようにしなければなりません。

もちろん正解がないからといって、何をやってもいいというわけではありません。私たちはadaptive challengesにおいて、実は何が大切で何が大切ではなかったのかという価値判断をしなければなりません。と同時に、急速に行動を変えることができる対応力も必要ですから、adaptive challngesは容易な課題ではありません。

Adaptive challengesに伴うこの変化は、選択圧・淘汰圧を受けての進化のようだというアナロジーを使うことも可能かもしれません。社会のさまざまな機関や人々が、この環境激変を生き残れるように進化できるかを試されているというわけです。

人間以外の動物でしたら、進化は世代を経て遺伝的に行うしかありません。しかし人間は文化をもち、言語や数字などの記号でコミュニケーションを行うことができますから、人間以外の動物では考えられないスピードで行動変容を社会的に行うことができます。
参考記事
ジョセフ・ヘンリック著、今西康子訳 (2019) 『文化がヒトを進化させた』白楊社、Joseph Henrich (2016) The secret of our success. New Jersey: Princeton University Press
https://yanase-yosuke.blogspot.com/2019/08/2019-joseph-henrich-2016-secret-of-our.html
実際、今朝読んだ記事にすぎませんが、イギリスでは10年かかるような医療のIT化が1週間で起こっているとも伝えられています。
参考記事:
The New York Times: Telemedicine Arrives in the U.K.: ‘10 Years of Change in One Week’
https://www.nytimes.com/2020/04/04/world/europe/telemedicine-uk-coronavirus.html
もう少し大きな文脈で考えますと、今回のCOVID-19は人類が直面する地球的課題の1つに過ぎません。これまで再三の科学者からの警告にもかかわらず人類が十分に対応できていない気候変動に対して、私たちはいよいよ真剣に向き合わなければならないという論説も今や説得力をもっています。
参考記事
The New York Times: What the Coronavirus Means for Climate Change
https://www.nytimes.com/2020/03/27/opinion/sunday/coronavirus-climate-change.html
「ピンチはチャンス」ということばもよく聴きますが、私たちはこの一大事を新たな人類的な学びの機会とすることも不可能ではありません(もちろん不幸なことにお亡くなりになった方々への追悼を十分に行った後ですが)。

大きな文脈ということでいえば、人類はこのような危機をこれまでも経験してきました。歴史に学ぶことの重要性も今や明らかです。
推奨記事
藤原辰史:パンデミックを生きる指針:歴史研究のアプローチ
https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic
グローバル化した現在、全世界的な感染症の流行はこのCOVID-19が初めてでも最後でもありません。上に簡単に述べたように気候変動の影響も、これからますます大きくなるでしょう。また日本は地震国です。近年の記憶に残っているだけでも阪神淡路大震災や東日本大震災などがあります。これらの災難・災害が同時に来ないという保障はありません。

皆さんは大学でこのような状況(VUCAゆえにadaptive challengesが引き続き姿を現す事態)での対応力をつけるにはどうしたらいいでしょうか?

繰り返しますが、大学教師とて正解を知っているわけではありません。対応方法は、大きく言えば私たちが人類規模でコミュニケーションをして、協働し、コンピュータを駆使しながら、創造してゆくしかないでしょう。次項ではその4Csについて考えてゆきましょう。


(3) 4Cs: Communication, Collaboration, Creation, and Coding

4Csとは、Communication, Collaboration, Creation, Codingの略で、3Rs(Reading, wRiting, aRithmetic) に代わる21世紀の教育の柱だと言われています。(フリードマン 2018)
参考記事:
トマス・フリードマン著、伏見威蕃訳 (2018) 『遅刻してくれてありがとう』 日本経済新聞出版社
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/09/httpha2.html
私が担当する英語は、この4Csを人類規模で行う場合のもっとも有効な言語の1つです(英語さえできればいいと言っているのではありませんが、その話についてはここでは割愛します)。英語を通じてのcommunicationで、私たちはさまざまな人々とのcollaborationを可能にすることができます。自らプログラムを書く (coding) とまではいかないにせよICT (Information Communication Technology) を駆使して、communicationとcollaborationを促進しながら、新しいものをcreationしてゆくわけです。英語はしばしばこれらの4Csに通底する言語です。

みなさんは、受験英語では優秀な成績を収めたと思います。しかし、実際に、英語でコミュニケーションをとり協働することができるでしょうか。コミュニケーションや協働といっても、実社会でのそれらは、学校の教室のそれらと異なり、必ずしも簡単なものではありません。コミュニケーションの相手は多くの場合利害を異にし、前提とする文化も異にします。協働も、adaptive challengesにおいては、予め筋道がたてられたものではないことも前に述べた通りです。そういったコミュニケーションと協働の中では、人類が共通に理解するであろう情理--感情と論理--を尽くすしかありません。

私の授業では主にライティングを行います。ライティングといっても学術的ライティング (academic writing) で、複雑な事柄を簡潔に伝えることを目指します。多くの人にすぐにわかるように情理を説くライティングと言い換えることもできるでしょう。

実際、私も一人の組織人として特に3月下旬から、多くの英語文書を作成しています。大学から出た日本語の文書をわかりやすく英語に翻訳したり英語で要約したりする仕事です。この仕事を通じて、改めて「わかりやすい文書とはどのようなものか」や「日本語と英語の特徴の違いは何か」といったことを学んでいます。授業では、そのようなことも伝えたいと思っています。

「学術的ライティング」といえば、「研究職を目指すわけでもない私には関係ない」と短絡する人もいるかもしれません。しかしこの授業で学ぶ力は、研究職に限らず、複雑な事柄を明快に伝えなければならない近代的な仕事のすべてで重要な技能であると考えています。職場でメールや企画書を書く際にも、あるいは口頭でプレゼンテーションを行う際にも、学術的ライティングで学ぶことは役立ちます。私と皆さんのお付き合いは半年に過ぎませんが、その半年をできるだけ充実したものにしたいと心から思っています。



(4) “There really is such a thing as society”

最後にあげることばは、最近英国首相のボリス・ジョンソンが述べたことばです。
参考記事:
The Guardian: There is such a thing as society, says Boris Johnson from bunker
https://www.theguardian.com/politics/2020/mar/29/20000-nhs-staff-return-to-service-johnson-says-from-coronavirus-isolation
“There really is such a thing as society” (社会というものは確かに存在する)という彼の発言は、昔日の英国首相Margaret Thatcherが1987年に言ったと言われる "There's no such thing as society."という発言を受けてのものです。
参考記事:
Margaret Thatcher: a life in quotes
https://www.theguardian.com/politics/2013/apr/08/margaret-thatcher-quotes
このサッチャーの発言は、80年代に急速に影響力を増し、現代の日本でも一種の「常識」として問題視されることさえ少なくなった新自由主義の精神を代表する発言でしょう。
参考記事
デヴィッド・ハーヴェイ(著)、渡辺治(監訳)、森田成也・木下ちがや・大屋定晴・中村好孝(翻訳)『新自由主義』作品社
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2013/05/blog-post.html
新自由主義とは、公共的な活動を次々に民営化する動きで、同時に個人の責任を強く求める思想とまとめられるかともと思います。もちろん、この思想が隆盛を極めたのにはそれなりの必然性があったはずです。しかし、最近はその行き過ぎを批判することも多いことも事実です。
関連記事
バウマン『個人化社会』 Zygmunt Bauman (2001) The individualized society
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2019/03/zygmunt-bauman-2001-individualized.html
上では「民営化」という用語を使いましたが、その英語は "privatization" です。医療や福祉や教育、あるいは電気や水道といった、すべての人々が必要とする営みを、public(公共的なもの)からprivate(特定の人々だけに閉ざされたもの)にすることは、公共的な営みを特定の人々の私利のためのビジネスに変えてしまいかねない危険性をはらみます。特定の人々だけが強者になることが新自由主義では起こりえます。

しかし今回のCOVID-19で明らかになったことの1つは、宮沢賢治が言った「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」ということではないでしょうか。
参考記事
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html
経済格差が激しくすべての国民が医療サービスを十分に受けられない国--ご承知のように米国はその好例です--では、ウィルス感染してしまう人が増えてしまいます。それは巡り巡って「富める人々」にも伝染してゆくでしょう。

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が言うように、ウィルスは人間という宿主の中で変異を起こします。その変異の中で、感染力が強い変異株ができれば、それはまた新たな感染の波を引き起こし、新たな脅威となります。
参考記事
ユヴァル・ノア・ハラリ「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」
http://web.kawade.co.jp/bungei/3455/
Yuval Noa Harari: In the Battle Against Coronavirus, Humanity Lacks Leadership.
https://time.com/5803225/yuval-noah-harari-coronavirus-humanity-leadership/
医療サービスが貧困な地域や国を他人事として放置していたら、それらの地域・国で発生するCOVID-19の変異株あるいは新種のウィルスは、やがて豊かな地域・国にも伝播するでしょう。冷たい言い方になりますが、弱者に手を差し伸べることは、強者にとって道徳的な意義だけでなく、功利的な効果ももつのです。

私たち人間は、個人的存在であると同時に社会的存在です。どんな人間も社会を離れて生きることは、事実上ほとんど不可能です。そしてグローバル化で密接に結びついたこの世界における「社会」とは国境などで境界づけられるものではありません。「社会」とは、communicationとcollaborationがおよびうる全ての範囲に及びます。つまり現代において、社会とは世界社会です。
N.ルーマン著、馬場靖雄・赤堀三郎・菅原謙・高橋徹訳 (2009) 『社会の社会 1』法政大学出版局
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/06/n-2009-1.html
あるいは社会的であることとは、つながること (to associate)とも言えます。
B・ラトゥール著、伊藤嘉高訳 (2019)『社会的なものを組み直す』法政大学出版局、Bruno Latour (2005) “Reassembling the social” OUP
https://yanase-yosuke.blogspot.com/2019/08/b-2019bruno-latour-2005-reassembling.html
私たちは、COVID-19で改めて明らかになった「弱者を切り離して強者だけが富むことはできない」という命題を前にしても、やはり弱い者・苦しむ者を切り捨てることを選ぶのでしょうか。それとも生誕の際の単なる偶然で大きな格差をつけられた人々も、共に同胞として手を差し伸べて共生することを選ぶのでしょうか。

以下の動画は、3月19日の時点で国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏が、全世界の市民--特に富める国や地域に住む市民--に訴えかけているものです。パニック映画のシーンではなく、現時点で実際に訴えられているメッセージです。皆さんも一度御覧ください。




以上、この記事では、VUCA (Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity),  Technical Problems and Adaptive Challenges, 4Cs (Communication, Collaboration, Creation, Coding),そして“There really is such a thing as society”という4つのことばを柱にして、私なりに現状を総括し、皆さんが自分自身で大学で学ぶ意義を考えてもらうことを目指しました。

VUCAへの対応力は、正解が予め決まっている学びとは明らかに違います。Adaptive Challengesは自分に向き合い、自分を変える勇気と知恵も求めます。4Csは単なる言語知識の多さだけで達成できるものではなく、自らとは異なるものと共生することを要求します。Societyとは存在するというより、人間にとって不可欠なもので、それは今や世界規模で広がっているものでした。あるいは私たちの言動でより包括的にできるものでした。そしてそのような社会の結びつきこそが個々人の幸福をもたらすのではないかとも説きました。

このような社会状況を受けて、皆さんは大学でどのように学びたいですか?よかったら皆さんの意見を聞かせてください。





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