2020/06/07

オンデマンド配信シンポジウム:「学校英語教育は言語教育たりえているのか―意味の身体性と社会性からの考察―」



この度、非対面式で開催される関西英語教育学会の2020年度(第25回)研究大会で、オンデマンド配信でシンポジウムを開催することになりました。



シンポジウム

学校英語教育は言語教育たりえているのか
―意味の身体性と社会性からの考察―
 
登壇者:柳瀬陽介(京都大学)・長嶺寿宣(龍谷大学)・山本玲子(京都外国語大学)



趣旨説明

この非同期的ファイル配信・質問受付型のシンポでは、日本の学校英語教育に対する根本的な問いかけを柳瀬(京都大学)が行ない、そしてその問いの重要性を長嶺(龍谷大学)と山本(京都外国語大学)が数々の現場のエピソードから示します。

日本の学校英語教育は、意味の身体性と社会性をあまりにも軽視していませんでしょうか?たしかに、ここ最近の英語教育は、英語という言語の構造性を踏まえた「コミュニケーション活動」を推奨し、学習者にさかんに英語を操作させています。しかしその操作活動では、意味から身体性が脱落し、学習者が意味を身体レベルで実感することがないままになっていませんでしょうか。また、その意味は誰にとっても同一な意味として想定され、異なる人間によりさまざまに理解・解釈されうるという意味の社会性を欠いたものになっていませんでしょうか。

意味の身体性と社会性を取り戻さない限り、学習者は英語を「身につけ」て社会で英語を使いこなす「社会的主体」となることが困難なままになるのではないかと、このシンポは問いかけます。皆様の積極的な視聴と質問をお待ちしております。



学会員には、近いうち、会員専用特設ページでシンポジウムの、スライドファイル、音声ファイル、質問フォームにアクセスできる情報が郵送されるそうです。

ここでは学会事務局の許可を得て、スライドファイルのみを公開します。
ご興味のある方は、ぜひ御覧ください。

なお、学会員の方におかれましては、ぜひ後日オープンする質問フォームでご質問やご意見をお寄せいただければありがたい限りです。即答はできませんが、後日、何らかの形で応答はさせていただく所存です。


柳瀬スライド:




長嶺スライド





山本スライド


2020/06/03

本尾千津子 (1986) 「声とことばとからだと」


英語教育さらには言語教育や教育一般についていつも啓発的なご助言をいただいている本尾千津子先生から、「片付けをしていたら古い論文が見つかったので」と、以下の論文を送っていただきました。



本尾千津子 (1986) 「声とことばとからだと」
(ダウンロード用URL)





演劇の竹内敏晴先生のレッスンに参加した上で、日頃の教室「声とことばとからだ」について考察を加えたものです。ごく自然に「私」の感じたことや考えたことがレッスンの描写の中に現れています。「<私>という主観性をどう扱うか」といった問いの立て方がことさらに仰々しく思えるほど、すんなりと描写が進むのが私にとってはすがすがしくさえ感じられました。

そういった方法論的な観点はともかく、以下の一節に共感する現場教師は多いのではないでしょうか。


声が出るということは、どういうことなのか。英語の教師であれば、一度ならず考えることである。音読のときに声の出るクラスは、私に対して率直で素直な発言をする。わからないことは、はっきりわからないと言い、質問をきちんとする生徒たちがいる。彼らの存在が全体の学習に貢献するのだ。彼らはいい意味で寛いで、学習に向かっている。声の出ないクラスは、「英語」に対して心を閉じてしまっていて、英語をいざ発音しようとすると、のどが閉じてしまう。彼らにあるのは、恐れである。からだが固くなっている。私のことばも彼らの中にすんなり入っていかない。私の方も彼らのこわばりが伝わってきて、縮み上がるような気がする。こういう中で、私の心も閉じていく。彼らのからだをほぐし、心をほぐさなくては、いい声は出ない。(28ページ)



30年以上前に書かれた論考ですが、今でも新鮮な文章だと私は考えました(そのことが含意することの一つは、30年間にわたり、英語教育・言語教育の分野においてはこういった考察が深まっていないことかもしれませんが、今はその話はこれ以上しません)。

そこで、私が本尾先生に無理にお願いして著作権関係者からの承諾を得て、このブログでの公開許可をいただきました。それにもかかわらず、コロナに伴う遠隔授業準備などの本業に追われ、公開が遅れてしまったことを本尾先生ならびに関係者の皆様にお詫び申し上げます。

英語教育・言語教育には、高度な統計手法を駆使しなければわからないこともあるのかもしれません。しかし、私は、私たちが共通にもっている感覚 --common sense--を大切にし、そこから考察を深め言語を練り上げることでわかってくる実践知の深さに惹かれます。これからも現場の実践知の解明をわすかでも進めてゆければと思っております。

改めて本尾先生に感謝します。




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大学院の人間・環境学研究科での兼任担当も始めました


■ 大学院協力教員としての兼任担当

私の勤務先は京都大学で学部の教養・共通教育を担当する国際高等教育院ですが、2020年度より大学院の人間・環境学研究科の協力教員にもなり、大学院教育も兼任担当することになりました。コロナ騒ぎにより、このブログでのお知らせが遅れましたが、以下のように同研究科ホームページでお知らせをしております。



人間・環境学研究科>共生人間学専攻>外国語教育論講座
https://www.h.kyoto-u.ac.jp/academic/gr/course1/course16/






■ 担当講義

講義としては、修士課程で毎年の後期に「言語教育設計学」--前任者の講義名をそのまま踏襲しています--を1コマ教えます。2020年度は変則的ですが、「言語教育設計学 II」を教え、2021年度に「言語教育設計学 I」を教えます。その次はIIをさらにその次はIを教えてゆく順番です。

授業内容は、少しずつ変化・進化させてゆきますが、今のところは以下のような内容を教えることを予定しています。




言語教育設計学 I
第1部:言語能力の観点からの言語教育設計
Chomskyの言語能力観
Hymesの言語能力観
応用言語学の言語能力観
第1総括:言語能力観から考える言語教育の設計
第2部:コミュニケーション能力の観点からの言語教育設計
言語コミュニケーション能力の3次元的理解
ヤーコブソンのコミュニケーション能力観
関連性理論におけるコミュニケーション能力観
第2総括:コミュニケーション能力観から考える言語教育の設計
第3部:言語とコミュニケーションの哲学的理解からの言語教育設計
Wittgensteinの言語・コミュニケーション哲学
Davidsonの言語・コミュニケーション哲学
Arendtの言語・コミュニケーション哲学
第3総括:言語・コミュニケーション哲学から考える言語教育の設計
第4部:意味理論からの言語教育設計
Luhmannの意味理論
統合情報理論の意味理論




言語教育設計学II

第1部:全体性の観点からの言語教育設計
人間と言語の全体性から考える言語教育
認知意味論の身体論から考える言語教育
神経科学の身体論から考える言語教育
第1総括:全体性の観点から考える言語教育の設計
第2部:個人としての教師と学習者の観点からの言語教育設計
実践者論から考える言語教育(Donald Shoen)
技能修得論から考える言語教育(Michael Polanyi)
行為論から考える言語教育
第2総括:実践者・技能・行為の観点から考える言語教育の設計
第3部:教師と学習者の共同体の観点からの言語教育設計
対話論から考える言語教育の設計
当事者研究から考える言語教育
オープンダイアローグから考える言語教育
第3統括:共同体の観点から考える言語教育の設計
第4部:言語教育研究からの言語教育の設計
物語論から考える言語教育研究
実践者研究からの言語教育設計





■ 個人的指導体制

個人的な指導体制としては、修士課程と博士課程の院生を受け入れることができます。
ただし、人間・環境学研究科では、願書を出す前に、志願者が指導を希望する教員と連絡を取り、お互いが望む研究指導体制を構築できるかどうかを十分に確認することを推奨しています。大学院生活は時間的にも経済的にも負担がかかるものです。私としては、志願者と私の双方が研究の内容と方法について十分に納得できている少数精鋭の体制を組もうと思っています。私の許容量を超えた数の院生を受け入れると、十分な指導ができず、結局は院生の不利益につながりますので、院生の受け入れ数については慎重な態度を取ります。
もし私の指導を希望する方があれば、下に再掲する柳瀬のページ記述および一般的な入試情報をよく読んで、私に連絡をとってください。その後、何回かの遠隔面談を行ない、相互の納得が得られたら、大学院入試を受けていただくという手順になります。入試に受かれば正式な指導体制が開始されます。(事前の相談なしに入試を受けて合格した場合は、主任指導教員にはなりません。ただし副指導教員などについてはこの限りではありません)。


人間・環境学研究科>共生人間学専攻>外国語教育論講座>
言語教育研究開発論分野>柳瀬陽介
https://www.h.kyoto-u.ac.jp/academic_f/faculty_f/162_yanase_y_0/

入試情報>大学院:人間・環境学研究科
https://www.h.kyoto-u.ac.jp/entrance_exam/gr/



 以上、お知らせをしました。質問などがあれば、上の柳瀬のページからお問い合わせをお願いします。



"AI is an empowerment tool to actualize the user's potential."

  本日、「 AIはユーザーの潜在的能力を現実化するツールである。AIはユーザーの力を拡充するだけであり、AIがユーザーに取って代わることはない 」ということを再認識しました。 私は、これまで 1) 学生がAIなしで英文を書く、2) 学生にAIフィードバックを与える、3) 学生が...