2024/03/26

「英語教育の希望としての田尻実践」のスライドと準備録画の公開、および若干の感想


3/23(土)の「人を育てる英語教育:田尻悟郎の授業は大学生の人生にどう影響を与えているのか FINAL!」は、会場がほぼ満員で終始いい雰囲気の中で終わりました。激しい雨の中お越しいただいた皆様、煩瑣な裏方作業を引き受けてくださいました凡人社の皆様に厚く御礼申し上げます。


下は私が当日使った講演スライドとその講演の予行演習録画です。


スライド (PDF) はここからダウンロード



私の講演の要点は、田尻先生の実践の凄さは英語教師としての初心を貫き通したことであるというものです。その初心は子どもに教える喜びでしたが、それが教室秩序の構築(そしてその挫折)を経て、「楽しいから学ぶ」授業への発想転換に至ります。そこから田尻先生は、「楽しく力がつく」授業、さらには「苦しいけど課題が達成できたらこの上なく嬉しい」授業へと発展させました。それは同時に「一人ひとりが自律し自由なのだが、喜んで互いに助け合う」授業でもありました。田尻先生の初心は貫かれ、そして大きく発展したのです。

現在の田尻先生の授業を可能にしたのは、華々しい留学経験でも高尚な大学院での研究でもありません。「人が人として生きるために大切なことを英語教育で実現する」ということを願い続け、日々授業を工夫し、挑戦(そして時折の失敗とそこからの学び)を怠らなかったからです。

田尻先生の実践が英語教育の希望である理由はここにあります。初心を貫き、日々、英語教師としてそして人として大切な努力を怠らなかったら、やがて教師自身が驚くようないい授業が到来します。教師の努力は必要条件ですが、到来する授業は、教師個人の意思を超えたすばらしいものとなります。

田尻先生の講演の後の質疑応答では「なぜ田尻先生はいつまでもそんなに元気なのですか?」という質問が出ました。私が出しゃばって答えるなら、それは「授業から喜びをもらっている」からです。

そのように教師に(そして学習者に)喜びを与える授業とは、柄谷行人の交換様式の用語を借りるなら、個人的な恩恵関係(交換様式A)、服従と保護の支配関係(交換様式B)、商品購入のような等価交換関係(交換様式C)のいずれも越えた交換様式Dに基づく授業です。ご興味があれば上のスライドと録画をご覧ください。

私自身30年以上、田尻先生を追っかけてきてそこから学んだことは計り知れないほど大きなものです。田尻先生を知らなかったら、私の研究も教育実践も迷走に迷走を重ねて悲惨なものになっていたでしょう--今以上にw。改めて田尻先生に感謝します。また田尻実践の良さを私とは違った角度から照射してくれた久保野先生、そして科研運営の地道な仕事を続けてくれた横溝先生にも感謝します。

この横溝先生が主催する通称「田尻科研」の成果は、単行本として出版することを計画しています。田尻実践をきっかけに、英語教育界が、初心を貫き発展させるという地味だけど大切なことの価値に目覚めてくれればと思っています。





関連する論文や出版物など

柳瀬陽介 (2005) 「アレント『人間の条件』による田尻悟郎・公立中学校スピーチ実践の分析」『中国地区英語教育学会研究紀要』35 巻 p. 167-176 https://doi.org/10.18983/casele.35.0_167

横溝紳一郎(編) (2010) 『生徒の心に火をつける: 英語教師田尻悟郎の挑戦』教育出版

田尻悟郎のWebsite Workshop https://sc.benesse-gtec.com/tajiri/

2024/03/19

「AIネイティブのための英語教育の再構築」スライドと予行演習動画の公開

 

昨日(2024/03/18)、広島大学外国語教育研究センターのFDで「AIネイティブのための英語教育の再構築」というお話をさせていただきました。関係者の皆様には大変お世話になりました。改めてここで御礼を申し上げます。

下に掲載するのは、その際に使用したスライドと講演予行演習の動画です。動画は、今回初めて喋る講演の後半部分だけになっております。前半部分は、これまで他の講演で述べた内容と重複しますので予行演習はしませんでした。

後半部分では、いくらAIが騒がれてても、英語教育関係者はあくまでも英語教育の話を中心にするのであり、AIの話ばかりをするべきではないことをまず強調しました。その上で、英語教育の基本である、4技能の中ではリスニングが根底にあること、言語を使うことは身体(例、鼓膜や声帯の振動)が意識(意味)と共変することなどの確認をしました。

さらにそもそも英語教育という営みが生じた源流にあった英学(=英語だけを学ぶのではなく、英語を通じて諸学を学ぶ営み)に再度着目して、AIで増強したCLIL (Content and Language Integrated Learning:内容言語統合学習)を行うことを提言しました(「英学 2.0」)。最後に、AI時代の大学英語教育の3つの優先事項として、意識改革・意欲喚起・環境整備を掲げました。





ご興味のある方はご覧ください。動画についてはいつものように講演のための準備練習ですので、雑な作りになっていることをお許しください。


スライドはここからダウンロード





2024/03/12

「AIを活用して英語論文を作成する日本語話者にとっての課題とその対策」の解説動画、および理系研究者との対話から学んだこと

 

「AIを活用して英語論文を作成する日本語話者にとっての課題とその対策」(『情報の科学と技術』2023年73巻6号 pp. 219-224) (https://doi.org/10.18919/jkg.73.6_219) は、おかげさまで1ヶ月間で約2万件のviewsを得ることができました。何名かの有名な理系研究者の方々がtweetしてくださったおかげです。皆様のご厚意に感謝します。


本日、ある理系大学でオンライン講演をさせていただく機会がありましたので、このレポートを解説いたしました。このレポートを書いたのはChatGPTが出て数カ月後の2023年3月でした。解説では、レポートに書ききれなかったことや、その後の発展も加えています。レポート自体には何の新しいことも書いていませんが、日本語話者がAIを使って英語論文を書く際の原則を整理した点で有用かもしれません。


もしご興味があれば下の解説動画をご覧ください(スライドはここからダウンロードできます)。いつものように予行演習をただ録画したものですので、出来はよろしくないことを予めお詫びしておきます。





以下は、オンライン講演でたっぷりとってもらった質疑応答の時間で私がメモをしたことを再構成したものです。=>は私の見解です。


■ 多くの院生が英語論文をDeepLなどで日本語訳して読む。

院生は大量の英語論文を読まねばならず、英語への苦手意識もあるので、論文をDeepLで日本語に翻訳して読むことが多い。しかし専門用語の誤りは多く、肝心な箇所の誤訳や訳抜けがあるので、DeepL翻訳では精読できないことはわかっている。

=> 私のような年配の人間は英語力をつけた後にAIに接してAIの有用性に感動している「非AIネイティブ」といった世代である。だが、これから増えてくる「AIネイティブ」世代は、生身で英語力をつける前からAIと共に英語を学習してゆくだろう。その世代に対して、非AIネイティブがどのような英語教育の道筋を示すかについては慎重に考えなければならない。

講演で何度も繰り返したが、私は英語ライティングにはAIを活用しても、リーディングについてはできるだけ使用を控えるべきだと考えている。リーディング力がないと、AIが書いた英文を判断・校閲・編集できないからである。

せめて大学院ゼミは、「重要な論文は必ず英語原文で精読すること」といった方針を徹底するべきではないか。英語がきちんと読めないまま論文から情報を得て、AIが生み出す英語に頼り切って英語論文を執筆することは、学問の信頼性の点でも危険であろう。英語を読む習慣を身につけるには長い時間がかかるので、若い時代にはできるだけ英語を直に読み、精読力をつけるべきだと私は考える。


■ 院生はまず日本語で原稿を書きそれをDeep Lで英語に翻訳することも多い。

院生はまず日本語で文章を書くことも多いが、そもそもの日本語の文章が怪しいならやはり話にならない。また英語にしやすい日本語で書かないと、DeepLの英語も読みにくいものになる。

=> 講演で言及することを忘れましたが、下のマニュアルは実用的な日本語を書くためには必読だと思います。マニュアルの例文が特許関係の文であるという点は少し使いにくいかもしれませんが、ポイントは明快です。ぜひご一読をお勧めします。


特許ライティングマニュアル

https://tech-jpn.jp/tokkyo-writing-manual/


■ 理系研究者にとってどのくらいの時間を英語学習に使うかは難しい判断。

理系研究者にとっては、英語学習よりも自分の研究を進める方がはるかに大切である。他方、英語の重要性も熟知している。その中で、どのくらいの時間を英語学習に費やすか迷うことが多い。

=> とりあえず英語で論文を書いて発表ができるまでの英語力をつけたら、後は自分の研究者としてのキャリアの方が道を示してくれるのではないでしょうか。研究が充実して国外の読者が増えれば、自然と英語の必要性が高まるはずです。まずは20代に必要最小限の執筆力と発表力をつけてから考えてもよいのではないでしょうか。

以下のインタビューではいろいろなエピソードが語られていますのでご参考になさってください。


京都大学自律的英語ユーザーへのインタビュー

https://www.i-arrc.k.kyoto-u.ac.jp/english/interviews_jp




■ AIは知的格差を拡大させるかもしれない。

ある程度の英語力と学ぶ意欲をもっている者はAIでどんどん英語力を上げるだろうが、他方で英語の学習や使用をAIに任せてしまい英語力がつかない者も増えるだろう。そういった意味ではAIは知的格差を広げるかもしれない。

=> その懸念を私も共有します。私はAI時代の英語教育で大切なのは次の3つだと思います。


意識改革 + 意欲喚起 + 環境整備


意識改革とは「自分でも英語ができるようになれる。しかも今まで思っていたよりもはるかに高いレベルで」と考え方を変えてもらうことです。

意欲喚起は、その意識改革に基づきさらに学習意欲を高めることです。そのためには学習の環境を教師が整備することが必要です。

意識改革・意欲喚起・環境整備のどれも学習者が主体的に行うことで、教師が外からコントロールできるものではありません(もちろん誘導はできますが)。

これまでの教師は、教育内容の提示と試験の採点という管理的な業務が中心でした。しかし、AIという学びの支援装置を得たこれからは、教師は、学習者のために意識改革・意欲喚起・環境整備の点で側方支援する存在になる必要があると個人的には考えています。


以上です。この講演会を支えてくださった事務局の方に厚く御礼申し上げます。




2024/03/08

第15回産業日本語研究会・シンポジウム(テーマ:生成AIの普及で日本語のコミュニケーションがどうかわるのか)の予行演習動画と使用したスライドの公開

 

2024年2月20日(火)に第15回産業日本語研究会・シンポジウムの招待講演でお話をさせていただきました。シンポジウムのテーマが「生成AIの普及で日本語のコミュニケーションがどうかわるのか」でしたので、歴史・地政学的観点から思い切って大きな問題意識でお話をしました。結論は「文化越境的」な日本語で文章執筆することと、その文章をAIを使って英語翻訳をすることをもっと進めようということです。


「文化越境的」な日本語は、産業日本語研究会が推奨する「特許ライティングマニュアル」につながると私は考えます。日本語で最初に執筆し、それを英語に翻訳する先人としては村上春樹と柄谷行人を挙げました。私としては、これからの日本は、日本語での表現力を世界の進展に合わせて拡充すると共に、英語での表現力を格段に上げる必要があると考えています。


過去150年ぐらいで、日本語話者は(主に)英語で書かれた思考を日本語で表現できるぐらいに日本語を成熟させることに成功しました。これからはAIを活用しつつ、日本語での思想を英語で表現する英語力をつけることが日本の知的課題であると私は考えます。


私が使ったスライドはここからダウンロードすることができます。


シンポジウム発表に先立って行った予行演習の動画も公開しますので、ご興味があればご覧ください。





追記
シンポジウムの全登壇者の資料はここからダウンロードすることができます。

2024/02/16

「AIの言語生成と人間の言語使用の違い:AI時代の言語教育のための考察」(2023年2月10日 言語系学会連合公開シンポジウム)の発表予行練習動画

 

先日(2024年2月10日土曜日)に言語系学会連合 (https://uals.net/) の2023年度公開オンラインシンポジウム(テーマ:言語教育における生成系AIの活用)で発表させていただきました。

私の発表タイトルは、「AIの言語生成と人間の言語使用の違い:AI時代の言語教育のための考察」でした。

「人間をできの悪いAIのように訓練する外国語教育は不要」という基本的な考えの上に立って、外国語教師はAIの言語生成と人間の言語使用の違い理解した上で人間らしい外国語教育を展開しなければならないと主張しました。違いを理解するためには、書きことばの普及やソフィストの台頭を前に、語りことばの重要性を説くソクラテスを参照することにしました。

下は発表の予行練習録画です。ご興味がある方はご覧ください。



発表で使ったスライドはここでダウンロードできます。


2024/01/12

3/23(土)「人を育てる英語教育:田尻悟郎の授業は大学生の人生にどう影響を与えているのか」FINAL! (TKP大阪本町カンファレンスセンター)定員は先着90名!

 

稀代の実践者である田尻悟郎先生の実践知を解明しようとする2022年8月2023年8月のシンポジウムはどちらも好評でした(私の発表はそれぞれここここ でスライドと動画を見ることができます)。

この度、このシリーズの最終回を3月23日(土)に大阪で開催することにしました。

私は英語教師の実践知をできるだけ言語化することを自分の研究方針の1つにしています。田尻先生の実践を見るたびに、自分の言語化の限界を痛感します。それは実践知の深さを示してくれる心地よい痛みです。

よりよい英語授業を自分で作り出そうとしている人は、田尻実践から多くを学べるはずです。それは田尻先生こそが何十年にもわたる創造者だからです。

対面開催で定員は90名です。詳しくは下のチラシを見て、お申し込みください。この広報は拡散を歓迎します。よかったらお知り合いの方と情報を共有してください。






チラシ(PDF)はこちらからダウンロードできます。


2023/11/25

大津由紀雄・南風原朝和(編) (2023) 『高校入試に英語スピーキングテスト? 東京都の先行事例を徹底検証』岩波ブックレット

 

東京都は2022年11月27日に、2023年度の都立高校入学者選抜の一環として、ESAT-J (English Speaking Achievement Test for Jujior High School Students) と呼ばれる英語スピーキングを実施した。これがいかにずさんなテストであったかについて、本書は的確にまとめている。本書は、このテストの今後の見直しを求めること、および同種の大規模スピーキングテストの導入を考えている道府県に対して慎重な判断を要請することの2つの目的で緊急出版された。


ESAT-Jが入試としても、また英語教育改善の手段としても不適格であったことは最初の3つの章で明確に述べられている。第1章の沖浜真治氏(新英語教育研究会東京支部代表)は、教育現場の視点から、ESAT-Jのずさんな実態を報告する。第2章の南風原朝和氏(東京大学名誉教授)は、心理統計学の専門家として、ESAT-Jの採点措置が入学者選抜としては不公正であることを立証する。第3章の羽藤由美氏(京都工芸繊維大学名誉教授)は、理論と実施の両面においてスピーキングテストについて深い知識をもつ専門家として、ESAT-Jが8万人もの大規模で公平に行えるものではないことを示す。どの章の記述も具体的で、説得力をもつ。


これらの3つの章を受けて、第4章では大津由紀雄氏(慶應義塾大学名誉教授)と久保野雅史氏(神奈川大学教授)が、なぜ東京都はこれだけ不備が明らかになったESAT-Jの実施と続行にこだわるかを説明する。両者は、こだわりの理由は、ESAT-Jが近年の国レベルの英語教育政策の一端として位置づけられているからだと説く。第4章のさまざまな引用は、論説の確かさを強めている。


コラムで取り上げられた2名の教師と2名の保護者の声も現場の様子をよく知らせている。最後に付けられた年表も問題の整理に有用である。


ESAT-Jの問題性は、すでに多くの英語教員が知るところであるが、それを具体的な記述で論じた本書はきわめて資料的価値が高い。本書が廉価で手に入るブックレットの形で、緊急出版された意義はきわめて大きい。



その上で私の蛇足を加える。第4章の「なぜ東京都はESAT-Jの実施にこだわるのか」という問いとその答え--国の教育政策を否定しないため--をさらに一歩進める。「なぜ国は、実施において問題だらけのこのような教育政策(特に大規模スピーキングテストを進めるのか)という問いを立てる。だがその答えは、本書のように実証的なものではなく、きわめて思弁的なものである。とはいえ、思弁的だからこそ、思い切った仮説的な答えを出してみることにする。


私の答えは、「権力者にとっては、大規模スピーキングテストによって一部の者が不公平な措置を受けることは、大したことではないから」である。ここで私は、きわめて性悪説的で独善的な推論--いわば邪推--をしているので、読者諸氏においては十分批判的に以下を読まれたい。


近現代の政治的権力者は、経済的権力者と結託している必要がある。柄谷行人は、「国民国家」 (nation-state) の実態は、「資本=ネーション=ステート」であると説く。資本主義経済の過酷な現実を、想像の共同体(ネーション)としての一体感に訴えて緩和する形でしか、現在の国家(ステート)は成立しないと分析するからである。


よって政治的権力者は、世論が国民レベルで炎上しない限り、少々の不公平には目をつぶる。同時に、日本では特に安倍内閣以来、国家が世論の立ち上がりに対して過剰なほどの介入をしてきたことも周知のことであると私は考える。


そうなると国策の基本は、経済的権力者--いわゆる財界人や資本家--の利益の確保と拡大のために決められる。教育について、経済的権力者がもっとも求めるのは選抜である。一部の知的に優秀な人材を次世代の経済的権力者として選抜し、残りの大多数の人々を、安い労働力で従順に働き、ローン(借金)もいとわない消費者にしてしまえば、基本的に経済は回る。


未来の経済的権力者は国民のごく一部であればよいので、その選抜は多少ずさんでもよい。テストは知的能力の大小についての推論であるが、推論には「慌て者の間違い」(アルファ・エラー)と「ぼんやり者の間違い」(ベータ・エラー)がある。前者の間違いは、慌ててしまって、本当は知的に優秀でない者を優秀だと判定してしまう。後者の間違いは、ぼんやりしていて、本当は優秀な者を見逃してしまう。


大人数の中からごく少人数の優秀な者を選ぶには、「慌て者の間違い」を避け、「エリート」の中に知的に劣る者が入らないようにすることが大切である。逆に言うなら、「ぼんやり者の間違い」で少々、本当に優秀な者を見逃しても問題はない。なにせ母集団は大きく、選ばなければならないエリートは少数でよいからだ。


テストの理想は、これら両方のエラーを同時に少なくすることである。だが、現実的には、どちらかのエラーを深刻だと捉え、もう一つのエラーを許容するのがほとんどである。そうなると、経済的権力者が未来のエリートを選抜するためのテストは、少々の優秀者を見落とすことがあっても、選んだエリートの中にまがい者が入っていないことを是とする。


私自身が地方出身の貧乏人であったから、粗暴な表現を許してほしい。経済的権力者にとって、ESAT-Jテストなどで、不便な地域に住む者や経済的に恵まれない者、あるいはさまざまな意味で例外的な者が少々不公平な目にあっても、たいした問題ではない。そのような少数者を見落としてもかまわない。それよりも、確実にエリートを選抜すること、まおよびその選抜手段(テスト)の強制力で、未来のエリートに知的訓練を課すことの方がはるかに重要である。そもそも、ほぼすべての経済的権力者は都会に住む超高額所得者である。地方の貧乏人の事情など、彼ら・彼女らは日頃ほとんど考えてもいない。


もちろんこのような選抜を続けることは、長期的には愚策である。テストが育てるべき力を測るものでないなら、試験対策に時間とお金をかけた者ばかりがエリートとなってしまう。一知半解の事を述べるのは危険だが、科挙もそうして中国の国力を損ねてきたのではないか。また国難においては、狭い範囲から人材を取るだけでは対応できない。これは、江戸末期の黒船襲来によって徳川幕府が人材登用制度を大きく変えたことでも明らかだ。


とはいえ人間は惰性の動物だ。これまで入試でエリートを決めてきたのだから、入試にスピーキングテストを入れればよいだろうと多くの経済的権力者は想定する。そもそも経済的権力者のほとんどは、多くの政治権力者と同様、教育やテストの実情を知らない。「日本人エリートは、英語力がまだまだだから、高校や大学の入試で一斉にスピーキングテストを導入すればいいんでないの?」ぐらいの思考で教育方針を決めかねない。それを政治権力者が断固実行するのが現状だと私は考えている。


この「資本=ステート」の結託を是正する方法の一つは、「ネーション」(=「私たち」や「国民」といった想像上の共同体)の力を高めることである。大学共通テストへの民間英語試験導入は、ある政治家の「身の丈にあった」といった発言がきっかけとなり、国民感情が高まり、導入の延期(事実上の中止?)につながった。


だが今回の東京都のESAT-J導入の場合、一般市民の既視感や厭世感が強いのか、あるいはマスコミの「ニュースバリュー」認識が低いからか、ESAT-J中止までには至っていない。だからこそ本書のような出版が大切になる。


日本のマスコミのジャーナリズム精神の貧困はすでに長年指摘され続けている。マスコミも経済的権力者になびき、広告で大多数の国民の消費を促せば、今しばらく存命できる。だが、そんなやり方を良心的だと思っている者はいないだろう(口を歪めて開き直る者はいるにせよ)。マスコミもESAT-Jの問題を、一部の誠実なジャーナリストにならって、取り上げてほしい。


また日本にも、まだまだ「ネーション」を重視して「ステート」を運営しようとする政治家 (statesman) --性差別表現だったらごめんなさい--がいるはずだ。政治に関わる者すべてが、悪い意味での「政治屋」 (politician) ではないだろう--と信じたい。


いや「してほしい」や「信じたい」などといった他力本願の言い方はよくない。英語教育者の一人ひとりは、東京都のESAT-Jについて何かの行動を起こすべきだろう。日頃この問題について何の行動も起こしていない私も、その行動の一環としてこのような駄文を綴った。


英語教育関係者が本書を読み、知識を確実にした上で、この問題についてそれぞれのやり方で行動を起こすことが重要だと私は考える。






「英語教育の希望としての田尻実践」のスライドと準備録画の公開、および若干の感想

3/23(土)の「 人を育てる英語教育:田尻悟郎の授業は大学生の人生にどう影響を与えているのか FINAL! 」は、会場がほぼ満員で終始いい雰囲気の中で終わりました。激しい雨の中お越しいただいた皆様、煩瑣な裏方作業を引き受けてくださいました凡人社の皆様に厚く御礼申し上げます。 下...