以下の書評は、大修館書店の『英語教育』2024年9月号74ページに掲載させていただいた原稿です。ガート・ビースタ(著)、 亘理陽一、神吉宇一、川村 拓也、 南浦涼介(訳) (2024) 『よい教育研究とはなにか--流行と正統への批判的考察』 (明石書店)を、英語教育界がどう読み解けるかという視点から書きました。
編集部の許可を得てここに公開します(このブログでは、その雑誌には掲載しなかった原稿を以前公開しておりました。下記参照)。
この本が出版してしばらく経ちますが、出版当時の衝撃が薄れ、英語教育界がまた何もなかったかのように、この本などが提起している問題をうやむやにしていることを私は恐れます。
英語教育研究の再生のための必読書
教育学は英語教育学にとっての最重要隣接分野の1つである。だが、その理解は乏しい。そんな教育学の世界的研究者の入門書的な著書が翻訳出版された。本書は、研究者と実践者が共に学び合える教育研究の可能性を示している。そんな本書を英語教育界はどう読み解くのだろうか。
日本の英語教育研究者の多くは、世界的流行の影響を受けている―研究者は方法論の厳密さとエビデンス獲得を目指す。自然科学こそが研究の究極のあり方であり、厳密な測定を最重要視する。主観や価値は排除する。研究者の力量は国際的学術誌論文掲載で決まる。教育行政と教室実践を正当化する権威と権力をもつのは論文である―
だがそのような潮流の中でいくつかの問いが忘れ去られる。「私たちは私たちが大切だとしているものを測っているのか、それとも測っているものを大切にしているのか」。「因果関係で説明できるのは、教育実践のわずか一部にすぎないのではないのか」。「そもそも現在の論文の多くは、研究のための研究ではないのか」。
日本の英語教育学界は本書を熟読し研究の再生を図れるのか。それともこの教育学的見識を「それってあなたの感想ですよね」とばかりに軽視するのか。英語教育学者と日本語教育学者(そして言語教育に造詣の深い編集者)の共同作業で、高品質の翻訳書として刊行された本書は、この国でどう受容されるのだろうか。
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