2022/07/26

オンライン講演「英語教育の意義 (why) ・原則 (what) ・指針 (how) :AI時代の再定義」のスライド公開

追記(2022/08/08)

下のオンライン講演の録画動画をこちらの記事で公開しました。



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8月2日(火)の20:00-20:50に「未来の先生フォーラム」でオンライン講演「英語教育の意義 (why) ・原則 (what) ・指針 (how) :AI時代の再定義」を行います(参加費無料・要事前登録)。


「未来の先生フォーラム」は、「社会の動向を理解し自ら学び、専門性を向上させたいと願う先生たちをはじめ教育業界の関係者が来場し、熱心に学ぶ日本最大級の教育イベント」です。2022年度は8月1日(月)から8月7日(日)の7日間にわたってオンラインで開催されます。


未来の先生フォーラム2022特設サイト

https://mirai-sensei.info/

参加申し込み

https://mirai-sensei2022.peatix.com/



7日間のプログラム一覧は以下の通りです。


8月1日(月) テクノロジー×個別最適・協働的な学び  18:00-20:50

8月2日(火) 2030 年の英語教育を考える  10:00-20:50

8月3日(水) 探究学習の理念を実践し評価する  18:00-20:50

8月4日(木) GIGA スクールと教育 ICT は学校教育をどのように変えるのか、

そしてその利活用 18:00-20:50

8月5日(金) Project-based Learning の意義と実践 18:00-20:50

8月6日(土) 多様な教育①(同時に5プログラム開催されます) 10:00-17:00

8月7日(日) 多様な教育②(同時に5プログラム開催されます) 10:00-17:00


私は8月2日のセッションの最後に登壇します。

投影する予定のスライドは以下からダウンロードできます。



この講演(「英語教育の意義 (why) ・原則 (what) ・指針 (how) :AI時代の再定義」)の狙いは、大学英語教育の現場から見えてくる英語教育の未来像を整理し、英語教育の意義 (why)、原則 (what)、指針 (how) をまとめ、そのまとめによって、聴衆の皆さん一人一人の現場で英語教育の未来を構想してもらうことです。


ご興味のある方は事前登録の上ご参加ください。


また当然のことながらこの「未来の先生フォーラム」にはたくさんの魅力的な講演があります。どうぞプログラム一覧を御覧ください。



2022/07/11

自らの過ちを認め、異なる意見に耳を傾けるという偉大さ


【この「時事」カテゴリーの記事は、学生さん向けの文章をこのブログに転載しているものです。】

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 18世紀に建国されたアメリカ合衆国は、長い歴史をもつ他の国以上に建国の理念を大切にしているように思えます。今年の独立記念日にThe New York Timesに寄稿された以下のエッセイで、著者は、アメリカの建国理念を "a multiracial, multiethnic, pluralist democracy"を作り上げることだと述べた上で、アメリカの可能性について語ります。


Darren Walker

The Founders Bequeathed Us Something Radical

July 4, 2022

https://www.nytimes.com/2022/07/04/opinion/these-truths-we-holdand-share.html


彼によるなら、現在のアメリカの状況は以下の通りです。


Everything right now, it seems, is black or white, all or nothing, perfect or unacceptable. ... Nuance and complexity, let alone compromise, are nowhere to be found. 


しかしアメリカの偉大さは、建国の理念に向かって自己再生できることだと著者は説きます。自らの過ちを認め、それを正す勇気をもつことがアメリカの力だと著者は述べます。


And yet what makes America great is not the fact of our perfection but our act of becoming more perfect. What makes the American people exceptional is that we have the strength to acknowledge our failings -- moral, structural, personal -- and the courage to make wrong into right.


アメリカが建国の理念を追求するには、市民が頑なな自己主張を繰り返すだけではいけません。謙虚さ・好奇心・共感の態度と共に他者に耳を傾け、他人の振る舞いに対して寛容であり疑わしきは罰しないようにしようと著者は訴えます。(注)


Let’s resolve to listen with humility, curiosity and empathy -- with open hearts and minds. Let’s resolve to extend the presumption of grace and the benefit of the doubt.


英語ライティングの授業で私たちが主に書いている文章は、自説の正しさを一貫して立証するものです。研究やビジネスの場面では、まずは自らの見解を短く述べてしまうことがしばしば必要だからです。


しかし研究やビジネスにしても、異なる意見を排斥せずに、自らの見解を捨て去る覚悟さえもって対話に参加することが必要です。ましてや社会的・文化的な話し合いにおいては、自説の正しさを信じて疑わないと、社会的・文化的な分断が深まるばかりかもしれません。どうぞ英語ライティングで学ぶ論証法を過大評価せず、その限界を知った上で使いこなしてください。皆さんも対話に参加できるよう自己教育してください。


(注)

下線部は訂正した翻訳です。最初に掲載していた翻訳は、私なりに文脈から推測した意味を表現したものでしたが、寝る前にあるstand-up comedyをNetflixで見ていたら偶然 "the benefit of the doubt" という表現が出てきたので、この表現が成句だと気づき、調べた上で訳文を変えました。

Merriam-Websterによりますと、"the benefit of the doubt"とは、まさに日本語でいうところの「疑わしきは罰せず」のような意味で、ある人の言動に疑いがある時にも、その人が正直であり信頼がおけるものだという前提をもつことだそうです。

ついでに "the presumption of grace"についても調べますと、まさに"PRESUMPTION OF GRACE"と銘打たれた記事を見つけました。その記事の内容を要約しますと、私たちは自分がある人に対して善い行いができなかった時、「自分に悪意はなかったのだから」と心中で言い訳をし、その人に対してしばしば謝罪しません。「あの人もわかってくれるだろう」とさらに自分なりの言い訳を重ねます。ある意味、人間とはこのように自分勝手なものですが、大切なのはその自分勝手さを自分自身だけではなく、他人に対しても認めることができるかということです。

記事では、自分がやったなら許してしまうような自己中心的な行動を他人が行った時に、その人が許しを請わなくてもその人を許せるかが人間性の試金石だと説きます。現代ではしばしば他人に対して徹底的な説明責任を要求しますが、その記事は次のように問いかけます。 "Do we extend to others the presumption of grace or do we demand an account for every grievance?" こういった記述からは "the presumption of grace" は、「他人の振る舞いに対して寛容であること」ぐらいに訳せるのかもしれません。(この訳は、記事にあるキリスト教的な文脈をあまり反映していない訳です)。

いずれにせよ私は上の2つの表現について十分な知識をもっていませんでしたし、その知識不足を薄々自覚していたにもかかわらず十分に調べることなく翻訳を掲載してしまいました。大学英語教師としてまったく恥ずかしいことです。ここにお詫びし、訂正します。(2022/07/13)



2022/07/04

GPT-3が一般公開され、数百語の英語の文章なら誰でも自動的に生成できることが目の当たりになった。このような時代の英語学習指針とは何か?

【この「時事」カテゴリーの記事は、学生さん向けの文章をこのブログに転載しているものです。】

お知らせ:先日の記事(「機械翻訳が問い直す知性・言語・言語教育 ―サイボーグ・言語ゲーム・複言語主義―」)に解説YouTube動画を追加しました。


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以下の文章は柳瀬の個人的な見解を示すもので、柳瀬が所属する組織の公式見解を表しているものではありません。また最初に申し上げましたように、このコラムは毎週の課題の締切リマインダーメールの付録であり、学生の皆さんにはこのコラムを読む義務はまったくありません。

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■ AIがそれなりの英文を自動的に生成する現代


人工知能プログラムのGPT-3が一般公開されました。ですから、授業でデモンストレーションしましたように、今や誰でもGPT-3にトピックを与えたらそれなりの英語の文章を自動的に得ることができるようになりました。


例えば "Write an essay that explains the significance of the CRISPR-Cas9 system in gene editing."という入力 (prompt) を入れるだけで、出てきたのが次の英文です。(入力を新たに求める度に、GPT-3は似ているが異なる英文を出力しますので、皆さんが試したら他の英文が出てくると思います)。


The CRISPR-Cas9 system is a powerful tool for gene editing. It can be used to make precise changes to the genome of a living organism. This system has been used to edit the genomes of plants, animals, and humans. The CRISPR-Cas9 system has many potential applications. It can be used to treat genetic diseases, to improve crop yields, and to create new animal species. It can also be used to create designer babies. The CRISPR-Cas9 system is not without its controversy. Some people worry that it will be used to create “perfect” babies, or to create new animal species that could threaten the environment. Despite the controversy, the CRISPR-Cas9 system is a very exciting development in the field of genetics. It has the potential to change the world in many ways.


この英文は131語ですが、この英文にさらにpromptを継ぎ足してGPT-3に再入力すると500語や1,000語のエッセイも作り出すことができることも確認しました。


ただしGPT-3はビッグデータから「次に続く可能性が高い文」を予測して生成するプログラムですから、「もっともらしい話」 (a plausible story) を作るだけです。文章を生成しているうちに内容的に間違った文章や、論理展開が明快でない文章を生み出すこともあります。


このようにGPT-3がもっともらしい英文を数秒で生み出し、DeepLやGoogle Translateなどの機械翻訳プログラムがたいていの日本の高校生では書けないレベルの英語で日本語を翻訳する現代、若い人はどのような英語の勉強をすればよいのでしょうか?


これは多くの人が考え試行錯誤しながら、学校教育の内容や制度に結実させなければならない問題です。ですが、とりあえず私の今の考えを描きます。


これからの英語学習については、私は三つの指針を考えています。一つはstory(話の構成)の側面、二つ目はstyle(文体)の側面についての指針です。三つ目が身体で学ぶことを一層重視するという指針です


なお、以下では英語力の中でも特にライティング力を中心に説明してゆきます。ライティング力は、リーディング力のみならずスピーキング力とリスニング力がなければ獲得することができないものですから、ある一定のライティング力を目標にすれば、リーディング力・スピーキング力・リスニング力もいやおうなく獲得せざるを得ません。そういうわけでここではとりあえずライティング力について書きます。



■ "A true story"もしくは "an original story"を作り出すための英語力


一つ目の指針はstoryについてのもので、それは"a plausible story" (もっともらしいストーリー)ではなく、 "a true story" (真実に基づいたストーリー)もしくは "an original story"(自分でしか作り出せないストーリー)を生み出せるように、創造性を高めるというものです。誰でも述べるような凡庸なstoryを作るのではなく、独自の調査・実験や思考・感性からstoryを創造できるように日頃から感性・知性・理性を働かせておくことと自分の英語力を連動させることです。


もちろん物事の真実に迫ったり独自の発想を示すようなstoryを作るためには、過去の知見についてのたくさんの勉強が必要です。しかし過去の知見の記憶と再生だけで自分の学びを止めてしまわず、常に自分ならではの発見・創造ができるように、感性・知性・理性を働かせることが重要です。多くの人が知っている知識を得ることは学びの終点ではありません。人々との共有知識を使って自分でしかできないことをやることが学びの目指すべき方向ではないでしょうか。


過去の知見の記憶と再生なら人間はAIに勝てないでしょう。しかし、人間にとって意味深いことを発見し創造することは人間の方が得意なはずです。AIが得意な領域はAIの力を借りて、人間は人間ならではのやり方で感性・知性・理性を働かせ、持続可能な未来を作り出すことは、人間の地球に対する責務とすらもいえるでしょう。


"A true story" もしくは "an original story"を作り出すことは、これまでのテスト対策中心の英語学習のイメージとかけはなれているかもしれません。しかし、英語の学習が世界の実際の出来事に結びついていなければならないというのは、昔からいろいろな形で述べられてきました。多肢選択方式などの客観的な評価で簡単に測定できるような形式的な英語力ばかりに拘泥せず、もっと英語でstoryを理解し自ら作り出せるための英語力をつけるべきではないでしょうか



■ AIの力を借りながらAIを超える文体感覚を身につける


これからの英語力養成の二つ目の指針は、styleすなわち文体の感覚を身につけることです。文体は、リスニング、スピーキング、リーディング、ライティングのどの領域においても重要な役割を果たしています。文体は、リスニングとスピーキングにおいては、ストレス・イントネーション・ポーズ・スピード・トーンといったさまざまな音声的要因で精妙に表現されます。リーディングとライティングにおいては、通常の話し言葉よりも遥かに多彩で慎重に選択された語彙・文法構造によって表されます。実際のコミュニケーションでは、文体の違いは大きな役割を果たしています


一部の人は「文体の差など微々たるもので、文字通りの意味が伝達できればいいのだ」と主張するかもしれません。しかし、文字通りの意味の伝達レベルの記号処理なら、AIの方が人間よりも遥かに速く行ってくれます。それならば、人間は(少なくとも現時点での)AIには困難な、文体的な差異を踏まえた上での文章の理解・生成能力の開発に励むべきではないでしょうか。文体がひどければ、読者は途中で読むのを止めてしまいます。文体が良ければ、微妙なニュアンスも伝えられ、後々のコミュニケーションも容易になります。知識社会の中での情報洪水の中で自分の文章を読んでもらうためには、優れた文体をもった文章を書く必要があります。


ライティングでしたら今現在でさえ、日本語さえ入力すれば、機械翻訳プログラムがそれを英語に翻訳してくれます。しかし、その翻訳は入力したのがおよそ定型的な文章--"an original story"の対極--でない限り、語彙や構文のレベルでも問題が多い英文です。ましてや文体においては読みにくかったり、誤解を招くような表現になっていることが多々あります。


今や機械翻訳プログラムを使えば誰でも、一定の質を備えた英文を出力できるのですから、これからの英語学習の価値は、どれだけAIが生み出すレベル以上の英文を生み出すことができるかにかかってくるでしょう。AI機械翻訳の英文と人間による達意の英文の差の多くは文体にあります。こうなると文体の違いを的確に理解した上で、文脈に応じた文体をもった文章を生み出す能力が大切になってきます。


AI以上の英文を人間が生み出すためには、途中までAIの力を借りて英文を入手しそれを修正してもかまいません。AIの力を借りる場合は、機械翻訳プログラム、校閲プログラム、書き換え(パラフレーズ)プログラムなどを使うことが考えられます。機械翻訳プログラムでしたら、母国語でより高速で正確に思考・表現した原稿をAIに入力し、英語の下訳(下書き)を得ることができます。人間は、その下訳を、自分の意図に合うように修正します。その修正の際には文体的改訂が大きな課題となることは上で述べた通りです。


校閲プログラムでしたら、人間はAIプログラムの画面上に直接英語を書き込んでいきます。AIは書かれた英語の文法・語法・スペリングなどのミスを自動的に指摘し修正案を提示します。修正の正確度は完璧なものではありませんが、人間が母国語でも行うし、ましてや外国語では多くなる「うっかりミス」を減らします。ですから、人間は自らのstoryをより効果的に伝えるための文体的改善により力を注ぐことができます。


書き換え(パラフレーズ)プログラムは、人間が指定した語句や文の書き換え例を複数提示してくれます。しかも "formal" "fluent" などのさまざまなモードを指定しての書き換えも示してくれます。外国語表現のレパートリーは狭いものですから、書き換えプログラムは外国語学習者に日頃とは異なる発想の英文を提示して文体的な改善を支援してくれます。


しかしどの種類のAIプログラムを使うにせよ、文体的改善の判断は人間が下さなければなりません。機械翻訳プログラムや校閲プログラムを使って英語を作成している書き手は、そこに表れている英文をどのように文体的に修正すれば読みやすくなるかを考えなければなりません。他方、書き換えプログラムを使っている書き手には多くの書き換え例が提示されますが、書き手は今度は逆にその多様な例のどれを選んで良いのか戸惑ってしまうかもしれません。言うまでもなく、よくわからないまま適当な書き換え例を継ぎ接ぎしていったら、かえって支離滅裂な文体になるからです。AIが英語の文章作成を助けてくれるのは間違いありませんが、誰でも出力できるAIレベルの英文を超える英文を作成しようとなると、当たり前のことですがやはり人間が生身で身につけている力が必要になるのです。


これまでの英語教育では、リスニング、スピーキング、リーディング、ライティングのどの領域においても文体は優先されていなかったように思います。正解が一つに定まらなければならない多肢選択方式で評価することが多いリスニングは、文体的な差による微妙なニュアンスの違いを構造的に無視しています。スピーキングも客観的評価を重視すればするほど、形式的側面ばかりが重視され、文体などは二の次になってしまいます。リーディングもここ数十年来の文学軽視の流れと共に、文体の理解は軽視されているように思えます。ライティングにおいても少なくともこれまでは語法的正確さが優先され文体の指導はおざなりになっていました。


しかし文字通りの意味での記号処理はAIが大幅に支援してくれるわけですから、これからは文字通りの意味を超えたレベルで重要になる文体の感覚を人間が身につけることが大切になってきます。これが私の考える今後の英語教育の指針の二つ目です。そしてこの指針は三つ目の指針である身体的学びの重要性につながってゆきます。



■ 身体的な実感に基づく「身につく」学び


絶対的な正解がなく、人間がどちらが良さそうかを判断する際の基準は、身体的実感ではないでしょうか。ある人はそれを直感と呼ぶかもしれませんが、いずれにせよ、外部からの判断基準がない場合、人間は「こちらの方がしっくり来る」といった生身で感じる実感で判断を下します


英語学習者がAIの力を借りながらもAIを超える力を発揮するためには、学習者の英語知識は実感を伴う「身についた」ものでなくてはなりません。しかし現在の多くの英語学習者の英語知識は、表面的なものにすぎません。


単語を多く知っていると称する学習者も、実は正しく発音したり綴ったりできないことが多いものです。たいていの場合の学習者の単語知識は、その単語を見たときに単語帳に書かれてあった訳語を思い出せるぐらいの浅い知識です。単語の意味の深さや広がりをよくわかっていません。その語が他のどんな語と結びついた時に典型的な連語となるのか、特異的な連語となるのか、不可能な連語となるのかも知りません。正しい発音すらできないわけですから、その語の独特のニュアンスを込めた発声はまったくできませんし、そのような発声を聞いた時にその含意を理解することすら困難です。


単語の意味を身体レベルで感じたことがないわけですから、自分の身心の状態に即した単語を思い出すことが不得意です。学習者は、いざ英語を話すときには「こんな気持を英語でどう言えばいいのだろう」と焦ります。しかし日頃の英語の勉強では自分の気持と離れたところで形式的な勉強ばかりしているのですから、英語と自分の気持の間に対応関係がほとんど構築されていません。言語の形式的側面ばかりを測定する英語テストの高得点者が英語を話せないのは別に不思議なことではありません。


これからの英語学習は、形式的な記号処理のような学習よりも、自分なりにニュアンスも含めて実感できる学びを大切にするべきでしょう。英語が「身についた」と感じられるぐらいまでに深く英語を理解することを重視していけば、その「身についた」英語は自分の身の変化に応じて外に現れるでしょう。また、文体的な判断をする際には、その身についた感覚が判断基準となるでしょう


以上、GPT-3の文章生成能力、および機械翻訳や校閲や書き換えにおけるAIプログラムの飛躍的な進展を受けて、今後の英語学習はどのような指針をもつべきかについて私なりの考えを書きました。私なりの三つの指針は、「 "A true story"もしくは"an original story"を作り出すための英語力をつける」、「AIの力を借りながらAIを超える文体感覚を身につける」、「身体的な実感に基づく『身につく』学びを行う」でした。これらの指針を掲げることにより、英語学習はその質を変えざるをえません。英語学習は、「実世界の現実の知識と連動させる」「客観式テストでは測れない意味の微妙なニュアンスを大切する」「常に英語を自分の心身の状態と重ね合わせる」ものになってゆきます。AIが大きく人間社会を変えつつある今、学び方も大きく変わらざるを得ないのではないでしょうか。


とはいえ、以上に述べたことは現時点での私の仮説に過ぎません。私もこれからいろいろな経験を重ね仮説を変えてゆくでしょう。いや、それよりも大切なのは一人ひとりの学習者が自分なりの仮説を立て、自主的に自らの学びを進めてゆくことです。忙しい時間割の中で勉強していると、ついつい「勉強は単位のため」と思いがちです。しかし学びは本来自分のためのものです。学びの主体は自分自身です。知識社会では学びは生涯続きます。どうぞ皆さん、受け身の勉強に埋没することを止め、今自分は何をどのようになぜ学ぶのかを学んでください。学びの基盤は「学ぶことを学ぶこと」 (learn to learn) です



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ちなみに下の英文 (1051語)は、私がGPT-3に最初のPromptを入れた後、出てきたoutputにさまざまなpromptを継ぎ足しながらinputを繰り返して得たエッセイです。語法と文体はそれなりのレベルに達していますが、storyは後半グダグダになっています(まるで明確なアウトラインを定めないまま書き始めて、なんとか指定語数までレポートを完成させようとする学生が書いたエッセイのようです 笑)。いくら語法と文体が整っていても、ストーリーが駄目だと人に読んでもらえる英語にはならないことを示す一例ともいえるかもしれません。


他方、いくらストーリーが新発見の真実を伝えていたり、書き手独自の思考を示していたりするものであっても、文体が整っていなければ多くの読者を獲得し難いことは上で述べたとおりです。ライティングにおいて適切な文体感覚を行使するためには、リーディングでもスピーキングでもリスニングでも、英語の意味を広く深く実感することを通じて「英語を身につける」ことが必須であることも上に述べたとおりです。




Nuclear power generates electricity very efficiently for several reasons. First, nuclear power plants do not burn any fuel. This means that there are no emissions or pollutants released into the atmosphere. Second, nuclear power plants have a high capacity factor, meaning that they produce electricity a large percentage of the time that they are operational. Nuclear power is a very reliable source of electricity. In fact, it is one of the most reliable sources of electricity. Nuclear power plants have a capacity factor of about 90%, meaning that they produce electricity about 90% of the time that they are operational. This is much higher than the capacity factor of other types of power plants, such as coal-fired power plants, which have a capacity factor of about 50%. Nuclear power is also very efficient. Nuclear power plants generate about 3.5 times more electricity than coal-fired power plants per unit of fuel. This means that nuclear power plants use less fuel to generate the same amount of electricity as coal-fired power plants. 

Furthermore, nuclear power generation is more 'green' than other methods for two reasons. First, nuclear power plants do not produce any emissions or pollutants. Second, nuclear power plants have a very low carbon footprint. The carbon footprint of nuclear power is about 12 times lower than the carbon footprint of coal-fired power. For these reasons, many believe that more nuclear power plants should be built in regions, such as North America and Europe, that are struggling to meet their emissions targets. 

However, many activists strongly advocate for the abolition of nuclear power plants. They see the issue of nuclear power use from entirely different perspectives. One such perspective is that nuclear power is too dangerous and that it poses a serious threat to public safety. There have been several major nuclear accidents in the past, such as the Chernobyl disaster in 1986 and the Fukushima Daiichi nuclear disaster in 2011. These accidents released large amounts of radiation into the environment, which caused many deaths and illnesses. Furthermore, the waste produced by nuclear power plants is very dangerous and difficult to dispose of. Nuclear waste can remain radioactive for hundreds of thousands of years. There is currently no safe way to store nuclear waste, so it is often stored in above-ground facilities, which are vulnerable to terrorist attacks. 

Another perspective is that nuclear power is too expensive. The upfront costs of building a nuclear power plant are very high. Furthermore, the costs of decommissioning a nuclear power plant are also very high. Many believe that renewable energy sources, such as solar and wind power, are a better option than nuclear power. These energy sources are much cheaper and do not pose the same risks as nuclear power. 

Given these two opposing views, many countries seem somewhat disoriented about their power generation policy. To take one example, Germany, which has long been a leader in renewable energy, decided to phase out all of its nuclear power plants by 2022. However, many other countries, such as China and the United States, are still expanding their nuclear power programs. 

Can there be a global consensus about nuclear power generation? There are three arguments worthy of attention. First, the world needs to find a way to generate electricity without emitting greenhouse gases. Second, the world needs to find a way to generate electricity that is both reliable and affordable. And third, the world needs to find a way to generate electricity without posing a serious risk to public safety. Can nuclear power help the world achieve these goals? 

When this question seems unanswerable, there appears a new question, radically different from the past ones. It asks why we have to assume that more power generation is necessary. Many people feel baffled with this question, but it raises a number of critical points in ecology. We know that we have to find a way to generate electricity without emitting greenhouse gases. We know that we have to find a way to generate electricity that is both reliable and affordable. And we know that we have to find a way to generate electricity without posing a serious risk to public safety. But why do we have to generate more electricity? We already have more than enough. In fact, we have too much. We have more than enough electricity because we use it inefficiently. For example, we use a great deal of electricity to light our homes and office buildings even when there is no one inside. We use a great deal of electricity to power our computers and other electronic devices even when we are not using them. And we use a great deal of electricity to heat and cool our homes even when the outside temperature is just right. If we used our electricity more efficiently, we would need far less of it. And if we needed less electricity, we would generate less greenhouse gases. In other words, if we used our electricity more efficiently, we would be able to solve the problem of climate change. But we do not use our electricity more efficiently because we do not have to. We do not have to because we are only animals turbocharged with science and technology. Our desire never stops, and it does not have to because we have the means to fulfill it. That is why we have to find a way to generate electricity without emitting greenhouse gases. That is why we have to find a way to generate electricity that is both reliable and affordable. And that is why we have to find a way to generate electricity without posing a serious risk to public safety. 

To summarize, 

1. Nuclear power is a very efficient and reliable source of electricity. 

2. Nuclear power is also very 'green' because it has a very low carbon footprint. 

3. However, many activists strongly advocate for the abolition of nuclear power plants because they believe that nuclear power is too dangerous and that it poses a serious threat to public safety. 

In conclusion, the world needs to find a way to generate electricity without emitting greenhouse gases. The world also needs to find a way to generate electricity that is both reliable and affordable. And the world needs to find a way to generate electricity without posing a serious risk to public safety.


追記
以下は、GPT-3がまるで一夜漬けで試験対策した学生のように、内容的に誤った英語を生み出した例です。書かれている内容はまったくのデタラメではありませんが、現時点でのGPT-3はこのトピックについては十分なデータをもっていないようです。

Chomsky and Wittgenstein both share the view that language is a system of rules. However, their views diverge when it comes to the nature of these rules. For Chomsky, the rules of language are innate and universal. This means that all humans are born with the ability to learn any language. The rules of language are also unchangeable; they are determined by our biology and cannot be changed by our cultural conventions. In contrast, Wittgenstein believed that the rules of language are arbitrary and can be changed by our conventions. This means that the meaning of words is not fixed, but can vary depending on the context in which they are used. To be more specific, in his early work, “Tractatus Logico-Philosophicus,” Wittgenstein argued that the meaning of a word is its use in a sentence. This is similar to Chomsky’s view that the meaning of a word is its role in a rule-governed system. However, in his later work, “Philosophical Investigations,” Wittgenstein rejected this view, arguing that the meaning of a word is not its use in a sentence, but its use in a language game. This is where Wittgenstein and Chomsky differ; for Chomsky, the meaning of a word is fixed by its role in a rule-governed system, while for Wittgenstein, the meaning of a word is flexible and can be changed by our use of it in a language game.

"AI is an empowerment tool to actualize the user's potential."

  本日、「 AIはユーザーの潜在的能力を現実化するツールである。AIはユーザーの力を拡充するだけであり、AIがユーザーに取って代わることはない 」ということを再認識しました。 私は、これまで 1) 学生がAIなしで英文を書く、2) 学生にAIフィードバックを与える、3) 学生が...