少し前の4/15のThe New York Timesの記事(A.I. Is Mastering Language. Should We Trust What It Says?)では、人工知能 (AI) のGPT-3の性能に改めて驚かされました。
Steven Johnson
A.I. Is Mastering Language. Should We Trust What It Says?
https://www.nytimes.com/2022/04/15/magazine/ai-language.html
GPT-3に「ブライアン・イーノの音楽とイルカを比較しなさい」という、少し無理筋の課題を与えました。極めて単純化するなら、GPT-3は「次にどのような語・句・文が来るのか」という予測を、ビッグデータを機械学習した「知能」で行います。上の題は、現実世界ではあまりありえないような比較ですから、そのようなトピックにGPT-3がどのように文章を出力するかというのがポイントです。
GPT-3に入力した英文:
Write a paper comparing the music of Brian Eno to a dolphin.
その入力を受けて、GPT-3が出力したのが以下の英文です。
GPT-3が出力した英文:
Dolphins are aquatic mammals known for their intelligence, playful nature, and vocalizations that often sound like singing. Brian Eno is an English musician known for his ambient and experimental music. Both dolphins and Eno’s music often evoke feelings of joy and serenity.
Both dolphins and Eno’s music are often described as peaceful and calming. Dolphins use their vocalizations to communicate with each other, and Eno’s music is often described as being designed to create an ambience. Dolphins are often playful and interactive with humans, and Eno’s music is often played in public spaces to create a communal atmosphere.
Both dolphins and Eno’s music can be described as unique and innovative. Dolphins are one of the only animals known to produce echolocation, and Eno is known for his experimental approach to music. Both dolphins and Eno’s music often defy categorization, and can be difficult to define. ...
この記事の著者も言うように、アメリカの高校生でもこのトピックでこれだけのレベルの英文を書ける者はそれほど多くないでしょう。しかもGPT-3はこの英文を瞬時に出力したわけですから、私としてはことばを失う思いです。
AIは上のように先端的分野で進化を示しているだけではなく、多くの人に知られるようになった分野でも着実に進展しています。
たとえば音声認識です。私はたまたまあるツィートで知りましたが、Otterという英語音声の自動文字起こしアプリは、これまでの類似アプリよりもかなり性能を上げているようです。
Otterを使えば、英語講義を聞きながらスマホで文字起こし・録音し、家に帰ってそのクラウドデータを使って英語講義を文字テクストで復習し必要に応じて講義を聞き直すことができます。
英語学習相談FAQ:リスニング:どこでも英語音声を文字化したい
https://www.i-arrc.k.kyoto-u.ac.jp/english/consultation_jp_FAQ#frame-649
このようなアプリの使用にはもちろん講師の許可が必要ですが、こういった講義の参加方法が普及すれば、英語で行われる講義に関する動向が大きく変わるでしょう。
私の勤務校では多くの教養科目講義が英語で提供されていますが、残念ながらすべてのクラスが定員を満たしているという状況ではありません。英語で講義を聞き通すことをまだまだ難しく思っている学生が多いのもその大きな原因かと思います。
上は2つの例に過ぎませんが、近年これほどにテクノロジーが進展しながら、英語教育のあり方や学習者の英語力に大きな変化がなければ、それはどこかが決定的におかしいのではないかと思います。
ひょっとしたら、しばしば指摘されているように、テクノロジーの変化の速さが、人間・社会の適応速度を凌駕しはじめたのでしょうか。英語教育改善の障害は私たちの頭の固さなのでしょうか。
私としては、テクノロジーの進展をできるだけ活かしながら、しかしテクノロジー企業の食い物にならないように気をつけながら、英語教育の具体的な改善にこれからも努力してゆきたいと思っています。