2021/09/11

柳瀬陽介「教育実践を科学的に再現可能な操作と認識することは,実践と科学の両方を損なう」(シンポジウム:外国語教育研究の再現可能性2021)

 

この度、シンポジウム:外国語教育研究の再現可能性2021で発表させていただきます。

投影スライド(PDF版)はここからダウンロードできます。






スライドを完成した直後に、発表の予行演習を兼ねて説明を試みました。ご興味のある方は御覧ください。


概要はシンポジウムサイトに書いた以下の通りです(ただし、タレブに関しての引用は、まとめる時間がなく、今回は行いませんでした) 。


予稿
 
 本稿は、教育実践を自然科学的な意味で「再現可能」な操作と認識することは、実践と科学の両方の営みを歪めてしまうことを4段階で論証し、外国語教育研究は人文・社会的な論考法を発展させるべきだと主張します。第1に、発表者の実践を簡単に紹介し、実践者の思考法と実験研究者の思考法の類似点と相違点を示します(ショーン)。第2に、教育実践は、以下の点で、再現可能性を追求できるような科学的営みではないことを説明します。(1)複合性:関与する多くの相互作用が複雑すぎるため、単一あるいは少数の要因の有無により現象が再現するとは限らない(複雑性の理論)。(2)意味解釈:実践者のことばの意味には、さまざまな可能性が含まれるため、厳密な意味の同定が期待できない(ルーマン)。(3)実践者が獲得する知識・技能は、その人の人生がかかった人格的なものであり、無人格的な知識・技能として定義・伝達できるものではない(ポラニー)。(4)物語様式:実践者は、複数の人間の異なる認識と行動が同時並行的に共存するポリフォニー構造の中で思考し行為しているので、そもそも単一の視点だけから観察をする科学規範様式では実践の錯綜性が捉えられない(ブルーナー)。第3に、実践を科学化しようとする衝動の背景には、"publish or perish"といった社会的要因だけでなく、ことばを哲学的に誤用することにより、理想やモデルを現実と混同してしまう私たちの知的傾向があることを説明します(ウィトゲンシュタイン)。第4に、以上述べた理由にもかかわらず実践をあくまでも再現可能性を求めるべき操作と認識して行動する者は、現実対応が下手になることを述べます(神田橋)。そのように偏った実践を基に科学を構築しようとすることは「鳥に飛び方を教える」ようなものであり(タレブ)、科学の過剰適用(科学主義)です。以上の理由で、本発表者は、外国語教育研究は再現可能性を求めるべきとは考えません。外国語教育研究は、複合性・意味・人格性・物語といった特徴を前提とした論考の様式を発展させるべきです。(京都大学 柳瀬陽介)


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