2025/02/04

AI時代に「自分のことば」を学ぶ意味 (そして長い追記)

  以下の文章は、私がセメスター最後に授業の受講生に送ったメッセージの一部です。

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AI時代に「自分のことば」を学ぶ意味

(そして長い追記)

 

 

ChatGPTなどのAIの登場で、「これから自分が英語や他の外国語を勉強する意味があるのか」と悩む人は少なくありません。実際、AIは「よくある話」を整った文章にまとめるのが得意で、多くの作業を自動化できます。では、人間がわざわざ言語を学ぶ価値はどこにあるのでしょうか。

この短い文章では、「AIの言語生成」と「人間が紡ぐことば」の違いを整理します。その結論は、以下の通りです。

 

AIは一般的な人が作り出す「よくある話」の作成をほぼ代行できる。しかし、人間が「自分らしく生きる」ためのことばを紡ぎ出すことは、AIには代行できない。

 

この結論を支えるポイントおよびその含意を以下で説明します。

 

1. ことばは、「よくある話」ばかりを表現するのではない

普段、私たちは周りの常識や慣習を共有して過ごしているので、自分でも気づかないうちに「みんなと同じような言い方」や「定番の意見」を使いがちです。こうした表現はコミュニケーションをスムーズにする側面があります。しかし、深い思索や個性的な表現とは限りません。人間のことばは、「よくある話」のためだけに使われるわけではないということは決して忘れてはいけません。

 

2. AIは「平均的な表現」を得意とする

AIは膨大なデータを学習し、確率計算で次にもっともありそうな単語やフレーズを出力します。つまり、多くの人が使ってきた「よくある話」の表現を組み合わせるのが得意です。ですから、レポートで定番の意見をまとめる程度なら、人間よりもはるかに速く作ります。

 

3. 人間の「自分らしさに根ざした」ことば

一方で、人間には「人生をどう生きるか」「自分は何者か」を深く考えます。そして、そこからしか生まれないことばがあります。これは自分の過去や感情、未来への思いなどとつながった表現で、AIのように外からデータを集めるだけでは生み出せません。たとえば、「自分だけが語れる経験や物語」を伝えるとき、そこには身体的な実感や切実さがこもります。あるいは「自分こそが伝えなければならないこと」を語り始めると、そこには気迫が生まれます。歴史を振り返るとわかるように、そうしたことばこそが、人々に感動や共感をもたらし、社会を動かしてきました。私たちはそういった自分らしさに根ざしたことばを失うわけにはいきません。

 

4. どうAIを使えばいいのか

AIは、文法や綴り、一般的な表現のチェックに使うと効率的です。特に英語学習では、AIに書いた文章を見てもらい、文法修正や文体改訂案を提示してもらうことで、短時間で多様な表現を学ぶことができます。ですが、自分にとって大切なトピックや考えを見つけるのは自分しかできないことです。また最終的に「これこそ自分のことばだ」といえるかどうかも、AIではなく自分の判断にかかっています。英語を書く場合にお勧めする手順は以下の通りです。

  • まず自分で何を言いたいのか徹底的に考える
  • AIに文法や基本表現や文体の手助けしてもらう
  • 最終的には、自分が納得できる形で「自分のことば」として仕上げる

これが、英語ライティングにおいて、人間とAIをうまく組み合わせるコツと私は考えています。自分の心と身体から紡ぎ出すこと、そして外に出すことばに自分としての責任をもつことは放棄してはならないと思っています。

 

5. 大学生の学びと「自分のことば」

大学の学びは、単位を取るためだけの勉強に留まらず、自分の人生をどう生きるかを見つめ直す機会でもあります。AIが便利になるほど、逆に「自分らしい思いや考えを言語化する力」は貴重になります。英語や他の言語を学ぶのも、「他ならぬ自分が」世界や他者とつながるための表現手段を増やすためです。AIをうまく活用しながら「自分のことば」を豊かにしていってください。

 

. 結論

AIは「よくある話」を多彩かつ高速に生成できます。しかし、個々の人間が「自分らしく生きるため」に必要なことばは、AIには作れません。自分の過去の思考や感情と結びついた未来の目標つまりはあなたらしさと結びついたことばを学び、表現することは、人生で大きな力になります。AIをうまく活用しながらも、自分の思考や感情を大切にし、自分だけが語れることばをぜひ大切にしてください。

 

 

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情報開示:皮肉なことに、この文章は下の3段階で作成しました。(1) 私が英語教師のために書いていた文章をOpenAI o1 proに、「大学生のために書き直せ」と指示する。 (2) その書き直しのままでは専門用語が多すぎたので、「専門用語はわかりやすいことばに書き直した上で、文章を短くせよ」と指示する。 (3) その文章に私が手を入れる。この方法で圧倒的に執筆時間が短縮されましたが、その一方で私は大切な何かを失ったようにも思っています。自分の人生を駄目にしないためのAI使用倫理を自分自身で確立しなければと強く思います。倫理は、人ごとである以上に、自分ごとです。

 

追記:上の文章を昨晩完成させて、今朝起きたら、私が失った大切なものが何だったのかが少しわかったような気がしました。それは生きている実感です。

児童文学の傑作『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)は、ホームレスの少女モモが、「灰色の男たち」と呼ばれる時間泥棒の企みを阻止する話です。灰色の男たちは、いわば資本主義的生産体制の象徴です。彼らは、人々に少しでも仕事を効率化して多くの仕事を行うように仕向けます。結果、人々の生産力は高まりますが、人々は仕事に追われるばかりでやりがいを失います。短くなった生産時間で人々が人生を楽しむことはなく、人々はさらに生産力を高めるため働き続けます。人々は心の余裕を失い、お互いにギスギスしてしまいます。時間はもっぱら生産力向上のために使われ、人々は自らの人生を失っていきます。そんな『モモ』の話を思い出した私にとって、AIは灰色の男たちからの最新の提供物かとも思えてきました。

 上のような方法でAIを駆使して文章を作成すると、たしかに作成時間は短縮されます。ですが、その時間は私がまるで作業しかしていない時間のように思えます。今、この追記はさすがに自分で考えながら書いていますが、この瞬間には、自らの思考のリズム(緩急)やイントネーション(高揚)を実感できます。ことばを紡ぎ出す速度はAIと比較できないほど遅いのですが、その遅さの中で自分を振り返り読者のことを想うことができます。書く時の息遣いやタイピングの感覚も含めて、頭・心・身体が渾然一体となった時間が続きます。これこそは書くこと、あるいは書くという行為を通じて生きることだと思えてきます。この経験には何事にも替えがたい喜びがあります。AIの便利さにかまけて、このような経験―あるいは生きること―を忘れてはいけないと私は感じています。

 しかし、そういった書く経験は、今後、時代遅れで珍しいものになるのかもしれません。AIに文章を書かせてそれに少し手を入れることが当たり前になるかもしれないからです。

昨年末、私は勝海舟に再び興味が出てきて、何冊か本を読みました。勝海舟は、剣と禅の修行を行い、和書のみならず漢籍もオランダ語の書物も読みこなします。そういった素養をもとに、海外の要人とも交渉を重ね相互信頼を築きます。そんな彼も当時の人間の当然の嗜みとして毛筆で書をしたためます。私などにはとても書けない達筆です。「海舟を始めとした、当時の人には、こういった筆づかいができたのだ。こういった書道に必要な心の落ち着き、身体作法、そして時の静けさを現代人は失ってしまった」と私は悲しく思いました。

 タイピングで文章を作成するのが当たり前になった現代人が、毛筆で手紙を書いていた人々を称賛するように、それほど遠くない時代の未来人は、タイピングで一字一句を打ち出している私たち現代人を、「昔の人は、なんと丁寧に考えて書いていたのだろう」と称えるかもしれません。

AIは時代の不可避な流れです。資本主義生産体制が続く限り、人間はAIでますます効率的な生産を追求するのかもしれません。しかし現代人の一部にも、毛筆のよさを解し自らも書道を学ぼうとする人々がいるように、将来でも、自らの頭と心と身体を統一し、少しずつことばを紡ぎ出す文芸文化を大切にする人々が残ってほしいと私は心底願っています。

 AIで時代の変化が加速しました。これからの時代を生きる皆さんは、ぜひ真剣に、自分はどう生きるべきか、そして未来社会はどうあるべきかを想像し考えてください。


AI時代に「自分のことば」を学ぶ意味 (そして長い追記)

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