2021/01/26

仲潔 (2021) 「英語教授法をめぐる言説に内在する権力性」、榎本剛士 (2021) 「対抗するための言葉としての「コミュニケーション」」

 

柿原武史・仲潔・布尾勝一郎・山下仁 (編著)(2021) 『対抗する言語 -- 日常生活に潜む言語の危うさを暴く』(三元社)を仲潔先生と榎本剛士先生からご恵贈いただきました。本をいただくと、読まねばと思いながらもついつい目の前の仕事に追われるうちに、積ん読状態になってしまうことが多いのですが、本日は、逆に仕事が多すぎて、欲求不満が溜まってしまい、昼食後はしばらく仕事にならないからと自己弁護をして、お二人が書かれた章を速読しました。

以下は、その記憶を文章にしたものです。今後の自分の再読のためのメモとして、自分なりに抱いた問題意識について短く書きました。ご興味を抱いた方は、ぜひこの本をご自身でお読みください。



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仲潔 (2021) 「英語教授法をめぐる言説に内在する権力性」(pp. 239-272)


「よい英語教授法」あるいは「科学的英語教授法」というのは、メシの種になる。その実証や宣伝が「英語教育学者」や英語教育ビジネスの仕事となるからだ。

現実の学びの場では、教授法というのはたくさんある要因の1つであるし、その形もその場に合わせてどんどん変わってゆくものだが、そのように実際的で柔軟な態度を取っていたら、「売れる」理論はできない。だから「英語教授法」は、さまざまな要因を削ぎ落とした単純なものになる。

その単純化の中でまっさきに削ぎ落とされるのは、(それが何を意味するかはさておき)「普通の人」ではないとされた少数派である(注)。かくして次のような業界の「常識」ができあがる。

英語教授法は、言語を学ぶ上で身体的/知的/言語文体的レベルにおける障壁を持たない学習者たちが、「効果的」に目標言語を習得し得るという前提が横たわっている。理想化された学習者が、理想的な教授法によって理想的に習得していく姿が、客観的に観測され、その成果が測定可能であるという認識を共有しているのである。(p. 248)

かくして、その前提からこぼれ落ちる学習者は問題視される。英語教師は理想化された標準的な言動を取ることを英語教師としての成長と思い込む--真面目すぎるというのも考えものである--。授業は生身の人間が出会う場ではなく、学習マシーンへのプログラム・インストールの場のようになってしまう。

英語教授法がもつ「権力性」が引き起こすそのような営みに危機感を感じる人、あるいはもっぱら上のような作法で進む学会活動に退屈を感じ始めた人は、ぜひこの論文を読んでほしい。


(注)

ここで臆面もなく宣伝をしておくと、ひつじ書房から昨年末に出版された『英語授業学の最前線』という本の中で、私は「当事者の現実を反映する研究のために 複合性・複数性・意味・権力拡充」という章を書き、「平均人」という理想像ばかりを前提とする研究のあり方について解説をしました。よかったらぜひ読んでやってください。



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榎本剛士 (2021) 「対抗するための言葉としての「コミュニケーション」」 (pp. 275-299)


英語教育の業界で「コミュニケーション」ということばは、便利な符牒に成り下がっている。なんだかよくわからないけれど良い意味しかもたない。だからこそ、一部の識者は「コミュニケーション」という用語に侮蔑的な含意を込めて、英語教育業界を批判する。

だが、「コミュニケーション」ということばは、礼賛や嘲笑といった一面的な認識で片付けることばではない。この用語を深く掘り下げることで、見えてくるものがあると、コミュニケーションを理論的に語りながら英語教育を分析するのがこの榎本先生である。

榎本先生には、『学校英語教育のコミュニケーション論 ー「教室で英語を学ぶ」ことの教育言語人類学試論』という著書がある。博士論文を基に刊行されたもので、コミュニケーションについての理論的解明と、その理論的理解にもとづく授業観察研究を行っている。私はまだ一回しか読んでいないが、研究社の『英語年鑑2021年版』の書評では、冒頭で紹介した。このような本こそ、停滞する研究状況を刷新する力をもっていると信じているからだ。

だが業界のとある有力団体は、上の本の書評を見送った。難しい本なので、多くの読者の関心を引かないと考えたのだろうか。それならおよばずながら私がこのブログで何か書こうかと思いつつ、そのままになっていた。書くためには、この本に真剣に向き合わねばならないのだが、その時間と体力が取れなかったというのが、情けない実情だ。

だが、今回の出版のこの章は、上掲書の主張の中核を、一段階読みやすいことばで説明している。「コミュニケーション」を英語授業の現実を語ることばとして再生させようとしている。

「コミュニケーション」とは、標準テストで測られる4技能の合計ではない。どこかわからないとにかく華やかな「グローバル」な場で、日本人なら日本人がその「アイデンティティ」を頑なに誇示しながら生じる出来事でもない。コミュニケーションは、先立つコンテクストを前提としながら生じるものの、そこでは新たなコンテクストが創出される。参加者は、コミュニケーションに巻き込まれ、刻一刻と変容するコミュニケーションの一部として存在する。コミュニケーションとは、社会的であり実存的な過程である。

・・・と説明されても「???」と思う人もまだ多いかもしれない。しかし、何かを直観的に感じたら、ぜひこの章を読んでほしい。「売れる」あるいは「バズる」言説ばかり読んだり書いたりしていたら、私たちは大切なものを失ってしまう。





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