2020/12/28

瀧田寧・西島佑(編著) (2019) 『機械翻訳と未来社会』 社会評論社

 

私は機械翻訳が今後の英語教育のあり方を根本的に変えると考えています。というより変えなかったら、英語教育は悲惨なものになると思っています。ですから、およばずながら機械翻訳に関する本を読もうとしています(しかし本を読む時間がない!)


ここでは本書の中で特に面白かった第二章(瀬上和典「機械翻訳の限界と人間による翻訳の可能性」)を読んで勉強になった箇所を抜書きしておきます。


瀬上先生の基本的主張の1つは、機械翻訳に関して、理系と文系の間での交流がほとんどないということです。理系では信じられないぐらいスピードで機械翻訳研究が進展し、文系では地道ながらもトランスレーション・スタディが進められているのに、両者の知見がなかなか交わらないことは残念なことです。


文系の研究者として、瀬上先生は、トランスレーション・スタディで注目されている「創造翻訳」 (transcreation)「厚い翻訳」 (thick translation) が、今後の人間による翻訳と機械翻訳のあり方を考える上で重要な概念としています。極めて異なる文化間での翻訳を行う際にある意味、換骨奪胎してしまう創造翻訳や、異文化間の溝を埋めるための注釈を徹底的に補う厚い翻訳こそが、これから人間が注目すべき翻訳というわけです。



Wikipedia: Transcreation

https://en.wikipedia.org/wiki/Transcreation


ウィキペディア:トランスクリエーション

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3


Wiktionary: thick translation

https://en.wiktionary.org/wiki/thick_translation



たしかに実用目的の翻訳では創造翻訳が、学術目的では厚い翻訳が有益です。また、特に創造翻訳に関しては、英語から日本語への翻訳では、明治前期などを中心に多くの実践が積み重ねられてきました。しかし、これまではこれらの種類の翻訳は、追加的なものと考えられてきました。ですが、機械翻訳により文字から文字への翻訳が容易になるにつれ、この種の翻訳こそは、人間の翻訳者が力を注ぐべきものとなってくるでしょう。


創造翻訳や厚い翻訳は、テクストを超えた広い背景的理解がなければ無理なものです。書き手と読み手それぞれの文化およびそれらの差異、テクストが果たそうとしている機能の受容のあり方などを理解した上で、それを明文化することは、関連する事項が多岐にわたり複雑に絡まっているので、当面は機械による翻訳は難しいといえるでしょう。



瀬上先生の論点でもう1つ面白かったのは、身体で感じる翻訳の「快感」を扱ったところです。瀬上先生は、村上春樹 (1997, pp.68-70) の述懐を引いて、翻訳の「快感」は、まったく違う体系の2種類の言語を扱う中で、翻訳者の思考法が変容を受け、翻訳した文章にも瑞々しいリズムが生まれてくることだとしています。


村上春樹のこの述懐は、「次々に翻訳作品を出版する村上は、実は誰か他の人が日本語に訳した下訳を使っているのではないか」という疑念に対して、彼がそれを否定するために出したものです。


「下訳」からの翻訳出版は、機械翻訳が出力した英語(もしくは日本語)を読んで、それを少し補正しながら使うことに相当するかと考えられます。


これから英語教育でも、学習者に本格的に機械翻訳を使わせる局面も出てくるでしょう。しかし、電卓が普及してからも、小学校での算数では手計算させるように、ある程度の頭のOSの変換ともいうべき、直接的に身体で経験する異言語・異文化体験をさせておくべきでしょう。さもないと、機械翻訳導入は、機械翻訳を通じて表面的には異言語・異文化をわかったように思い込ませつつ、実は深いところで異言語・異文化を理解させることができないようにしてしまうかもしれません。

そのことは同時に、自言語・自文化の枠組みから一歩も出ることもないし出ようともしない頑なな知性ばかりを生み出すことにつながりかねません。そうなれば、外国語教育は、長期的な教育的・社会的意義を失ってしまうかと思います。



「異言語・異文化体験をしたつもり」といった事態を、かつてダグラス・ラミスは「自分自身は濡れないでガラスごしに海の中を疑似体験する」ような「潜水艦の旅行」であるとも表現したそうです。機械翻訳は、他言語圏の人間とのコミュニケーションを促進するものの、その異言語・異文化を、自言語・自文化に引きずり込み、他者の他者性を捨象してしまう「暴力性」を有するとも瀬川先生は説きます。(p. 157)



ちなみに誤解のないように言っておきますと、私は冒頭にも述べましたように、機械翻訳は積極的に英語教育に導入すべきだと考えています。しかし、その導入が、英語教育に関する産業界や研究界にとっての新たなミニバブル(「商機到来!」)として無批判的になされることを怖れています。


これからも機械翻訳については、積極的に考え新たな実践を生み出しそれを改善してゆきたいと思っています。





関連文献

村上春樹 (1997) 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』新潮文庫 


関連記事

社会評論社 目録準備室

特集『機械翻訳と未来社会』

https://www.shahyo.com/?cat=589



追記

坂西優・山田優 (2020) 『自動翻訳大全』(三才ブックス)は現時点で、英語を始めとした言語のリーディング・ライティング・リスニング・スピーキングなどでAIが人間に対してどのような支援をしうるのかの情報をまとめた本です。


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