今年度、私は毎週の授業課題締切日に受講学生にメールを出して、出し忘れがないように催促をしています。ただの催促では味気ないので、毎週「気になる英語」というコラムで、The New York Timesなどで目にした英語に日本語の小見出しをつけて、学生さんの知的関心を広げようとしています。
以下の文章は、今週のメールに掲載したものです。通常は>>>から<<<までの部分だけなのですが、今週の話題は私の趣味性が強いものなので、それ以降に文章を付け加えました(また、忙しい学生さんの邪魔にならないように、このコラムはいつものようにメール冒頭にもってくるのではなく、末尾に掲載しました)。
ただ、「西洋の近代的構成感を直感的に理解する一つの方法は、ベートーベンの交響曲第5番を聞くことだ」というのは私の長年の持論なので(苦笑)、文章をまとめ、それを(厚顔無恥にも)このブログに掲載する次第です。
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>>>気になる英語
ベートーベンは伝統的な形式が解体するまでそれを極めた
Beethoven was one of music’s most passionate and disruptive forces. He simultaneously glorified the traditional forms -- symphony, sonata, quartet -- and pushed them to the breaking point.
By Armando Iannucci
https://www.nytimes.com/2020/12/02/arts/music/five-minutes-classical-music-beethoven.html
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今から250年前の今月(12月)にベートーベンは生まれました。生誕250年を祝していろいろなイベントが行われていますが、The New York Timesは、人気の「5分シリーズ」でベートーベンの音楽の素晴らしさを紹介しています。
5 Minutes That Will Make You Love Beethoven
https://www.nytimes.com/2020/12/02/arts/music/five-minutes-classical-music-beethoven.html
今年は奇しくもビートルズ結成50周年でもあります。数十年前のビートルズの曲を私も含めたファンは今だに新鮮な感動と共に聞き続けています。おそらく彼らの曲の中には、今後も末永く残り続ける曲も出てくるでしょう。
そうやって200年以上も残り続けているのがベートーベンの曲です。
上の引用は、NYT記事の執筆者の1人のことばです。その人はこの文章と共にピアノ協奏曲第4番を推薦していますが、私がこの文章を読んで真っ先に思ったのは、彼の最後のピアノソナタ(第32番)です。その最終楽章はもはやジャズです。ベートーベンの創造性と音楽の力には本当に驚かされます(そしてその驚きを伝えてくれるのが、ポピュラー音楽でいうところの「カバー」を行う現代のクラシック音楽演奏家です)。
この記事には、推薦曲を連続して聞くことができるSpotifyのPlay Listもありますから、アプリをお持ちの方はぜひ一度、聞いてみてください。選曲のセンスは非常にいいと思います。
ついでながら書きますと(すみません、今週は好きな音楽の話題なので非常に長くなっています)、私はかねがね、ベートーベンの交響曲第5番は、西洋の(特に啓蒙の時代の)近代的知性を象徴するともいえる作品だとも思っています。
アカデミック・ライティングでも、テーマの統一性 (unity) やテーマのつながりのよさ (coherence) の重要性を説きますが、この曲でも最初の有名な「ジャジャジャジャーン」のテーマが、曲全体を知らせるいわば "topic sentence" になっています(と同時に、聴衆の心を鷲掴みにする "hook"ともなっています)。
そのテーマは統一感を保ったままどんどんと発展してゆきます。ライティングの "story telling" でも読者の心の動きを重視しますが、この交響曲も聞き手の心を掴んでそれを最後まで動かし続けます。その心への働きかけを可能にしている音楽の展開とつながりは見事です。圧巻は、第3楽章から第4楽章への移行です。ここには楽章間には通常ある休止がなく、連続して演奏されますが、聞き手はそこで楽章が変わったことを明らかに実感することができます("discourse marker"や改行といった通常の工夫を一切しないのに、段落が変わったことがわかる達意の文章と喩えることも可能でしょう)。このつながりは見事で、このイメージを覚えておくことは人生の宝の一つとなるといっても過言ではないでしょう。
日本的な感性でしたら、たとえば武満徹の交響的作品(例:November Steps) のような広がりとつらなりを好むのかもしれません。武満の曲は、西洋的感性からすれば統一感と構成感の欠如とも思えるかもしれません。しかし逆に言うなら、武満的な感性の持ち主にとっては、西洋近代的な構成感覚はやや異物のように思えるでしょう。
しかし、現代は、西洋近代の遺産を基盤としている時代です。そのような状況では、たとえ非西洋的文化圏に育った者も、西洋近代の統一感や構成感を理解し、その良さを実感することが重要でしょう。ライティングといった知的な営みにも、そういった美的感性が根づいています。その意味で、ベートーベンの交響曲第5番はぜひ一度、最後まで聞いてみてください。(ただし下の演奏は名演ではありますが、このYouTubeアップロードは音質はあまりよくありません。名曲・名演だけにきちんとした媒体で聞きたいものです)。