2019/08/27

Lisa Feldman Barrett (2018) How Emotions Are Made: The Secret Life of the Brainの五章(「概念、ゴール、ことば」)のまとめ



この記事は前の記事の続きで、Lisa Feldman Barrettホームページツイッター)のHow Emotions Are Madeの第五章「概念、ゴール、ことば」 (Concepts, Goals, and Words) を私の関心にしたがってまとめたものです。

著者によりますと、この本の翻訳が紀伊國屋書店から発行される予定だそうですが、私としてはこの本を非常に面白く読みましたので、いつものように「お勉強ノート」をつくっている次第です。




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概念 (concept)
 概念とは、人が感知するあらゆる感覚信号 (sensory signals) を意味ある (meaningful) ものにして、それが何に由来し何を指し自分はどのように対応するかの説明を与える (an explanation for where they came from, what they refer to in the world, and how to act on them. p. 86)ために脳が作り出すものである。概念なしには世界は常に変動するノイズになり、何がなんだかわからない状況になるだろう。
 つまり概念とは、古典的(辞書的)概念観が示唆するように脳内の固定的な定義 (fixed definitions) ではなく、もっとも典型的なあるいはよくある事例であるプロトタイプでもない。概念とは、今自分がいる状況におけるゴール (goal) にしたがうならば似たものとしてまとめられると脳が判断した多くの事例 (instances) である。(pp. 89-90)
 概念はゴールに基づいている非常に柔軟に状況に適応するものである。「概念は静的ではなく、非常に可塑的で文脈依存的である。なぜならゴールは状況に適応するために変わりうるからである」 (Concepts are not static but remarkably malleable and context-dependent, because your goals can change to fit the situation. p. 91)

GlossaryGlossaryは、 “concept” を単に「ある目的のために似たようなものとして取り扱われる事例の集まり」と説明しています。

Categoryとの違い:従来はconceptは人が作り出すもので、categoryは世界に備わっているものとされていたが、著者は前者を人の知識、後者をその知識でもって語る事例と区別している。(p. 87)

ゴール (goal)
 たとえば「怒り」という情動概念 (emotion concept) は、すべての状況で一つの同じゴールを有しているわけでもない。「怒り」のゴールあるいは目的にはさまざまなものがあるだろう。 (p. 101)

補足:これは、「怒りのゴール」も概念であり、多くの事例から構成されていると考えれば理解しやすいだろう。

他人の心を利用して学習する
 概念を学ぶ際に、人間は単細胞生物でも行う統計学習 (statistical learning) だけでなく、自分の周りにいる人々の心 (minds) に存在している情報を利用して学ぶ。 (p. 96)

補足:別のことばを使えば、人間は個人学習としての統計学習を行うだけではなく、社会的学習・文化的学習を行うということであろう。ヘンリックは、この文化的学習が人間を他の動物とは異なるものにしたと考えている。

関連記事
ジョセフ・ヘンリック著、今西康子訳 (2019) 『文化がヒトを進化させた』白楊社、
Joseph Henrich (2016) The secret of our success. New Jersey: Princeton University Press

ことば (words)
 語り (speech) は、他人の心にある情報にアクセスするための方法の一つである。(p. 97) 概念の諸事例はしばしば外見を大きく異にしているが、ことばが使われることによって、幼児は周りの大人の心の中にある、概念に基づく心的な類似性 (mental similarities) に注意を向けることができる。ことばは、あたかも子どもに「これらの外見は異なるけれど、心の中ではあるものに対応しているんだよ」と語りかけているようだ。もちろんこの「あるもの」とはゴールに基づく概念 (goal-based concept) である。ことばは幼児にゴールに基づく概念を形成することを促し、さまざまな物事を等価物として表象することを可能にする (Words encourage infants to form goal-based concepts by inspring them to represent things as equivalent. p. 98)

子どもに向けて語られることば
 ことばは、子どもが物理的な本質条件も有せず多様である概念を学ぶ際の鍵となるものであるが、ことばそのものにそのような力があるのではない。そのような力をもつのは、子どもの身体変容性ニッチ (affective nich) に向けて周りの大人が語りかけることばである。

身体変容性ニッチ:わかりやすくなら「人の心身に訴えてくるもの」「興味関心をひくもの」ぐらいであろう。詳しくは前の記事を参照。

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補足:この論点は、いわゆる「英語のシャワー論」(=周りで英語の音声を流しておけば、いつのまにか英語が習得できる)への反論となっている。聞いている者の心身が自ずと注意を払うような事柄について語られたことばこそが、そのことばの概念および語形の習得に役立つわけである。
 英語のシャワー論まではいかないものの、単語学習については未だに「何度も繰り返して単語帳を暗記すれば単語は覚えられるし、ひいては使えるようになるはずだ」といった信念を多くの英語教師が抱いていることについては辟易する。彼・彼女らは自分自身が英語を使わない・使えないからそのような信念を抱いているのだろうか。それとも丸暗記学習は学習者の管理のために非常に便利だからそのような信念を抱いているのだろうか。いずれにせよ、情動レベル・身体で感じるレベルで学習者の興味関心を引くことの重要性は強調してもしすぎることはない。

社会的実在性 (social reality)
 ことばによって形成された概念は社会的実在性を有するといえる。複数の人間が、心的なものが実在する (something purely mental is real) ことに同意することが人間の文化と文明の基礎をなしている。 (p. 99)

一人の心を作り出すには複数の脳が必要
 遺伝子が可能にしているのは、脳が物理的・社会的環境に応じて自分を書き換える (wire itself) ことにすぎない。周りの人々、あるいは文化こそが、概念に充ちた環境を維持し、それらの概念をあなたに伝えることによってあなたがこの環境で生きることができるようにしているのだ。後にあなたも次の世代の脳にあなたの概念を伝えることになる。一人の心を作り出すには複数の脳が必要なのだ (It takes more than one yhuman brain to create a human mind. p. 111)

情動も概念によって作り出される
 情動は、人がもっている情動概念を使って、自分の身体も含む世界に由来する物理的な信号 (physical signals) を元にして作り上げた (construct) 情動的な意味 (emotional meanings) を反映している。この情動概念の多くは、その人のことを気にして語りかけ、社会的世界 (your social world) を形成することの手助けをしてくれた人々の脳内にある集合的知識 (collective knowledge) から獲得したものである。 (p. 104)

補足:蛇足だが、ここで情動概念(および概念一般)は、心理的なものであると同時に社会的であり、個人的でありながら集合的でもあり、生物的・生理的であると共に認知的でもあることが示されているといえよう。

ことばなしでも概念は学べる
 ことばがあった方が概念の学習が容易になるのは当たり前だが、人は既知の概念を組み合わせること (概念結合 conceptual combination) により概念を学ぶことはできる。例えば多くのアメリカ人はドイツ語の Schadenfreude という語・概念を知らないが、それが示す経験を認識することはできる。 (pp. 104-105)

補足:外国語の概念を学ぶ際には、最初は母国語の概念をそのまま適用させたり組み合わせるだろうが、最終的にはその学習者の興味関心に即したコミュニケーションに参加することでその概念を習得すると言えよう。その習得した概念が「母国語話者の概念とまったく同じかどうか」といった論考に意味がないのは、概念が状況ごとのゴールに基づき、親族的類似性でもってまとめられることを思い起こせば理解できるだろう。もちろん両者にある程度の類似性が必要なことはいうまでもない。

概念の学習と使用は個人において全身的で全生涯的であるだけでなく、個人を超えて社会-歴史的でもある
 概念を学ぶ時、とりわけ情動概念を学ぶ時は、出来事を五感および内受容 (interoception) の感覚すべてを統合する。その概念を用いる時にも脳はそれらすべての感覚を考慮に入れる。 (p. 108)

補注:以上の意味で概念の学習と使用は全身的である。また、五感および内受容にはその人がそれまでの生涯で経験した記憶が伴うわけであるから、その意味で概念の学習・使用は全生涯的である。このように概念学習・使用は全身的・全生涯的に個人に関わっているが、周りの人々のそれまでの知識と経験が関与しているので社会-歴史的でもある。

他人に情動を認めるということ
 あなたは他人の顔に情動を見つけたり認識したり (detect or recognize) しているのではない。自分自身の身体の生理学的パターンを認識しているのでもない。あなたが行っているのは確率と経験に基づいてこれらの感覚の意味を予測し説明しているのである。 (You are predicting and explaining the meaning of those sensations based on probability and experience. pp. 108-109)

補足:ここからやや強引に一般化するなら、「認知とは自らの経験に基づいて、すべての感覚が意味することを予測し説明すること」となるだろう。


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2019/08/23

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この記事も「お勉強ノート」で、Lisa Feldman Barrettホームページツイッター)のHow Emotions Are Madeを、あくまでも私個人の関心に即してまとめたものです。とりあえず4章までの論点を書きました。

私はこれまで主にダマシオの論に基づいて情動 (emotion) について理解をしてきましたが、このバレットの本は情動について新たな理解を与えてくれています(まだ最後までは読み切れていませんが・・・苦笑)。記憶が新しく夏休みで比較的時間が取れるうちにまとめておこうと思った次第です。

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Damasio (2018) "The Strange Order of Things: Life, Feeling, and the Making of Cultures”


私が知る限りこの本には翻訳書がないので、以下は私なりに訳語を作ってまとめたものです。訳語を決める際には以下のサイトを参考にしましたが、私は神経科学を専門にしているわけではないので、いつものように誤りを怖れます。もし誤りがありましたらご指摘いただけたら幸いです。


How Emotions Are Made: Glossary

脳科学辞典

ライフサイエンス辞書






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指紋 (fingerprint)
 古典的な情動観 (the classical view of emotion) は、喜びや怒りといった情動には「指紋」があると想定している。(p. 3) この表現はもちろん比喩であり、Glossaryは「人が経験している情動を特定するのに十分な身体的変化の特異のパターン(顔、身体、声、脳)」 (a distinct pattern of physical changes (in the face, body, voice, and/or brain) that is said to be sufficient to determine which emotion someone is experiencing) と説明している。この古典的な考えが誤りであることを踏まえた上で著者が提示しているのが情動構築理論 (theory of constructed emotion) であり、その概要を以下で示す。

一つ一つが異なるのが正常
 数々の実験や調査が示しているのが、例えば「怒り」といった情動は、さまざまな機会や状況においても、ある個人の中でもさまざまな人間の中でも、実にさまざまな身体的反応 (bodily responses) を生み出したということである。すべてが同一であることではなく、一つ一つが異なることこそが正常な状態なのだ (Variation, not uniformity, is the norm) (p.15)

情動は、多様な事例を含むカテゴリーと考えるべき
 怒りや怖れや幸福といった感情は、それぞれが一つの感情であり、それぞれに指紋(=本質的特徴)があると考えるのではなく、多様な事例を集めた集合であるという意味で情動カテゴリーとして考えるべきだ (What we colloquially call emotions, such as anger, fear, and happiness, are better thought of as emotion categories, because each is a collection of diverse instances)(p. 23)

母集団思考 (population thinking)
 ダーウィンに由来する母集団思考 (population thinking) によるならば、動物の種 (a species of animal) といったカテゴリーは、中核に本質的条件をもたない互いに異なるそれぞれ独自の構成員から構成される母集団である (A category, such as a species of animal, is a population of unique members who vary from one another, with no fingerprint at their core.)。カテゴリーは抽象的で統計学的な用語として集団のレベルで記述できるだけである (The category can be described at the group level only 3.13人から構成されるアメリカ家庭が存在しないように、平均的な怒りのパターンと同じ怒りの事例はない。「指紋」はステレオタイプだと考えるべきだろう。 (p. 16)

訳注“Population Thinking”には「集団的思考」や「集団科学的思考」といった訳語も充てられているようですが、これは個々の事例を統計学的に抽象化した上で議論する考えだと私は理解したので「母集団思考」と訳しました。

なお、調べる中で、次の短い記事は面白かったので、以下にその一部を翻訳します。

Population Thinking by Dan Sperber

種は進化し、古い特徴が消え、新たな特徴が生じることがある。母集団主義者的観点(a populationist point of view)からすれば、種とは有機体の母集団 (a population of organisms) である。これらの有機体は、共通の「性質」 (a common “nature” ) によってではなく、血統においてつながっている (related by descent) から特徴を共有 (share features) している。このような理解に基づく種とは、時間的には連続しているが、地理的には分散した存在 (a temporally continuous, spatially scattered entity) であり、時間がたつにつれ変化するものである。.

母集団思考は容易に生物学の枠を越え、文化進化にも適用された。(Peter Richerson, Robert Boyd, and Peter Godfrey-Smithの議論を参照せよ)。文化的現象 (cultural phenomena) は母集団として考えることができる。それを構成する諸現象 (members) は、互いに影響を及ぼし合うから特徴を共有している。とはいえこれらの現象は有機体のように子孫を残すわけでも他の有機体のコピーとなるわけでもない (they do not beget one another the way organisms do and are not exactly copies of one another)。三つの例をあげよう。

(word)、たとえば「愛」とはなんだろう。語は、通常、音と意味を結合する言語の基礎的単位だとされている。確かにそう考えることはできるが、そのように理解された語は抽象概念であり因果力はもっていない (an abstraction without causal powers)。原因と結果を有しているのは「愛」という語の具体的な使用だけである。語を発語することがもつ原因の一つとして話者の心的過程 (mental processes) があり、結果の一つとして聴者の心的過程がある(ここではホルモンやその他の生化学的過程については割愛する)。 この話すという出来事 (speech event) は別の時間スケールで、話者と聴者が「愛」という語を発語し理解する能力を獲得した昔の様々な出来事と因果的に関係している ( is causally linked, on another time scale, to earlier similar events from which the speaker and listener acquired their ability to produce and interpret “love” the way they do)。この語はこういった習得と使用のエピソードを通じて言語共同体の中で残り続けるし変化も受ける (The word endures and changes in a linguistic community)

ゆえに「愛」という語は、人々および人々が共有している環境の中で因果的につながった出来事の母集団として研究できる。この母集団は数知れないほど多くのそのような出来事から構成されているが、それぞれは異なる文脈で生じてそれぞれの瞬間に適切な意味を伝えている。それにもかわらずこれらの出来事は因果論的に関係している。「語」についての学術的・非学術的な議論も、その語の意味も、それぞれが「愛」の母集団の周縁部で進化する心的・公的なメタ言語的出来事を構成する (Scholarly or lay discussions about the word “love” and its meaning are themselves a population of mental and public meta-linguistic events evolving on the margins of the “love” population)。すべての語も同じように、単なる言語の抽象的単位と考えないこともできる。語を心的・公的出来事の母集団と考えるのだ(All words can similarly be thought of not, or not just, as abstract units of language, but as populations of mental and public events)。

なお、この母集団思考はウィトゲンシュタインの「親族的類似性」 (family resemblance) と重なるところの多い概念であることは言うまでもないでしょう。

関連記事
ウィトゲンシュタイン『哲学的探究』の1-88-- 特に『論考』との関連から
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/01/1-88.html

追記(2019/10/03)
その後、この "population thinking"は「個体群的思考」と訳した方がいいのではないかとも思えてきました。少しずつ勉強を重ねてゆきたいと思います。

情動の一事例 (an instance of emotion)
 喜びといった情動はカテゴリーであり、私たちがそれを経験したと感じる・認識した場合は、「喜び」という情動そのもの(あるいはカテゴリー全体)を経験したのではなく、その情動の一事例 (an instance of emotion) を経験したのである。したがって「喜び」といった概念あるいは語は、情動カテゴリー (emotion category) として考えるべきである。 (p. 39)

縮重 (degeneracy)
 ある感情カテゴリー(たとえば「怒り」)に共通して活動しているニューロン集合 (a set of neurons) (=「怒り」の指紋となるニューロン集合)が存在しないことは、神経科学の縮重 (degeneracy) によって説明できる。縮重とは「多くが一つに」 (many to one) ということであり、ニューロンのさまざまな組み合わせ (combinations) が同じ結果(outcome) を出しうるということである。(p. 19)

コアシステム (core systems)
 縮重の「多くが一つに」とは反対の「一つが多くに」の働きを示すのが脳のコアシステムである。一つのコアシステムは多くの種類の心的状態を生み出すことに関与 (participate) している。(p. 19)

等機能性 (equipotentiality) ではない
 しかしいかなるニューロンもいかなる機能をもつといった等機能性を主張しているわけではないことには注意されたい。(p. 19)

内受容 (interoception)
 内受容とは、内部器官・組織、血中のホルモン、免疫システムなどでのすべての感覚を脳が表象したものである (Interoception is your brain’s representation of all sensations from your internal organs and tissues, the hormones in your blood, and your immune system) 。内受容は、情動の中核的要素 (the core ingredients of emotion) であるが、その情動を感情として知覚したものは、喜びや悲しみといった情動よりもはるかに単純な、快-不快や平穏-興奮 (from pleasant to unpleasant, from calm to jittery) あるいは特に何でもない (completely neutral) といった非常に単純なものにすぎない。 (p. 56)

固有脳活動 (intrinsic brain activity)
 私たちが生まれてから死ぬまで、外からの刺激があろうとなかろうと、私たちに意識があろうとなかろうと、脳においては常にニューロンが互いを刺激している。

固有ネットワーク (intrinsic network)
 固有脳活動は固有ネットワーク (intrinsic network) で行われるが、この固有ネットワークは常に同じニューロンによって構成されているわけでなく、スポーツでプレーをするメンバーがしばしば代わるように、異なるニューロンがネットワークを構成する。 (p. 58)

固有脳活動が行うこと
 固有脳活動は、心臓や肺を動かしたりすることだけでなく、シミュレーションとして総括できる夢、白昼夢、想像、注意散漫 (mind wandering)、空想 (reverie)といった経験を可能にしているだけでなく、内受容の経験も可能にしている。

補記(2020/02/14):その後出た翻訳書では、「内因性脳活動」と「内因性ネットワーク」という翻訳語が使われていました。

予測 (prediction)
 頭蓋骨の中に閉じ込められた脳は断片的な情報から、今何が起こっているかを知らなければならないが、その時に脳が行っているのは予測である。脳は、過去の経験を参照しながら、微細な (microscopic) なレベルでのニューロン同士の更新を行い、現在起こっているのは何なのか、次には何が起こりそうなのかを予測する。 (p. 59)

予測がなければ生存は困難
 莫大な情報を帯びた複合的な世界の中で生き残るには、何らかの刺激を得てから行動するのでは遅く、常に予測していなければならない。 (p. 59)

「自由意志という幻想」 (“the illusion of free will”)
 予測は脳内で常に行われるので、次の行動も本人が自覚する前からその開始のための準備が脳内で行われている。このため実験をすれば意志より前に次の行動のための脳内活動がなされていることが判明する。 (p. 60)

身体の動きは身体内の動きを常に伴う (Any movement of your body is accompanied by movement in your body)
 身体が動けば、呼吸にせよ血流にせよ身体内に必ず何らかの変化が生じる。(p. 66)

脳内の内受容ネットワーク
 内受容ネットワーク (interoceptive network)は、身体内の変化を内受容の変化として捉える。(p. 66)

脳にとって身体は世界の一部である
 頭蓋骨の中に閉じ込められた脳からすれば、身体は説明することが求められている世界の一部である。 (p. 66)

内受容ネットワークを身体予算領域と一次内受容皮質の二つで考える
 単純な説明として、内受容ネットワークを身体予算領域と一次内受容皮質の二つで考えよう。(p. 67)

身体予算領域 (body-budgeting region)
 身体予算領域は、身体が次にどのように動くかの予測に基づき身体各部にそのために必要な内部環境 (internal environment) を整える命令を出す領域である(身体予算領域とは比喩に基づく用語であり、これは「辺縁」領域とも「内臓運動」領域 (“limbic” or “visceromotor” region)とも呼ばれる)。(p. 67)

Glossary “body budget” は、「脳が、身体内でどのようにエネルギーを振り分けるかということに関するメタファー。科学的にはアロスタシスと呼ばれる」 (a metaphor for how your brain allocates energy resources within your body. The scientific term is allostasis)と説明されている。

一次内受容皮質 (primary interoceptive cortex)
 内受容ネットワークの二つ目の領域は、一次内受容皮質であり、これは内受容の感覚を脳に表象する働きをもつ。 (p. 68)

内受容予測 (interoceptive prediction)
 身体予算領域と一次内受容皮質は予測ループ (prediction loop) を構成する。身体予算領域が次の動きとそれに必要な身体資源を予測(内受容予測)すると、一次内受容皮質はその予測と実際の身体内の感覚を比較し、予測エラー (prediction error) を修正し、内受容感覚 (interoceptive sensation) を完成させる。 (pp. 68-69)

情動を生み出すのは身体予算領域
 情動 (emotion) は身体予算領域から生じる。こおで大切なのは、身体予算領域が情動に反応 (react to emotion) しているのではなく、身体予算領域が視覚・聴覚・思考・記憶・想像などと並んで、情動を予測し準備しているということである。 (pp. 69)

情動が個人的に意味あること (personally meaningful)になる
 身体予算領域を活性化し最後には情動を発動させる出来事が個人的に意味あることとなる。

補足:予めどこかに「意味」があって、それが情動を引き起こすのではない。身体内に動きが生じることによって意味が生じるのであり、この点からすれば意味は常に身体的である。(p. 70)

身体変容 (affect)
 さまざまな情動に分化する以前の根源的な内受容を感じること (feeling) は、身体変容と呼ばれる。身体変容には直観 (intuition) や虫の知らせ (gut feeling) も含まれる。身体変容は、快-不快に関する快適価 (valence) と、平穏-興奮 (calm or agitated) に関する覚醒価 (arousal) の二つの次元をもつ。(p. 72)

訳注 “affect”を私はこれまでダマシオにならってemotion(情動)とfeeling (感情) を総称するという意味で「情感」と訳してきたが、この本を読んでもスピノザの『エチカ』の英語版を読んでも、 “affect” とは身体の変化によって影響を受けている (=affected) 人間の情動・感情という意味が強いように思えるので、ここでは思い切って「身体変容」と訳してみた。

補記(2020/02/14):その後出た翻訳書では、「気分」と訳されていました。たしかに日本語としては「気分」の方が自然です。

Glossary: “affect”は、「快と不快、平穏と興奮の間で常に変動しているもっとも単純な感情」 (Your simplest feeling that continually fluctuates between pleasant and unpleasant, and between calm and jittery)と説明されている。

身体変容は意識も含むすべての生命活動の基礎的側面
 じっとしていても寝ていても意識的であっても、身体変容は人間が生きる上での基盤となっている。 (p. 72)

身体変容は身体変容性ニッチに目を向けさせる
 身体変容によって身体予算のあり方がバランスを欠いていることがわかれば、脳はそれが何によって生じているかを説明しようとして、このような時の打開策には何があったかを過去の経験の中から探し出す。そこで見つけた、身体予算と身体変容のあり方を変えてくれると思われる対象や出来事 (objects and events) 身体変容性ニッチ (affective niche)となる。当座はこのニッチ以外の対象や出来事はそのヒトにはノイズにしか思えなくなる。 (p. 73)
Glossary: “affective niche” は「今この瞬間に身体予算と何らかの関連をもっているすべて」 (everything that has any relevance to your body budget in the present moment)と説明されている。

身体変容に基づく実在主義
 自分の身体変容が何によって引き起こされたのか自覚できない時には、その身体変容は世界に関する情報であると考えてしまう。これが身体変容に基づく実在主義 (affective realism)  である。これは一種の素朴な実在主義であり、よく見られるが強力な働きをもつ。これによって人は、自分の感覚は常に世界についての正確で客観的な表象であると信じてしまう (a common but powerful form of naïve realism, the belief that one’s senses provide an accurate and objective representation of the world) (p. 75) しかし嫌な気持ち (a bad feeling) が常に何かがおかしいことを意味しているわけではない。それが意味しているのは、単に身体予算が枯渇しているということかもしれない。 (p. 76)

訳注75ページの脚注部分でaffective realismは一種の錯誤として描かれているように思えるが、Glossaryでは「内受容が視覚や聴覚やその他の知覚に影響を与える現象」(the phenomenon that interoception influences what you see, hear, and otherwise perceive) と中立的な説明が与えられている。

感情は脳の予測に基づく
 人は脳が信じていることを感情として認識する。身体変容の主な出どころも脳の予測である (In short, you feel what your brain believes. Affect primarily comes from prediction.) 。人が感情として認識することはすべてその人の知識と過去の経験からの予測に基づいている。人はまさに、自らの経験を作り上げる建築家である (Everything you feel is based on prediction from your knowledge and past experience. You are truly an architect of our experience. Believing is feeling) (p. 78)

内受容は外世界よりも影響力をもつ
 刻一刻の内受容は、外世界よりも人の知覚そして行動に対して影響力をもつ (Interoception in the moment is more influential to perception, and how you act, than the outside world is.) (p. 79) 脳は身体予算に耳を傾けるように配線されている。運転手席にいるのは身体変容であり、合理性 (rationality) は乗客であるにすぎない。 (p. 80)

どんな決断も行為も内受容と身体変容から自由でありえない
 解剖学的にも、人間の脳が内受容と身体変容から自由に決断や行為をすることはありえない。人が構築するあらゆる思考・記憶・知覚・情動には身体の状態に関する何らかのもの、少しばかりの内受容が含まれている (Every thought, memory, perception, or emotion that you construct includes something about the state of your body: a little piece of interoception.) (p. 82)

脳は過去の身体状況に基づいて予測をする
 視覚的予測は「前に私がこの状況 (situation) にいた時に見たものは何か?」という問いに答えてなされるのではない。問いは「私の身体がこの状態だったとき (when my body was in this state) に見たものは何か?」である。 (p. 82)

補注:外国語習得で言うなら、丸暗記力した単語が実際にはなかなか使えないのは、丸暗記された単語は、その単語にふさわしい身体的記憶が伴っていないから。それに対してその単語に適切な情動的な体験を伴って単語を身につけた--そうまさに「身につけた」--場合は、その身体的記憶に近い状態が再び生じた時、すなわちその単語使用にふさわしい状況に身体がなった時に、自然と、どこからともなくその単語が口から出てくる。日本の英語教育では、非身体的な丸暗記単語学習が当たり前となっているし、英語教師にもこのような丸暗記で得た知識を「語彙力」と思っている人が少なくないので、このような身体と認知の関係を語ってもなかなか理解してもらえない。

ちなみにこのような身体的側面について述べた拙著も、第三刷を出版することができました。「少なくとも10年間は読む価値のある本を書こう」と思っていたので、これまでこの本をお読みくださったすべての皆様に感謝すると共に、まだ手にとっておられない方にはぜひ一読していただけたらと思います。また、以前読みかけて「難しい」と読み止めてしまった方も、こういった身体的側面の重要性について学んだり、どんどん各種試験が権力をもっていく過程を理解したりすると、この本も面白く読んでいただけるかもしれません。



内受容が世界の意味を作り出す
 内受容がなければ物理世界は意味のないノイズ (meaningless noise) となってしまう。内受容に基づく予測 (interoceptive prediction) は、身体受容の感情 (feelings of affect) を生み出し、今この瞬間に何を気にするか (what you care about in the moment) --身体受容性ニッチを決定する。脳の立場からすれば、身体受容性ニッチにあるものはすべて身体予算に影響を与えうる重要な事柄であり、その他のことは重要ではない。(pp. 82-83)

人の環境はその人自身が作り出している
 あなたはあなたが生きる環境を構築している (you construct the environment in which you live.) 。環境はあなたとは無関係に外の世界に存在しているのだというのは神話に過ぎない。 (p. 83)

内受容と身体変容だけでは具体的な予測ができない
 実生活で有用な具体的な予測をするためには内受容からの身体変容だけでは不十分である。身体変容よりもはるかに複合的 (complex) な感情を認知することが必要である。言い換えるなら、脳がもっと具体的な行動を取れるように、あなたは身体変容を意味あるものにかえなければならない (You must make the affect meaningful so your brain can execute a more specific action)。その一つの方法が情動の一事例を構築すること (construct an instance of emotion) である。(p. 83)
補注:上では身体変容の一例としての "a gut feeling"に「虫の知らせ」を充てたが、そのことばに即して説明すると、虫の知らせ(あるいは直観)といった身体変容は、せいぜい「善いか悪い」や「大変か大変でないか」ぐらいのまだまだ十分に特定できないメッセージにすぎない。虫の知らせを感知した人は、「はて、これはどういうことだろう」と過去の記憶を探ったりしているうちに、より具体的な情動を認識するようになり、その情動からこれからどうするべきかという予測をより細かなものにしてゆく。身体変容から情動を知覚し、その情動の知覚(ということは「感情」(feeling))と共に思考が深まってゆくのが私たちの認知とまとめられるだろう。
情動的細密性 (emotional granularity)
身体変容をどのように事細かに情動として分化 (differentiate) することができるかという情動的細密性 (emotional granularity)  (p. 3) は、生きる上でも重要である。







TED Talk by Lisa Feldman Barrett
You aren't at the mercy of your emotions: your brain creates them





追記: 上のTED動画につながっていた下の歴史家によるTED Talkも面白かったのでついでに紹介しておきます。


TED Talk by Tiffany Watt Smith
The history of human emotions




ジョセフ・ヘンリック著、今西康子訳 (2019) 『文化がヒトを進化させた』白楊社、Joseph Henrich (2016) The secret of our success. New Jersey: Princeton University Press




この本の著者は、航空宇宙工学と人類学の学士を得たあと、二年間エンジニアとして働いて、大学院 (UCLA) で人類学を学び直し修士号と博士号を取得しました。この本は、「文理融合」などということばを使うのがばからしく思えるほど、人文社会的研究と自然科学的研究をたくみに使い分けて統合した書です。

以下はいつものように私の「お勉強ノート」です。翻訳書を読んで気になった箇所を原著で確認した後にまとめを作成しました。忠実な翻訳ではありません。まとめの項目の選択と順序はきわめて恣意的なものですし、訳語も翻訳書とは異なっているところも多いので、興味をもった方はぜひ翻訳書と原著をご参照ください。※印以下の挿入は私の蛇足です。


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1 人類の成功の秘密は、文化性と社会性による集団脳
 人類が他の動物よりもはるかに成功したのは、ヒトが個体として優れているからというよりも、他人から学ぶことに長けるという意味で文化的 (cultural) であり、規範と共につながった大規模集団で生きることができるという意味で社会的 (social) であったからである。文化性と社会性によりヒトは集団脳 (the collective brains) をもつにいたった(25頁、p. 5)。
 
※ 近代的学校教育は、学習をもっぱら個人的なものとして扱ってきて、様々な制度や慣習も個人学習向けにできているが、やはり人間の知性の社会性と文化性を重んじた学校教育の制度や慣習を再生するべきではないだろうか。ちなみに西川純先生の『学び合い』は、このあたりを十分に自覚した教育実践であるし、その他の優れた教育実践も子どもの社会性を重視している。

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西川純 (2016) 『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編』(明治図書) その他三冊
木村泰子(2015)『「みんなの学校」が教えてくれたこと 学び合いと育ち合いを見届けた3290日』小学館、他3冊の木村先生の著作


1.1 個人的学習、社会的学習、文化的学習
 個人学習 (individual learning) とは、一つの個体だけで環境を観察し試行錯誤して学ぶ場合を指す。社会的学習 (social learning) とは、他の個体の存在によって個人学習が影響を受けている状況を意味する。文化的学習 (cultural learning) とは、社会的学習の中でも特に個体が他の個体からの情報を得ようと努力し、他の個体の選好・目的・信念・戦略について推測したり、さらには行動をそのまま模写 (copy) したりする場合を指す(35頁、pp. 12-13)。

※ ノートテイキングなどの個人学習のやり方はしばしば教えられているが、他の学習者から学ぶ文化的学習のうまいやり方はあまりやられていないように思える。そもそも学校教師にも文化的な学習をするような慣習や制度を失いつつあるようにも思える。

1.2 ヒトの幼児が類人猿に勝っているのは社会的学習のみ
 ある実験によると、認知能力 (cognitive abilities)において、ヒトの幼児はチンパンジーとオランウータンより社会的学習においてはずばぬけて勝っているが、空間認知や両概念や因果関係に関する能力についてはほぼ同等であるにすぎない(37-38頁、p. 14)。

※ この知見と、後に出てくるネアンデルタール人との比較はとても示唆的。英語教師としては、英語圏文化に世界の人々がどんどんなびいて、英語によるコミュニケーションという集団的知性の流れに参入していくことには一理あると言わざるを得ない。後に紹介するように、集団の規模が大きくその中でのコミュニケーションの密度が高ければ高いほど社会的学習・文化的学習は促進されるだけである。



2 文化-遺伝子共進化 (culture-gene coevolution)
 文化はヒトが「自らをプログラムすること」を可能にしている (“self-programmable”) が、それにとどまらず、文化は長年にわたってヒトに影響を与えてヒトの生理や心理を変えるし、さらには遺伝的進化にも寄与する(27頁、p. 7)。文化進化と遺伝子進化は互いに影響し共進化している。

※ この本での「文化」は極めて包括的な概念なので、分析的に考えていく必要があるが、英語という言語と英語圏(といっても正確にはどこのことだ!)の文化の結びつきをどのようにとらえた上で英語教育を進めてゆけばいいのだろう。両者の分離は基本的に可能と考えるか不可能とするかで大きく立場は変わってくる。

2.1 文化的説明は進化的説明の一つである
 ヒトを説明する場合に、文化的説明と進化的(もしくは生物的)説明を対立させるの適切ではない。進化による自然選択 (natural selection) による結果、他人から学ぶことに長けた個体の遺伝子が残りやすくなり、その遺伝子を引き継いだ個体がさらに文化を進化させたが、この文化進化は非遺伝的な進化プロセス (nongenetic evolutionary processes) によるものである。文化的説明 (cultural explanation) は、進化的説明 (evolutionary explanation) の一つのタイプである(65頁、pp. 34-35)。

2.2 ヒトの脳容積の遺伝的進化は急速である
 500万年前のヒトの脳のサイズはチンパンジーと同じ350 cm3であったが、現在のサイズは1350 cm3である。しかもおそらくここ200万年で500 cm3から現在のサイズに増えたと考えられる。これは文化的説明抜きの進化的説明では考えがたいスピードである(99頁、p. 62

2.3 ヒトの消化器官は食物調理文化と共進化
 ヒトは他の霊長類と比べて、消化器官である口や胃や大腸は非常に小さいが、栄養吸収器官である小腸は同じようなサイズである。これは人が火や調理方法を文化的に獲得した結果だと考えられる(104-106頁、p. 65-66

2.4 エネルギーを消費する脳と身体の脆弱化は道具と共進化
 人の脳は自らが摂取するエネルギーの20-25%を消費するが、他の霊長類の脳は8-10%、他の哺乳類の脳は3-5%を消費するにすぎない。これほどエネルギーを使う脳は、ヒトの身体を脆弱にするほかないが、その脆弱化はヒトが文化的に道具を使用することによって補われている(111頁、p. 70

2.5 長距離走が可能な身体と狩猟文化も共進化
 ヒトは熱疲労を起こす多くの動物を3時間以上追い続けることによってしとめるが、このような長距離走は、人が体毛をなくすような遺伝的進化をしたこと、および容器で水を持ち運びしたりうまく水の在り処を見つけたりする文化の進化によって可能になった(113-117頁、pp. 71-75

2.6 白い肌と青色や緑色の瞳は農耕技法と共進化
 赤道直下では皮膚中の葉酸が破壊されるのを防ぐためメラニン色素の多い黒い肌が有利だが、日照量の少ない高緯度地域では黒い肌はビタミンD欠乏を招く。それに対応するため例えばイヌイットは魚や海洋動物中心の食事文化を身につけたが、バルト海沿岸地域では農耕に成功し、魚などのビタミンDが豊富な食物を食べなくなった。それに対する適応として白い肌や薄い瞳の色をもつ人々が自然選択されることとなった(130-131頁、pp. 83-85

2.7 過度のアルコール摂取を抑制する遺伝子は稲作を早く始めた地域に多い
 アルコールを速く分解するがアセトアルデヒドを作り出し不快感を生み出す遺伝子はアルコール依存症を防ぐ機能がある。この遺伝子は酒を作り出すもととなる米を早くから作り始めた地域の人々に多い(136頁、p. 88

2.8 ミルク摂取を可能にする遺伝子は家畜文化と共に広がった
 ヒトはもともと基本的に他の哺乳類の乳は飲めないものだが、その摂取を可能にする遺伝子をもつ人々は家畜文化の普及と共に増えた。またチーズやヨーグルトを作る文化は、はそのような遺伝子なしでミルク摂取を可能にする文化である(136-141頁、pp. 88-92)。

※ 道具や習慣といった文化が一世代内に人間を非遺伝子的に変えるだけでなく、世代をまたぐうちに遺伝子的にも変えるわけであるが、前者の非遺伝子的な変化が後者の遺伝子的変化のスピードをはるかに超えるものとなり、文化変化に対応することが難事となった現代では、下で紹介されるように誰をモデルとするかを次々に変化させることが重要なのだろうか。それともこのように変化が激しい時代だからこそ、何千年・何百年と続いた伝統文化をモデルとするべきなのだろうか。(まあ、その両方だろうが)。




3 選択的文化学習(モデルに基づく文化学習)
 ヒトの文化学習は、誰から学ぶかを重視する選択的な文化学習 (selective cultural learning)、あるいは「モデルに基づく」文化学習 (“model-based” cultural learning) である。
69頁、p. 38

3.1 技能にすぐれ成功している他人
 モデルに選ばれやすいのは、もちろん技能 (skill) と成功実績 (success) をもつ者である(69頁、p. 38)。

3.2 名声をもった他人
 多くの人々が既に注目している者をモデルにすること(=他人が誰かを真似をしている文化学習を二次的に文化学習 (second-order cultural learning) して、そのモデルを自分のモデルとすること)は効果的であり、それゆえヒトは名声 (prestige) を重視する(75頁、pp. 42-43)。

3.3 多数派
 多くの人々が取っている行動は、うまいやり方である確率が高い集団の知恵 (the wisdom of crowd) なので、多数派の行動をそのまま取り入れる同調伝達 (conformist transmission) はそれなりに有効である(83頁、p. 48)。

3.4 自分と性や民族を同じにする他人
 自分と性や民族が同じ者は、自分が生きる上での手本として優位である確率が高い(77頁、p. 44

※ きわめて単純に考えれば、以上のたいていの項目において、日本人英語学習者は英語学習の適切なモデルを潤沢にもっているとはまだいいがたいのではないか。他の日本人の英語のアラをやたらと指摘することによって自らの優位性を誇示しようとする「英語マニア」は3.13.2の点でのモデルのもつ可能性を減じている。3.3の多数派模倣からすれば、多くの日本人英語学習者が「英語はできなくて当たり前」と思いこんでいるのも不思議ではない。近年はアジア圏で英語交流したりすることが増えてきているようだが、それは地理的近接性や費用の安さといった点だけではなく、3.4の傾向を無意識に拡張的に適用しているのかもしれない。

3.5 年齢が少し上か長生きしている他人
 自分より少しだけ年上の者は、自分が真似しやすい技能をもっている確率が高いし、長生きしている者はそれだけ環境の試練に耐えたという点で真似する価値がある(81-82頁、pp. 46-48

※ この点、学習者にとって年長者である教師の説明に敬意は払うべきであるが、実のところわかりやすい説明は同輩や先輩によるものであることが多いのかもしれない。『学び合い』の実践はこの想定に基づいている。学校教育は教師の教える力だけでなく、もっと学習者が他の学習者に教える力についても注目するべきだろう。

3.6 心の理論と文化的知性仮説
 他人から学ぶ場合は、そのモデルが心に抱いている目的・選好・同期・意図・信念・戦略 (goals, preferences, motivations, intentions, beliefs, and strategies) をうまく推測する心の理論 (theory of mind) もしくはメンタライジング (mentalizing) が重要になる。これは心の理論が他人を操るために発達したというマキャベリ的知性仮説 (the Machiavellian intelligence hypothesis) とは異なる文化的知性仮説 (the cultural intelligence hypothesis) である(86-87頁、pp. 50-51)。

※ 読むことおよび書くことは心の理論を発達させるための格好の機会であるが、近年の英語教育のリーディングもライティングも、客観試験用の定型的な読み書きに傾斜し、他人の心を読むことを軽視しているように私には思われる。スピーキングやリスニングにいたっては一層のこと思考を伴わない自動的な技能の獲得の方に傾いている。もし今後の情報技術の発達が自動的な外国語能力を大幅に支援できるようになれば、より重要なのは他人の心を的確に推測した上で文章を理解したり産出したりすることとなるのではないか。近年の英語教育改革は英語教育の軽薄化であるようにすら私には思える。

3.7 過剰模倣
 他の個体を真似する実験では、人間はしばしば物理的な因果関係からすれば不必要なはずの手順まで過剰模倣 (overimitation) するが、これはチンパンジーには見られない行動である。ただこの過剰模倣には、有力者と同じような行動をしてその者との親近性を示すという機能がある(165-167頁、pp. 108-110)。

※ ファンはヒーローのいたるところを真似しようとするのは、こういった人間の文化-遺伝子共進化の帰結の一つだろう。最初はともかく過剰模倣し、そのうちに取捨選択していくというのは「守破離」ではないが、それなりの合理性をもった戦略といえるかもしれない。もちろん過剰模倣を金科玉条にしてしまって延々と続けるのは愚かであるが。




4 社会規範の創出
 多くの人が有力者のやり方を真似るようになれば、そういった人々の相互作用から社会規範 (social norms) が生まれてくることは、文化進化ゲーム理論 (cultural evolutionary game theory) が告げることでもある(218頁、pp. 143-144

4.1 社会規範が共同体を作り上げる
 共同体ができてからそこに社会規範が付け足されるのではなく、社会規範が共同体を作り出すというべきだろう(233頁、p. 154

※ 強引な読み替えをここでも性懲りもなくやると、クラスづくりは、教師がまずは少数の学習者に望ましい行動を誘発させ、それを評価し模倣することを奨励する中で望ましい行動が広く見られるようになり、いつのまにかそれが「望ましい」行動から「やるべき」行動となる社会規範が芽生え、クラスが学ぶ共同体になってゆくということだろうか。もちろん、ここでも教師一人の教示や説諭(あるいは脅迫)ではなく、学び合う学習者の集団の力を大切にするべきである。ちなみに『学び合い』では「子どもたちは有能である」という前提をもっているが、ここでは子ども「たち」と言っていることが決定的に重要であろう。

4.2 社会規範は集団間競争で広がる
 社会規範が勧める望ましい行動には利他的で個人の直近の利益に結びつかないものも多いが、そんな非利己的な行動が続けられる集団は、利己的な行動ばかりが行われる集団をいつか圧倒する。このような集団間競争に勝つことにより、非利己的な行動も後世に伝えられる(252-253頁、p. 167)。

4.3 集団間競争がないと社会規範は崩れる
 集団間の競争という選択圧がなくなれば、非利己的な行動が多くなる(256頁、pp. 169-170

※ たまたま先日読んだ論説は、冷戦対立がなくなることで、ロシア(旧ソ連)においてもアメリカにおいても、自己利益よりも事実を大切にするという文化が蔑ろにされるようになったという説明をしていた。一切の競争がない状況というのはユートピアでなくディストピアなのかもしれない。

Toxic Nostalgia Breeds Derangement


4.4 自己調教と規範心理学
 規範を犯せば制裁が加えられ、守れば報酬が得られる文化が続く中で、人間は自己調教 (self-domestication) するようなり規範心理学 (norm psychology) が生まれた。規範心理学にしたがい、ヒトは直感的に社会にはルールがあるはずだと想定し、ルールや規範がわかればそれをできるだけ内面化 (internalize) しようとする(282頁、pp. 188-189)。内面化の例として考えられるのが最後通牒ゲーム (Ultimatum Game) におけるヒトの行動である。このゲームにおいては(少なくとも面識のない相手に対しては)できるだけ低い金額を提示することが合理的な行動であり、実際チンパンジーもそのように合理的な行動をするが、ヒトの場合は大抵のばあい半額の金額を提示する(286頁、pp. 191-192)。





5 累積的文化進化 (cumulative cultural evolution)

5.1 累積的文化進化というルビコン川
 おそらく200万年前にとって人類の遺伝的進化の最大の駆動力 (primary driver of our species’ genetic evolution) が、文化進化 (cultural evolution) になった。いったん文化的情報が累積して文化的適応 (cultural adaptation) がさかんになると、遺伝子への選択圧 (selection pressure on gene) は、いかに個体が集団の中にある適応のための技術や慣習を獲得し活用できるかということになる。遺伝的進化はヒトに他人から学ぶことができる脳を準備したが、そこで文化的進化が始まり文化が累積するようになった。そのような環境では文化進化に長けた個体が適者となり、文化進化が遺伝進化を促進するようになった。このことをもってヒトは他の生物とは明らかに異なる進化を遂げるようになり、いわばルビコン川 (the Rubicon) を渡ったといえるだろう。(95頁、p. 57

5.2 集団の規模と社会的つながり
 累積的文化進化(ひいては遺伝進化)において重要なのが、集団の規模と集団の中の個体の社会的つながり (the size of the group and the social interconnectedness among these individuals) である。個体の数が多ければ多いほど幸運な偶然も増えるだろうし、結びつきが強ければ強いほどよい成果は普及するだろう。この二つの要因は、個体の頭のよさ以上に重要である。(318頁、p. 213

※ 繰り返しになるが、これが英語圏(=英語によるコミュニケーションによって受容な活動を行う共同体)の力を強くしている要因だろう。英語圏の成果は翻訳すればよいだけだと主張することも可能であるが、どんな要因とその組み合わせがよりよい環境への適応を生み出すかはわからない以上、文化の成果物だけでなく文化生成のコミュニケーションという営みに入っていた方が有利ではあろう。

5.3 イノベーションに天才はいらない
 集団脳の重要性がわかれば、現代のさまざまな社会でイノベーションにおける差が生じている理由がわかる。イノベーションとは、個々人の頭の良さや、組織が与えるインセンティブの問題ではない。イノベーションとは、多くの個人が知識の最先端で自由に交流し、意見を交換し、異論を述べ、互いから学び合い、協働し、見知らぬ人も信頼し、間違うことを、どれだけ進んでやることができるかという問題である。イノベーションには特殊な天才や集落が必要なのではない。必要なのは、知性が自由に相互作用する大きなネットワーク (a big network of freely interacting minds) だ。これを生み出すには人々の考え方 (people’s psychology) が変わらなければならない。考え方が代わるためには社会の規範や信念が変わらなければならないし、それらを許容したり促進したりする公式的制度も変わらなければならない。(480頁、pp. 325-326

※ ここで大学関係者なら誰もが思いつくことが、近年の日本政府はイノベーションを起こすため「選択と集中」と称して、特定の研究分野だけに予算を集中させている。その分野は、研究の素人にもわかるぐらいにこれまで目覚ましい成果が認められたものであることが多いが、そのような分野ではしばしばもはやブレイクスルーは期待できない、血で血を洗うような「レッドオーシャン」になっている。
 イノベーションを行うには、上に書かれているように、また多くの科学者が再三再四警告するように、研究の裾野を広くし研究者が自由に、直近の成果にこだわることなく知的交流を行うことだろう。ある程度創造的な活動を行っている者ならこのことは直感的にわかるはずだが、日本の多くの権力者がこのことをわかっていないとしたら、それは彼ら・彼女らはこれまでの人生で創造的な活動に携わったことがないことを示しているのかもしれない。

5.4 ネアンデルタール人はホモサピエンスよりも賢かった?
 ネアンデルタール人の脳容積は現人類の脳容積よりも大きかったことが知られている。それにも関わらず生き残ったのは現人類なので、研究者は現人類の知性に特殊な要因をもっていたと仮定してきたが、現人類は生まれついての賢さはネアンデルタール人より劣っていたが、累積的文化進化を可能にする集団脳において勝っていたと考えることも可能だろう。(336頁、p. 226

※ 何度も繰り返すが、生き残るための適応という創造を行うためには、文化的交流を重んじる共同体で育つ方が、生まれつきの頭の良さよりも重要かもしれないという論点は重要。いわゆる頭のいい人の中には、接してきた文化資本によって作られた習慣という「第二の天性」そうなっている人も予想以上に多いのかもしれない。そうなると、公教育における学校では、できるだけ「自由に交流し、意見を交換し、異論を述べ、互いから学び合い、協働し、見知らぬ人も信頼し、間違うこと」を推奨する文化を提供することが大切であろう。
 だが、現実では、個々の子どもが既に有している経済資本・社会関係資本・文化資本の格差を助長し、一部の恵まれた子どもだけを伸ばして、その子たちがさらに有利になるように選抜することを、試験制度による「能力主義」という考え方で正当化しているのではないか。

5.5 コミュニケーション手段の一つひいては文化-遺伝子進化の中での言語
 言語を、あくまでもコミュニケーション文化全体の中で考えること、さらにはそのコミュニケーション文化を文化-遺伝子共進化の中に位置づけて考えることが重要。(345頁、p. 232) 

※ 日本の英語教育を考える際には以下のようなアプローチがあるだろう。

(1) 所定の能力試験を前提として、その中でどれだけ点数を上げるかを考える。
(2) 現時点での社会構造を前提として、その中で日本語話者が英語を使うことの意味を考えた上で英語教育のあるべき姿を考える。
(3) 現代社会における文化進化の加速を前提として、日本語話者が英語を使うことの意味を考えた上で英語教育のあるべき姿を考える。

これらのうち、番号が少なくなればなるほど、確かな結果を導き出しやすいし、それゆえ現状の制度下では「研究」として認められやすいが、(3)の意義も忘れるべきではないだろう(と言いつつ、この文章を私は非公式で権力獲得に直結しないブログという媒体のために文章を綴っている 苦笑)。

5.5.1 進化のルビコン川は言語の登場ではない
 進化のルビコン川を言語の出現に求める説がこれまで強かったが、その考え方にも再考が必要なのではないか。(381頁、p. 256

※ 英語教育においてもチョムスキーの言語観の影響は強かったが(少なくとも私も大きく影響されたが)、「個人心理学」や脳での実在性を強調する実在論と共に、いわゆる「言語の自律性」についても再考するべきなのかもしれない。

関連記事
ジョージ・レイコフ著、池上嘉彦、河上誓作、他訳(1993/1987)『認知意味論 言語から見た人間の心』紀伊国屋書店
マーク・ジョンソン著、菅野盾樹、中村雅之訳(1991/1987)『心の中の身体』紀伊国屋書店
ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン著、計見一雄訳 (1999/2004) 『肉中の哲学』哲学書房

5.6 文化による変化は、遺伝変化より速く遺伝進化をもたらす
 私たちは文化的な種 (a cultural species) であることを十分に認識するとわかることは、短期的には、制度・テクノロジー・言語は、私たちの心理的バイアス・認知的能力・情動的反応・選好と共進化していることである。また長期的には、遺伝子はこのように文化的に構築された世界に適応するために進化していることであり、また、この進化のあり方が人間の遺伝子進化の最大の駆動力であることである。(464頁、p. 315

※ 学校とは文化的制度であり、必然的に社会的であり、人々の結びつきを強く大きなものにする使命をもっているはずである。だがその学校がますます「個人化」 (individualization) の潮流の中で、学習者の社会的発達をおろそかにしている。この傾向を「仕方ない」現代社会の「条件」とみなすことは、下のバウマンのことばにも示されているように自分で自分の首を絞める行為であろう。

「条件」は、それらが人間の選択を超えたものであると宣言されて受け入れられることによって、目的と手段という枠組みの生きてゆくため行為とは別のものとされ、その結果、人間の選択の幅は狭まってしまう。W. I. Thomasが言ったように、人々が何かを真実だと仮定すれば、その仮定ゆえにそれは真実となりがちである(もう少し正確に言うなら、人々の行為の累積的な結果ゆえに真実となりがちである)。人々が「X以外に選択肢はない」と言うなら、そのXは行為の領域から抜け出し、行為の「条件」の領域に入ってしまう。人々が「もう何もできない」と言うなら、本当に何もできることがないのだ。

関連記事
バウマン『個人化社会』 Zygmunt Bauman (2001) The individualized society

5.7 新たな種類の進化学
 人間が生きるということを理解する探究を進めるには新しい種類の進化学が必要である。人間の心理、文化、生理、歴史、遺伝子の間での豊かな相互作用と共進化に焦点を当てた進化学である。(488頁、p. 331

※ 進化学についてやっぱりある程度勉強しなくては、現代の知的潮流は理解できないのだろう。勉強しなくっちゃ。











2019/08/18

ブライアン・ボイド著、小沢茂訳 (2018) 『ストーリーの起源―進化、認知、フィクション』白楊社





以下も「お勉強ノート」です。ブライアン・ボイド著、小沢茂訳 (2018) ストーリー起源進化、認知、フィクション』白楊社を読んだ上で、気になった箇所を原著(Brian Boyd (2010) On the origin of stories: Evolution, Cognition, and Fiction. Cambridge, Massachusetts: Belknap Press.)でも読み、その上で私にとって重要と思えた論点を適当に並び替えたものです。忠実な翻訳ではなく、まとめにすぎませんし、そこで使われている日本語も翻訳書とは異なるものも多いので、内容に興味をもたれた方は翻訳書(と原著)を読むことをお薦めします。


*****

1 アート

1.1 アートの特徴:アート (art) とは、認知的な遊び (cognitive play)の一種である。私たちは、多くの推論を可能にするパターン化された情報 (inferentially rich and therefore patterned information) を好むが、アートは、その傾向に基づいて人間の注意 (attention)を引きつける (engage) ようにデザインされた活動である。 p. 85, 84

1.1.1 パターン認識は生き残るために重要:世界はパターンに満ちあふれており、その中で生き残るためにはパターン認識 (pattern recognition) が重要となる。したがって単細胞生物でもパターン認識を行うし、ましてや霊長類やカラスといった知的な動物は、規則的、対称的、リズミカル (regular, symmetrical, or rhythmic)なパターンを好む。pp. 87-88, 85

1.1.1.1 音楽の源泉にはパターン認識がある:生物は聞こえてくるさまざまな音から懸命にパターンを探そうとする。この心理的本能 (psychological instinct) が音楽の源泉 (the source of music) となっている。p. 90, 87

1.1.1.2 ストーリーには様々なレベルのパターンがある:ストーリーにおけるもっとも顕著なパターンは行為主体と行為、登場人物と筋書、意図と成果 (agents and actions, character and plot, intentions and outcomes) にかかわるものであり、局所的に表れるのは言語的パターンである。そのほかにも場面やイメージの対比などのパターンもある。 これらは渾然一体となっている。p. 91, 88

1.1.2 アートという遊びが感受性を高める:より頻繁により熱中して (exuberantly) に遊べば遊ぶほど、感受性は鋭敏になる (sharpen sensitivities)p. 92, 89

1.2 アートの主要な機能:第一に、アートは柔軟な知性 (a flexible mind) を刺激しそれを訓練する。第二に、アートは創造性 (creativity) を生み出す社会的であり個人的でもあるシステム (a social and individual system) となり、今ここ (the here and now) にも、直近の所与 (the immediate and given) にも拘束されない選択肢 (options) を生み出す。他のすべての機能も究極的にはこの機能に行き着く。p. 86-87, 84

1.2.1 アートは開かれており非ゼロサムである:遊びとアートは開かれて (open-ended) おり非ゼロサム (non-zero-sum) であるという点で、チェスやクロスワードといったゲームとは異なる。p. 87, 84


2 ストーリー

2.1 協力を誘発する文化としてのストーリー:ストーリーはゴシップであれフィクションであれ、規範 (norms) を強め、心に残る共通の協力モデル (memorable and shared models of cooperation) を提供してくれる。ストーリーを共有する者は、お互いが共通の基準 (shared standards) を知っていることを確証できる。p. 64, 66-67

2.1.1 特にフィクションは道徳観 (a moral sense) を発達させる:ストーリーは、主要登場人物の行動も心中も十分に記述されたときにもっとも生き生きした (alive) ものになる。この点、フィクションは現実世界では不可能な記述を可能にする。その結果、読者はさまざまな登場人物の立場から物事を見て、共感的な想像力 (sympathetic imagination) が発達することとなる。 p. 197, 182

2.1.2 フィクションはまた創造性も豊かにする:フィクションは「今ここ」を超えて、他の可能性 (alternatives) を考えることを促す。これが新たなモデル形成 (modeling) の基礎となる。p. 197, 182頁 また、フィクションによって無限に大きな可能性に、具体的で特定の形が与えられる。 p. 198, 183

2.2 ストーリーは人間の直観的存在論に基づく:人間は蛇を枝と誤認するよりもはるかに頻繁に枝を蛇と誤認する。つまり、私たちは過剰に行為主体性 (agency) を見出してしまう (We humans overdetect agency)。そのような直観的存在論 (intuitive ontologies)をもつ人間は、ストーリーという形式で物事を解釈しやすい。 p. 137, 129

2.3 適切にストーリーを語れることが社会的にも個人的にも利益となる:ストーリーを語ること (narrative) は、人が現状を振り返り決断する際のの導きとなる (guide our reflections and decisions) 。無文字社会においても現代社会においても、的確に過去の出来事を思い出し、それを人々に伝わるような形で語ることができる人は、意思決定に大きな影響力を与える。 p. 169, 156-157

2.4 ストーリーの意味:偉大なストーリーの作者は、作者が意図している反応を読者が行うようにストーリーを作るが、それと同時に、作者が完全にはコントロールできない反応を読者がするかもしれないことを承知している。p. 370, 335頁 偉大なストーリーを一つの教訓 (single moral) に還元することはできない。 p. 371, 336頁 ストーリーの中で何度も語られる「メッセージ」 (message) からですら、読者は著者にとってではなく自分にとってもっとも大切なことを引き出したりする。 p. 372, 337 偉大なストーリーは、その中核 (central core) から数多の意味 (myriad meanings) を放射する。 p. 379, 343


3 ダーウィン・マシン

3.1 生成―試練―再生成:ダーウィン・マシン (Darwin machines) とは、進化の中の、「盲目的な変異と選択的保持」という補助プロセス (subsidiary processes of “blind variation and selective retention”) 、つまり「生成―試練―再生成」という下位サイクル (subcycles of “generate-test-regenerate”) を指す用語である。ダーウィン・マシンは、唯一の正解がない状況で、複数の可能性を生成し、環境という試練に会う。
中で死に絶えなかったものが再生成するというサイクルを繰り返す。そのサイクルにより予めの計画なしにうまくゆくものを残してゆく。 p. 120, 114

3.1.1 補注:この箇所をまとめる中で、私はやはり進化論のことがきちんとわかっていないことを痛感しました。この箇所のまとめは、翻訳書と違っているところもありますので、読者の方は注意してお読みください。

3.2 第一次ダーウィン・マシン第一次ダーウィン・マシン[ただし原著ではthe first-order Darwinian systemとなっている]は、生命進化 (the evolution of life) そのものである。生命は、新たな遺伝子の組み合わせを生成し、それがうまくいくかという試練を環境の中で受け、その中で死に絶えなかった遺伝子の組み合わせを再生成する。その再生成は、新たな有性生殖による新たな遺伝子の組み合わせをもったものである。その遺伝子がまた環境の中で試練を受け・・・というサイクルを繰り返し、進化が生じる。また、このサイクルの中で環境も変わりうることを忘れてはならない。pp. 351-352, 318

3.3 第二次ダーウィン・マシン第二次ダーウィン・マシン (second-order Darwin machines) は、第一次ダーウィン・マシンの「生成―試練―再生成」原則を装備している生体内のシステム (systems within living organisms) である。その一つの例は人間の免疫システム (the human immune system) であり、これはどんな抗原が生体に侵入するか予測できない状況下で可能な抗体を数多く生成する。その抗体の中で実際に抗原と遭遇したものは自らを再生成して、その抗原が再び侵入した場合に備える。第二次ダーウィン・マシンのもう一つの例は人間の脳である。人間はどのような環境に遭遇するか予測できないので、幼児の脳は必要以上のニューロン接続 (neural connection) を生成する。実生活という試練の中で有用であることが判明した接続は強化(再生成)され、使われなかったものは削除される。p. 352, 318

3.4 第三次ダーウィン・マシン第三次ダーウィン・マシン(third-order Darwin machines) の例の一つは、私たちの観念とその具現化 (our ideas and their concrete manifestations) である。たぐいまれなる創造性は、特定の問題に対して長期間にわたって何度も「生成―試練―再生成」のサイクルを適用して初めて生まれる。創造的な知性がなしうることは、未だ定かではないゴールに向かって盲目的に動こうとすることにすぎない。もしその中の何らかの動きがうまくいくようだったら、その幸運な動きからさらに新たな盲目的な動きを試みるだけである。pp. 352-353, 319

3.4.1 補注:著者の文化進化の議論は、天才的な個人に関してのものだが、この議論は共同体レベルにも適用できる(ヘンリック『文化がヒトを進化させた』白楊社)。ちなみに、著者も「生物文化的な」 (biocultural) と「進化論的な」 (evolutionary) ということばをほぼ同義として使い、「自然か文化か?」 (nature versus culture) という相互排他的二項対立を避ける。人間について研究する際は、生物学と文化の両方を視野に入れたアプローチが必要である p. 25, 33

3.5 目的:目的 (purpose) は、予め生じているのではなく、可能性が具現化するにつれ生じる (Purposes arise not in advance, but as possibilities materialize) p. 402, 366頁。目的は進化する。ダーウィン的なプロセスは目的の幅を拡張する (Purposes evolve, and Darwinian processes extend them). 知性も協力も創造性もすべて地球上の生命進化の過程で創出された目的である (Intelligence, cooperation, and creativity are all purposes that have emerged in the course of life on earth.)  p. 403, 367頁。


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付記(2019/08/19)
以上の「お勉強ノート」を踏まえて、私なりにストーリーについてまとめたのが以下です。

ストーリーの定義:ストーリーとは、ある状況 (setting) で複数の登場人物 (characters) が行為主体 (agent) としてどのような意図 (intention/goal) をもってどのような行為 (action) を行いどのような成果・結末 (outcome) に至ったかを筋書 (plot) という流れで描く様式である。 
ストーリーの種類:ストーリーを大別すれば実話 (non-fiction) と作り話 (fiction) の二つに分けられ、前者の例としてはゴシップや歴史書、後者の例としては詩や小説などがあげられる。 
ストーリーの社会的機能:ストーリーは、多くの人に規範 (norm) や協力の仕方 (model of cooperation) を共有させることができる。特に、ゴシップは直近の共同体における社会的情報を伝えることに長ける。作り話は、実生活では不可能な多元的記述により読者に共感的かつ包括的な想像力を育み、反実仮想を語ることにより創造性 (creativity) を培うことに長ける。さらに、状況に応じて的確なストーリーをうまく語る (narrate) できる者は、集団的意思決定において有利になる。 
ストーリーの利点:人間は事態を、行為主体が行為した (agent-action) という形式で把握する傾向が強いので、ストーリーという様式は(例えば科学的命題といった他の様式と比べて)人間の印象に残りやすい。 
ストーリーの意味:ストーリーには中心的な意味(メッセージ)と、そこから派生することが可能なさまざな周縁的な意味(含意)をもつ。後者の含意が読者一人ひとりの経験と想像力の違いによって多様な形態で引き出されるのはもちろんのこと、前者のメッセージですらも読者がそれぞれが生きる上でもっともかなった形で解釈される。 
アートとしてのストーリー:ストーリーはこみいったものになればなるほどアート (art) という遊び (play) の要素が強くなる。アートとしてのストーリーには内容面でも表現面でも様々なパターンが織り込まれ、そのパターンを見出そうとして読者はストーリーに注意を払う。遊びとしてのストーリーは、人々がストーリーの社会的機能で益することのみならず、ストーリーを理解・創作すること自体を楽しめることを可能にする。その結果、人々の感受性 (sensitivities) 、柔軟な知性 (flexible mind)、創造性などはいっそう高まる。 
ストーリーの進化:さまざまなストーリーを有する文化では、それらを素材にしてさらに多くのストーリーが生み出される。時代の試練に耐えて生き残ったストーリーは、それらがさらに適応力をもった素材となり、新たなストーリーを生み出す資源となる。こうしてストーリーという文化は進化する。 
ストーリーの目的:ストーリーは社会的機能という利点を有し、感受性・知性・創造性の涵養という利点ももつが、必ずしもそれらの利点を得ることがストーリーの創作・鑑賞の直接的な目的であるわけではない。ストーリーはアート・遊びとして、人間の情動に働きかけながら、生成ー試練ー再生成のプロセスを繰り返して進化する。ストーリーの目的はむしろ、その進化の末の多様なストーリーのあり様から人間が新たに見出すものだと考えるべきであろう。







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