2021/04/21

語彙学習の3段階と言語習得の社会性について:今井むつみ・佐治伸郎(編著) (2014) 『言語と身体性』(岩波書店)を読んで考えたこと


4/24(土)の研究会(『英語の学びを科学する 〜理論と実践〜』)のために、泥縄式で慌てて今井むつみ・佐治伸郎(編著) (2014) 『言語と身体性』(岩波書店)を読みました(我ながら日頃の不勉強ぶりが恥ずかしい)。

ここでは、その本を読んで考えたことを備忘録的に書いておきます。


■ 記号接地問題

この本に流れる通奏低音のようなテーマは記号接地問題 (symbol grounding problem) です。もともとは人工知能研究で提示されたこの概念を、本書は言語習得の中で考えようとしています。これについては2ページに詳しい定義が掲載されていますが、私としては33ページに書かれたより簡単な説明の方がわかりやすく思えました。


記号接地とは抽象的な記号である言語を人間が身体に接地させ、言語の習得とともに文化を身体の一部にしていく過程、そして、文化の文脈のなかで記号を接地させ、社会として新たな記号を作り出していく過程である。 (p. 33)


私としては、最初の「接地」は「身体化」、2番目の「接地」は「言語体系化」と言い換えられるかとも思いました。また、最後の部分に書かれている「記号を作り出」すことは、言語の理解と使用を社会で更新し言語使用を進化させることと言い換えることができると私は理解しました。(「社会に接地させること」というのは言い過ぎでしょうか)。



■ 語彙学習の3段階:便宜的学習、意味理解(身体化と体系化)、意味理解の更新

この本を読んでいるうちに、典型的な日本人の英語学習のような外国語の語彙の学びは、 便宜的学習、意味理解(身体化と体系化)、意味理解の更新の3段階に大きく分けることができるのではないかと考えました。

このような整理を行うのは、自ら行っている語彙指導の方針についてより明確に理解し、それを改善するためです。勤務校で私が担当している科目(「ライティング-リスニング」では、所定の語彙集を使った語彙学習をすることが必須化されています。私としては、その学習が意味深く効果的なものになるように工夫を重ねているところです。


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以下に、今回私なりに考えた3段階を示します。ちなみに第2段階には2つの下位段階があります。


(1) 便宜的学習

定義:とりあえず語形(綴りと発音)と語のだいたいの意味を知ること。つまり、当該L2語の綴りと発音という形式を学び、かつ、その語に相当すると思われるL1語(対応L1語)と結びつける学習。

実行:外国語の語彙とそれに対応すると思われる母国語語彙を1対1で並べただけの単語集で可能

補記:対応L1語の形と意味は明確なので、対連合学習はしやすい。だが、下に説明するように、L2とL1の語彙体系は異なる。ソシュールも言うように、語の意味は、その言語の他の語との差異によって大きく規定されるので、対応L1語の意味を当該L2語の意味とみなすことはできない。また対応L1語を丸暗記するだけでは、意味の源泉である情動は喚起されないので、この点でもこの便宜的学習は好ましくない。

 だが、この便宜的学習は小テストに便利なので、学習を管理したい教師などは実質的にこの種の学習ばかりを学習者にさせている。その結果、学習者が覚えた単語を文脈に即して理解したり使用したりできるようになっているかは正直疑わしい。また、丸暗記を嫌う学習者がこれを契機に英語嫌いになることも決して珍しくはないだろう。


(2) 意味理解(身体化と体系化)

定義:学習者は、当該L2語の意味を自分の身体の中および当該言語の体系の中で理解する。

(2a) 当該L2語の身体化

定義:当該L2語の意味を身体で感じる、つまり、当該L2語の使用を、自分の情動の変化と連動させる身体的な学習

実行:少なくとも、学習者にとって意味深い例文を提示(さらには解説)することが必要

(2b)  当該L2語の体系化

定義:当該L2語の意味を他のL2語との関係性の中で理解すること。つまり、当該L2語を、L2の言語的体系の中に位置づける学習。

実行:典型的には、英英辞典の定義と例文のように、当該L2語をそれと同じ言語で説明した文と、その当該語が使われた文が必要

補記:当該L2語と他のL2語の関係性には、統語的・連語的(collocational, syntagmatic) なものと、語彙的・類語的 (lexical, paradigmatic) なものがある。前者は例えば動詞なら何を主語や目的語にとるかといった関係性で、後者はその語の位置に他のどんな語を入れることができるかといった関係性。こういった語彙体系の関係性を学ぶことは、諸概念の関係性を学ぶことでもあり、当該語の文化を学ぶことにつながる。


(3) 意味理解の更新

定義:自然言語のほとんどは多義的であるから、(2) の学習を一回行っただけで、当該L2言語が充分に理解し活用できるとは思えない。したがって、別の文脈での当該L2語使用を経験し、それまでとは少し異なる身体化と体系化を行い、当該L2語の意味理解を更新(=意味理解の拡張や修正)をする 。

実行:現実的には、実際のコミュニケーションの中で、当該L2語の使用の成否に身を委ねながら、言語使用の経験を重ねることで実現する。この意味で語彙学習は歴史的である。

補記:コミュニケーションにおいては、コミュニケーションの相手が当該語の使用を促し、その是非の判断を現実的な反応で示す(「もう少し説明してくれる?」「なるほど、そういうことか」「えっ、それは言いすぎだろう」、「何を言いたいのかわからなくなってきた」といった反応)。この意味で語彙学習は社会的でもある。

 もちろん、現実世界で誰かと共にコミュニケーションをしなくとも、例えば複数の英英辞書の定義を読み、コーパスで大量の例文を読めば、ある程度の意味理解更新はできるだろう。だが、定義や例文を理解するだけでは、可能な意味理解の幅を広げることはできても、どのような意味理解が不可能・不適切かということは学習しにくい。したがって、やはり学習者に当該語を使用させることは重要である。


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ウィトゲンシュタイン『哲学的探究』の1-88節-- 特に『論考』との関連から

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以上の整理を受けて一般論を述べるようなら次のようになります。


■ 語彙学習のあり方について

日本の多くの学習者は語彙学習は(1)しか行っていません。教師が学習者を手軽に管理するため、あるいは学習者が大量の語彙を覚えるためには、 (1) は便利で唯一の選択肢のように思えるかもしれません。ですが、私はこの (1) については批判的です。

語彙習得ということから考えれば、学習者の生活にとって必須のコミュニケーションで語彙を理解し活用し続ければ、改めて (1) や (2) のような学習は不要なのかもしれません。しかし、学習者がなかなか意義を見いだし難いし、学習量も確保し難い外国語教育については、(2) を重視することが必要でしょう。コミュニケーションにおける偶発的な学習だけでは、体系的・効率的に語彙学習をすることは困難です。


■ 私の語彙指導実践

ちなみに私は、昨年度は、所定の語彙集の指定された範囲から何語か選ばせて、その語を使った自由作文をさせそれを提出させ、それにフィードバックを与えていました。

しかし語彙集の簡単な説明だけを見て自由作文をした場合は、根本的な勘違いも珍しくありません。また、そもそも学生が英英辞典をほとんど使いこなせていないことも明らかになりました。

したがって今年度は、最初の7週間で7種類の無料オンライン英英辞典(ただしSkellも含む)を使わせることにしました。学生は指定範囲から自分が使えるようになりたい単語を選び、その定義と例文をコピーした上で、そこから学んだことを自分のことばでまとめることが毎週の課題となっています。まだ2回しかこの課題をさせていませんが、学生の分析的なまとめには面白いものが多いです。

さらにこのまとめの中の優れたものは共有ファイルにまとめて、次の授業で全員に読ませています。学生としては自分以外の学生の分析も読むわけです。

以前はその共有ファイルの解説は私がやっていましたが、今年は学生に好きに読ませて、読んだ中で2つか3つ面白いと思った分析を後でグループ内で発表してくださいと指導しています。さらにグループ内の中の気づきも後で教室全体で共有するようにしています。

こうなると、学生は語彙の学習教材を自分たちで作り、自分たちでその価値を認めあっていることになります。先日気がついたのですが、私の授業方針は、"Less control, more support" ともまとめられます。今後も、学生を自主性を信頼してゆきたく思います。(信頼することにはさまざまなリスクが伴いますが、教師がリスクを負わねば、学習者もなかなか本気にならないのではないかと私は思っています)。




■ 言語習得の社会性について

『言語と身体性』の話に戻れば、この本を読んで考えたことのもう一つの論点は、言語習得は社会的なものであるということです。

人間は、共同注意 (joint attention) や心の理論 (Theory of Mind) などの個体を超えたレベルでの能力が他の動物に比べて優れています。

「なぜこれだけ少ない言語入力からこれだけ莫大な言語の知識を得られるのか」というプラトンの問題に、チョムスキーは生得的知識(普遍文法)をもって答えようとしました。ですが、後天的な社会的支援もその答えの中に含まれるべきでしょう(生得的な知識あるいは能力には普遍文法以外のものもあり、それらは本書の第2章などで集中的に扱われていますが、ここでは割愛します)。言語を獲得しようとする者のことを気遣い、さまざまな対象を共同注視しながらコミュニケーションを重ねる他者は、言語習得において決定的に重要でしょう。

私はこれまで "Language is embodied in flesh and embedded in a context."などとまとめてきましたが、考えてみれば、このモデルには学習者1人しか出てきません。文脈を共有する他者--第1言語習得なら養育者、第2言語学習なら教師--の働きかけを軽視してはいけません。図ではバカみたいに簡単な追加でしかありませんが、私はこれまでよく使っていたまとめの図に、「重要な他者」と「共同注視の対象」を加えました(それに伴い4/24の研究会投映スライドもVer.2に差し替えました)。





ちなみに、コミュニケーションが社会的な協働であるという(常識人からすれば当たり前の)論点を、少しだけ理論的に述べたのが下の文章です。上でも言及した<実践報告>大学必修英語科目での『学び合い』の試み --「対話を根幹とした自学自習」を目指して--  は全文がレポジトリで公開されていますし、そもそも私自身の文章ですから、ここに再掲します。


4 コミュニケーション

理論的整理:心的システムは閉鎖された自己生成システムであり、ある心的システムが別の心的システムと直接に接続し、情報や知識がそのままの形で移送されたりコピーされたりすることはないことは上で確認した通りである。このことをふまえて、ルーマン (Luhmann, 2002, 2008) のコミュニケーション理論を心的システムの観点から語り直すなら、コミュニケーションとは、このように相互に閉ざされた心的システムが、その閉鎖性にもかかわらず自他を協働的に連動させようと試み続けることで生じる社会的な出来事である、となる。

コミュニケーションが社会的な出来事であるということは、コミュニケーションが心的システムを越えたレベルで生じているということである。複数の心的システムの間で行われているコミュニケーションにおいて、どの特定の心的システムもコミュニケーションを完全にコントロールしているわけではない。またそれら複数の心的システムが合体して1つになった心的システム(意識)が新たに生じるわけでもない (Luhmann, 2002)。たしかにたとえば乳幼児とその親のように、コミュニケーションをする2人が互いの動きと連動している統一体のように第三者には見えることはあるかもしれないが、その2人の意識が同一であるわけではない。コミュニケーションは複数の心的システムが、各自で閉ざされた意識を越えた社会的なレベルで協働することによって生じる。

社会的な協働とは、互いがそれぞれの心を原理的には不可知としながらも、観察と推測によって相手にとって関連性 (relevance) の高いと思われる発話を産出する試みを継続することである。ここでの関連性とは、現在でももっとも強力な語用論理論の1つとされる関連性理論 (Sperber & Wilson, 1996) で使われている概念であり、聞き手が有する情報・知識と統合されることによりそれまでになかった有益な情報・知識が聞き手の中に生じてくるような発話が関連性の高い発話であるとされる。

関連性理論では、「関連性がある」 (relevant) ことを次のようにまとめている(このまとめは、話し手が示した新しい情報が聞き手の既知の情報と結びつき、その結果聞き手に新しい情報が生まれるエピソードを紹介した後のものである)。


[前述のエピソードでの]これらの相互に結びついた新しい情報の項目と古い情報の項目が、共に推論過程の前提として使われたとき、さらに新しい情報が派生しうる。その情報とはこれらの新旧の情報が前提として結合しなければ推測できなかった情報である。新しい情報の処理がこのような増殖効果を生じさせるとき、私たちはそれを関連性があると呼ぶ。増殖効果が大きければ大きいほど、関連性は大きい。(Sperber and Wilson, 1995, p. 48)


このように関連性の高い情報を聞き手の中に生じさせるためには、話し手は何らかの働きかけをしなければならないが、その働きかけは話し手が聞き手に認識してほしいという意図をもっていることが明らかにわかる顕示的 (ostensive) なものでなければならない。逆に言うなら、顕示的な働きかけをしながらも、そこから聞き手が何の関連性も見いだせないことが続けば、聞き手にはその話し手とのコミュニケーションを取ることの意義が失われる。聞き手は、その話し手とのそれ以上のコミュニケーション関係を拒むかもしれない。コミュニケーションを行う関係性を保つということは、どの顕示的行為にも相手にとって関連性の高い結果が伴うように努力することが前提とされていなければならない。かくして「顕示は関連性を暗黙のうちに保証する」 (ostension comes with a tacit guarantee of relevance) (ibid. p. 49) と関連性理論は説く。

この関連性と顕示の規定からするなら、通常のコミュニケーション的な関係性が期待されている間柄においてコミュニケーションが行われれば、そこでは話し手においては、聞き手にそれまでになかった有益な情報・知識を生じさせることが前提的に意図されていることになる。もちろん実際には、うまく関連性の高い情報・知識が聞き手に生じない場合もあるだろう。だが、そういった場合には私たちは、言い換えたり、問い直したりする。そうするのも、社会的動物である私たちにとって互恵的なコミュニケーションの関係を保つことは生存のための重要課題であるからだ。コミュニケーション関係を保つためには、相手にとっての発話をできるだけ関連性の高いものにすること、および、相手からの発話をできるだけ関連性の高いものとして解釈することを私たちは前提としなければならない。これがコミュニケーションの基盤である 。

このコミュニケーションの試みが連続する過程で、双方はそれぞれに相手に対する観察と推測に次第に熟達し、齟齬が少なくなり、相手にとってより有益な発話がより頻繁にできるようになる。これがコミュニケーションのメカニズムである。

コミュニケーションの蓄積によって自分との関連が高まった他者との間には「私たち」の感覚が生じてくる。他者が原理的に不可知であることは変わらないのだが、相互の社会的協働が洗練されるにつれ、2人は他人でありながら双方の思考や行動に影響を与え続ける「私たち」として認識されるようになる。「私たち」は2人のどちらにも還元できないし、ただ2人を物理的に合計したものでもない。「私たち」は、社会的な相互作用の継続によって構成されている。もちろんその「私たち」という感覚・認識は、2人において共通ではなく、それぞれがそれぞれにもつものであることはこれまで何度も述べた通りである。コミュニケーションは、複数の心的システムが、それぞれの心的領域を越えた社会的な次元での協働の試みを継続させることによって成立する。そのコミュニケーションの蓄積が「私たち」、やがては社会秩序や文化を形成してゆく。

このコミュニケーション概念の再検討から、『学び合い』とは興味・関心や知識・認識などで互いに異なる学習者が、社会的に協働することで、それぞれの閉ざされた枠組み(心的システム)を撹乱し、それぞれに自己生成を重ねてゆく教育方法であることがわかる。ここでの社会的協働とはコミュニケーションであり、参加者が相手の心をすべて知りえることはないことを自覚した上で、相手にとってもっとも関連性が高い、すなわちもっとも相手の中に情報・知識を生み出しやすいと考える発話を連ねることであった。このような発話はもちろん話し手の負担となるものであるが、互いがコミュニケーションを重ね合う互恵的な「私たち」の関係であるという認識が共有されるにつれ、参加者はより相手にとって有益な発話を志向するようになる。『学び合い』ではしばしば、「一人も見捨てない」ことこそがもっとも重要であるとも言われているが、それは一人も見捨てないことによって、コミュニケーションという互恵的な相互探究の関係構築がより強固になるからとも解釈できるだろう。『学び合い』の実践においては、学習者間の話し合いを、単なる答え合わせといった情報伝達として考えてはならず、社会的関係を維持・発展させることにより、個々の可能性と、その個々が集った社会的集団の可能性を広げるコミュニケーションと考えることが重要となる。



以上、備忘録まで。4/24の研究会(Zoom) ではできるだけよい発表をして、今井むつみ先生ともコーディーネターの方とも聴衆の方々ともできるだけよい対話ができればと願っています。ご興味のある方はぜひこちらからお申し込みの上ご参加ください。


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