2021/04/26

「学びのための対面コミュニケーションとはどうあるべきか: 精神科医・神田橋條治氏の実践知からの整理と考察 」 『ラボ言語教育総合研究所報 ことばに翼を』Vol.4


このたび、『ラボ言語教育総合研究所報 ことばに翼を』Vol.4 に以下の論考を寄稿しました。


学びのための対面コミュニケーションとはどうあるべきか:

精神科医・神田橋條治氏の実践知からの整理と考察

https://www.labo-party.jp/research/vol04.php


その概要は以下のとおりです。


この論考では,学びのためのコミュニケーションとはどうあるべきかを,精神科医の神田橋條治氏の実践知を基盤にして整理して提示します。神田橋氏の臨床の知恵を,「学び」,「指導」,「学習者理解」,「指導者としての成長」という観点から教育学的に再解釈し,学びのための対面コミュニケーションが「何」 (what) であり,「いかに」 (how) 行われるべきなのか,そしてそれらは「なぜ」 (why) なのかについて考察します。この考察により,オンラインでのコミュニケーションでは代替できない対面コミュニケーションの意義を明らかにして,その意義の自覚により教育関係者が学習者に対してより豊かな学びの機会を提供することをこの論考はめざしています。


ついでながら、最初の数段落も転載しておきます。


 2020年はCOVID-19によって世界中が緊急対応を求められた年でした。人と人が対面するという,私たちが人間らしくあるために極めて重要な営みが,著しく制限されました。その状況に対応するため,私たちは急速に ICT (= Information Communication Technology) に習熟しました。ZoomやGoogle MeetやMicrosoft Teamといったテレビ会議システムを使い,オンラインでのコミュニケーションも多く行なうようになりました。

 COVID-19騒動の始まりから1年たった2021年現在,私たちは2つの考えの間を揺れています。1つは「オンラインでもかなりコミュニケーションができるではないか。これまでのミーティングの数はずいぶん減らすことができる。その方が,人々の生活のためにも,エネルギー消費削減のためにも好ましい」という考え方です。もう1つは「確かにオンラインで済ませることができることも多い。しかしある種類の出会いは,実際に人と人が時間と空間を同時に共有して会わないといけない」というものです。

 私もこの両方の考え方に妥当性を認めています。一方で,ビジネス会議のための出張はかなりオンラインで代替可能だと思います。成果はほとんど変わらないでしょうし,ビジネスパーソンはより多くの時間を他の仕事,あるいは私生活のために使えます。新幹線や飛行機での二酸化炭素排出量も削減することもできます。しかし,ビジネスでも決定的な交渉となるとやはり膝を突き合わせて語り合う場面は残ると思います。さらに私たちの関心事である教育に関しては,どうあっても対面でなければならない場面は多くあると考えています。

 後者の「やはり対面でなければならないコミュニケーションはある」という考え方は多くの人が直感的に理解しています。しかし,それは「なぜ」なのか,対面で「何を」達成しなければならないのか,そしてそれを「いかに」行うのか,といったことに対してきちんと整理している人は少ないでしょう。そのような曖昧な理解のまま,COVID-19が沈静化するにつれ対面を強要してコミュニケーションを行なっても,成果は乏しいでしょう。参加者から「これならオンラインでもいいのでは」「ここに来るだけ時間とお金の無駄だ」といった声も聞こえてくるかもしれません。以前と違って,2020年の経験を知った参加者はオンライン・コミュニケーションの可能性を知っているからです。


残念ながら私の勤務校では、先週から授業が非対面式に変更されました。私としてはこの論考をまとめることによって、対面コミュニケーションの面白さと深さを再認識し始めていたところだけにとても残念です。しかし対面コミュニケーションがこの世からなくなってしまうことはないでしょう。教師としては、改めて学びのための対面コミュニケーションについて考えを深めておくべきかとも思います。

この論考は、発表媒体の特性上、日英語吹き込みCD付きの絵本をもとに異年齢集団で表現活動を行う「ラボ・パーティ」 のテューター(指導員)を念頭において書きました。ですが、内容は対面授業を行う教員一般にあてはまるものだと思っています。

ご興味のある方は、上記URLからPDFをダウンロードして読んでいただければ幸いです。



関連記事

『神田橋條治精神科講義』『神田橋條治医学部講義』(創元社)を読んで

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神田橋條治『精神療法面接のコツ』『追補 精神科診断面接のコツ』(岩崎学術出版社)の教育への拡大解釈(その1)

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2021/02/1.html

神田橋條治『精神療法面接のコツ』『追補 精神科診断面接のコツ』(岩崎学術出版社)の教育への拡大解釈(その2)

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2021/02/2.html

神田橋條治 (2011) 『技を育む』 中山書店

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2021/03/2011.html



追記

神田橋先生の実践知を整理した上で行った2週間の対面授業の後に、オンライン授業に移行してみると以下の点で特に不便を感じました。もし今後しばらくオンライン授業が続くのなら、こういった点での改善が急務です。


■ アイコンタクトができない

対面式授業では、教室でふんだんに学生さんと目を合わせることができます。 三々五々と教室に入ってくる学生さんとの挨拶や雑談の時。指示や説明をしている時。机間巡視でどちらからともなく目が合う時などなどです。

人間にとって安心して目と目を合わせる相手があるというのは、心理的安定にとってとても重要なことです。ある特定の相手と目を合わせることを拒むのは集団的ないじめです。目が合ったといちゃもんをつけるのはゴロツキの常套手段です。ユマニチュードの重要な原則は、必ずアイコンタクトを取ることです。


関連記事

「ユマニチュード」あるは<人間らしさ>を教室でも実践することについて

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お互いに安心して視線を交わせる相手がいるだけで、人間は苦労をしのぐこともできます。(人間とネコの間でも、たがいに見つめ合うことができるのは、信頼関係ができた後のことであり、その後は目と目を合わせるだけで互いに親愛の情を確認することができます)。

そのように人間が生きる上で根源的なアイコンタクトができなくなるというのは、やはり大きなことだと思わざるをえません。


■ 学生さんの様子をほとんど観察できない

 私はできるだけ教師による口頭での一斉説明(いわゆる講義)をできるだけ少なくし、授業時間の多くを、(学生さん個々人の思考に基づく)協働的問題解決や意見交換につかっています。学生さんがそのような活動に従事しているあいだ、私は机間巡視をしますが、その際は特に聞き耳を立てずに教室をぶらぶらと歩き回ります。ペアやグループそして教室全体の雰囲気を察知しようとします。さまざまな立ち位置・角度から、焦点を特に予め定めないまま観察を続けるわけです。

 ところがZoomでのオンラインクラスとなると、そういった観察がほとんどできなくなります。 そうなると学生さんが、課題をどのぐらい難しく感じているのか・進度はどのくらいか・つまずいているところはないのか、といった情報がほとんど入らなくなります。また、教室をぶらぶら歩いていると、なんとなく学生さんと目が会い、どちらからともなく話し始め、学生さんが疑問点などを表明してくれることもありますが、Zoomではそれもほぼ不可能です。


■ グループ活動の支援をしにくい

 ZoomのBreakout session(グループ分け活動)で、それぞれのグループでの活動の様子を知るためには、教師が異なるRoom(グループ)を渡り歩くことができます。しかし、その移動には非常に時間がかかります。結果、それぞれのRoomでどのように話し合いが進んでいるかの観察をする時間も非常に少なくなります。

 対面授業でしたら、会話が弾まないグループも、周りのグループの活発な雰囲気に後押しされるように話し始めることがあります。また私などは、へらへら笑いながら「あれまぁ、このグループは沈黙ですか?」と話しかけ、どこかできっかけを作りながら、話が始まることを支援することもできます。

 ですが、Zoomで分けられたグループには独特の孤立感があり、話が弾まないと、そのことゆえにさらに話がしにくくなることが多々あります。教師としても、それぞれのグループにあまり時間をかけられないので苦労します。

 とはいえ、ある学生さんから教えてもらったテクニックは有効かもしれません。グループ分けをする際に教師が、「今日は、一番東の土地から来た人が進行役になってください」などと指示を出すわけです。そうなると学生さんは配置されたグループで自然と一言二言話をして、進行役が決められますから、話し合いも少しはうまく行くそうです。

補記:ちなみに、私は心身の不調からZoomでのグループ活動を困難に覚える学生さんには数種類のオプションを提供して、無理せずに自分なりのやり方で勉強ができるように配慮しています。


■ 指示がなかなか通らない

 先週のあるZoomクラスでは、設定した課題に関する私の指示が徹底していなかったことが判明しました。課題資料は全員がダウンロードしていますので問題はないのですが、その資料を使って、正確に何をするべきなのかを把握していない学生さんが何名もいたのです。対面授業でしたら、そのような学生さんの疑問は、机間巡視中の何気ない会話の中で解決したりするのですが、オンラインクラスではそれがほぼできないので、課題指示の理解不足が長引いてしまったわけです。

 そこで次の授業から、従来は口頭で行っていた課題に関する指示も、スライドに書くことにしました。ところがスライドを見ただけで、学生さんが明確にやるべきことを理解できるように指示を書こうとすると、存外に難しいことに気づきました。つまり、アイコンタクトなどから始まるその後のインタラクションによる補正なしで理解できるように、書き言葉として指示を表現しようとすると、それはそれほど簡単ではありませんでした。

 これは素直に反省しなければなりません。私はこれまで課題について「指示したつもり」になっていただけだからです。オンライン授業では、課題の内容だけでなく指示についても、明確かつ簡潔な書き言葉で表現しなければならないと反省しました。

 

■ 授業前後の雑談ができない

 私は教室に最初に最初に入り、教室を出るのも最後の人間になることを基本としています。そうすると、早く来たり遅くまで残っている学生さんと雑談する機会も自然に出てきます。対面授業ではそういった機会に、趣味などの個人的な話題を共有したり、授業についての率直な意見を聞いたりすることができました。Zoomになるとこれもなかなかできなくなります(とはいえ、Zoom授業を終了する際に、「何か質問や相談がある人は残ってね」と言って、その後に個人的に話をする方法はそれなりに有効です)。


以上、オンライン授業にはやりにくいところがいくつもありますが、現状では何とか創意工夫で乗り切るしかありません。学生さんと共によいオンライン授業のあり方を模索しようと思っています。




"AI is an empowerment tool to actualize the user's potential."

  本日、「 AIはユーザーの潜在的能力を現実化するツールである。AIはユーザーの力を拡充するだけであり、AIがユーザーに取って代わることはない 」ということを再認識しました。 私は、これまで 1) 学生がAIなしで英文を書く、2) 学生にAIフィードバックを与える、3) 学生が...