ライティング用AIは、学習者に理解語彙を使って思考・表現し、
それを発表語彙に変える機会を与える
■ AIという道具は使い方次第
AIとは人間にとっての道具にすぎません。他の道具と同様、人間はAIを愚かに使うこともできますが、賢く使うこともできます。
翻訳アプリや書き換えアプリなどのライティング用AIの愚かな使い方は、AIが出力する言語(私たちの議論においては英語)を無批判的に採択してしまうことです。これでは自らの意図とは異なる文章を自分の英語としてしまいかねませんし、英語の学習にもまったく役立ちません。
■ AIは学習者の理解語彙を発表語彙に転換することを促進しうる
賢い使い方は、AIは、不完全な出力しかしないが、その出力は利用者の思考と表現の可能性を拡張してくれる道具であると認識して、AIを英語を学びながら使う(あるいは使いながら学ぶ)ための道具として使うことです。AIは実用目的にも学習目的にも使えます。
言い換えるなら、こうなります。「ライティング用AIは、英語学習者が自分の発表語彙 (active vocabulary) ではなく理解語彙 (passive
vocabulary) を使って思考・表現する機会を与え、使用した理解語彙が発表語彙になることを促進する道具として使うべきである。」
一般に、人間が自らを表現するために自在に使える発表語彙の数は、他人の表現を理解するために使う理解語彙の数よりはるかに少ないものです。例えば、日本人の多くは夏目漱石の作品を読めますが、漱石のように語彙を使いこなせる人はほとんどいません。
外国語になると、学習者の発表語彙はおそろしく貧困になります。日本の英語教育は、まだまだ英語での発表の訓練を十分に行っていませんので、学習者が自在に理解できる発表語彙の数はごくごくわずかなものです。
他方、大学受験をする英語学習者はそれなりに読解の訓練をしますから、学習者の理解語彙はそれなりに増えています。もちろん、その理解語彙も、単語集の丸暗記で獲得されたものでしたら、その語彙がもたらす理解は断片的なものでしかありません。ですが、大学受験を目指して英語を勉強する学習者の理解語彙は、彼らの発表語彙よりもはるかに多いものです。
この発表語彙と理解語彙の間の大きな差は、学習者も周知していることです。その差から、学習者が、自らの知的レベルとはかけ離れた低いレベルの表現しかできない英語の発表活動を厭うようになったとしても不思議ではありません。そうなりますと、日本の英語教育の課題の一つは、どうやって学習者の理解語彙を発表語彙に変えてゆくかということになるでしょう。
■ 私の実践例
ここで英語を書く課題が出たとします。断っておきますが、ここでは時間を書けて反省的に書く課題であり、即興的に話す課題のことをではありません。(私は英語を書くことにはAIが有効だと考えていますが、話すことについてはそうは思っていません)。この差を明確にするために、以下では「書く課題」を、比較的複雑なテーマについて、自らの考えを正確に表現する長文であると仮に定義しておきます。ここでは大学英語教育レベルと考えてください。
時間を与えられて、自分が考えていることを正確に英語長文で表現する際に、もし学習者が最初から最後まで英語の発表語彙でしか考えて下書きすることしか許されていなかったとします。その場合の思考と表現は、自らの限られた発表語彙を駆使する訓練とはなります。しかし、その少ない語彙で書ける話題はきわめて限られていますから、学習者は自分が本当に書きたい話題を選べないことがしばしば生じます。また、仮にそのような話題を選んだとしても、思考や下書きの表現はきわめて拙いものになってしまいます。
ここで私の教育経験を語ります。私が勤める大学では、一回生の後期に、1,000語以上のacademic essayを英語で完成させることを要求しています。ある年のある学生さんは、遺伝子組み換え食品 (Genetically Modified Food) の潜在的な危険性について書きたいと述べました。私が話を聞いていますと、彼は数分にわたって滔々と危険性を具体的に述べました。私は彼の知識に驚嘆し、ぜひともいいエッセイを書いてほしいと励ましました。
しかし次の授業に、英語でアウトラインを書かせる課題を出したところ、彼のThesis
Statement(=序論の最後で述べる、エッセイの主張を明確に表現する文)は、"GM Food is bad."でしかありませんでした。彼の英語の発表語彙で思考・表現すると、その成果物は恐ろしく粗雑で貧困なものになります。私は日本語での彼の知性の高さを知っているだけに、それと英語表現のギャップにいたたまれない思いをしました。
その次の年に、私は後期の授業の最後の5週間程度で機械翻訳を本格的に導入することをしました。最初の10週間では、学生さんはAIの力を借りることなしに英語の短文を表現して、たくさんの間違いをします。教師としての私の役割は、「学校は安心して間違い、その間違いから学ぶ場所」という方針を徹底し、間違いに対して否定的な評価は避け、その間違いからお互いに英語表現について具体的に学びます。
それと同時に、学生さんは、少しずつ最終作品である1,000語の英文エッセイの下書きとして、3000文字程度の日本語エッセイを、ブレーンストーミングとアウトライン作成の過程を経て書きます。完成した日本語エッセイには、講師である私とクラスメートがフィードバックを与え、それなりの質の日本語エッセイを完成させます。
後期の残りの授業は、機械翻訳が出力したその日本語エッセイの英語を、批判的に読解した上で書き直します。(post-editing) AIが出力した英語が、自分の意図を正確に表現できているか、語法(特に冠詞・単数複数・代名詞など)が一貫しているか、文体の点で改善べきところはないかといった観点で、学生さんは英語を書き直してゆきます。
このようにして機械翻訳を導入したところ、あるクラスでは顕著にエッセイの話題が変わりました。「特殊相対性理論と一般相対性理論から考える時間の概念」、「自由意志の虚構性」、「アメリカ野球でのデータ革命」、「陸上競技記録の近年の急速な向上の原因」
、「俳句における感情表現の抑制性」など学生さんの知的興味に応じた話題が選ばれました。
後日、そのクラスではアンケートも行いました。「今回、もし最初に日本語を書いてそれを機械翻訳するのでなく、最初から英語で書かねばならないのなら、私はおそらくもっと簡単な話題を選んでいたはずだ」に対しては、40%(6名)が「そう思う」、33%(5名)が「どちらかと言えばそう思う」と答えていました。
このクラスの日本語エッセイの質は高いものでした。英語翻訳を、その質の高さに応じた質にするというのが、最後の数週間のpost-editingの課題でした。残念ながら私の力量不足で、最後の書き換えは十分ではなく、私の指導力を向上させる必要性が明確になりました。アンケートで学生さんは、「今後、いろいろな機会に、日英機械翻訳を積極的に使ってゆきたい」に対しては、73%(11名)が「そう思う」、20%(3名)が「どちらかと言えばそう思う」と回答していましたから、post-editing指導の充実は喫緊の課題です。
このように課題は残りますが、私は1,000語以上のacademic English essay作成といったライティングの授業では、機械翻訳を導入することが有効に働くと考えています。
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まとめ
以上の考察は、次の6点に要約できます。
(1) AIによって、学習者は、自らの知的レベルよりもはるかに低い外国語発表語彙ではなく、自分の知的レベルの母国語で下書きを書きながら考え続けることができる。
(2) AIによって、学習者は、自らの知的な興味関心に応じたレベルのトピックを書く可能性が高まる。この可能性は、学習者の自尊心に対して肯定的な影響を与えると予想できる。
(3) AIは、学習者が意図したことを、不完全ではあるが、学習者の外国語理解語彙のレベルで表現する。これによって、学習者は、自らの理解語彙の水準で、思考し表現する機会が与えられる。
(4) もちろんAIが出力する英語が学習者の理解語彙を超えていたら、学習者はAIの英語をうまく活用することができない。しかし、学習者の理解語彙がある程度のレベルに達していたら、学習者はAIが提示した具体的な語彙が自らの発表語彙となりうることを知る。AIの英語が学習者独自のリーティングとライティングの教材になる。
(5) 学習者が、AIが出力した英語を批判的に読むことを学び、その批判的読解から適切な英語表現でAIの英語を書き換えられるようになれば、学習者の理解語彙の知識が深まると同時に、理解語彙が発表語彙にもなる。英語ライティング力が、英語リーディング力と同時に高まる。
(6) まとめるなら、ライティング用AIは、学習者に外国語の発表語彙ではなく理解語彙を使って思考・表現する機会を与え、使用した理解語彙が発表語彙になることを促進する。
これらの理由から、私は、学習者の英語理解語彙が、学習者の知的レベルに相応しい程度に発達している場合は、学習者が自らの複雑な思考を、正確かつ長文の英語で表現しなければならないライティング授業において、AIは学習者の英語使用の点においても英語学習の点においても有効に活用できると考えます。
■ 終わりに
実は、このエッセイは昨日、AIについて同僚と語った経験に触発されて一気に書いたものです。表現すべき内容が自分の中で必ずしも整理されていなかったため、私は速く下書きし、その下書きを速読して、速く思考しなければ文章をまとめることができません。ですから、私は、自分にとっての最善の思考ツールである日本語を使いました。
所要時間は約1時間半でした。
次に私は日本語原稿をDeepLに入力し、その英語出力をGrammarlyにコピーし、Grammarly画面上で英語を修正しました。表現が凡庸に思えた時には、Wordtuneで書き換えの可能性を探りました。そうやって書き換えた英語は、再度DeepLにかけて日本語翻訳を作成し、その日本語をチェックして、英語に曖昧な表現がないかをチェックしました。私がこのような過程で英語翻訳を作成したのは、自分の考えを英語母語話者の同僚にも知ってもらいたかったからです。ちなみに英語作成のための所要時間は約2時間半でした。
もしAIがなければ、私はこのエッセイを英語に翻訳することを諦めていたでしょう。あまりに時間がかかるからです。また、もし私がこのエッセイを最初から英語で書いていたら、私の思考は現在以上に混乱し私の表現ももっと拙いものになっていたでしょう。しかしAIを使うことにより、私は自らの思考を、英語でもそれなりに表現し、私の同僚にも伝えることができました。そしてその表現を練り上げる過程で、英語表現について具体的に学ぶことができました。
私は教育経験だけでなく自分の実務経験からも、AIの導入が、英語の使用と学習において有効に活用できると考えます。AIによって学習者は、より力をつけることができますし、より自律的になりえます。
もちろん、いかなる道具も、愚かに使うことは可能ですが。