この「機械翻訳はバベルの塔を築くのか」という論考は、2021年12月4日(土)の京都大学創立125周年記念シンポジウム「転換期の大学言語教育 -AI翻訳とポスト・コロナへの対応-」における私のパネル報告を基にしたものです。
「機械翻訳はバベルの塔を築くのか--大学教育課程での英語ライティング授業からの考察」
『ことばと社会』編集委員会・編 『ことばと社会』 三元社 pp. 43-63.
この論考もChatGPT登場以前に行ったものですが、私が「バベルの塔」という比喩に込めた問題の深刻度はさらに増しているかと思います。
上の画像もAIのMidjourneyが生成したものです。自然言語によるプロンプトでさまざまな画像が生成されるのは驚きですが、画像は(私の感覚では)英語圏で流通している画像に大きく影響を受けています。もちろん日本のアニメ的な作画もAIは取り入れていますが、AIデータの主流は英語圏での画像であるように思えます。その結果、ユーザーが生み出す画像も、英語圏での感覚に引きずられたものになります。
ここでのポイントは多様性の喪失です。AIによって人間の知的生産性は飛躍的に高まりますが、その成果物が英語圏の発想に偏ってしまうことは、人類規模で考えるなら望ましいことではないと私は考えます。
もしよろしければご一読ください。拙いながらも、私としてはストーリー展開や文体を戦略的に選択して書きました。