この度、『早稲田日本語教育学』の第35号に、拙論「「英語力」をこれ以上商品化・貨幣化するためにAIを使ってはならない─技術主導の問いから人間主導の問いへ─」を掲載していただきました。同号は「人工知能知能時代の日本語教育」をテーマにしたのですが、それに伴い、日本語教育と英語教育という違いを乗り越えて執筆のお誘いをくださり拙論を掲載してくださった編集部の皆様に心から感謝申し上げます。
■ 論文単体をダウンロード
早稲田大学リポジトリ 『早稲田日本語教育学』 第35号 【特集】人工知能時代の日本語教育--テクノロジーとの強制を目指して-- pp.57-72.
https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2000817
■ 第35号全体をダウンロード
『早稲田日本語教育学』第35号 【特集】人工知能時代の日本語教育--テクノロジーとの共生を目指して-- pp.57-72.
https://waseda.app.box.com/s/z3rrc0wycuv9zewspmgo4iftjaw9i1rp
■ 『早稲田日本語教育学』について
『早稲田日本語教育学』
https://www.waseda.jp/fire/gsjal/research/journal_publication/
この論考は、2023年8月9日にLET全国大会で講演した内容の主要部分を基にしております。
LET62基調講演「AIによる英語教育の商品化と格差の拡大を防ぐ
― テクノロジーは人権尊重のために ―」投映スライドと解説動画の公開
https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/08/let62ai.html
主要部分の議論は、「近代社会の歪みをこれ以上悪化させるためにAIを使ってはならない」という原則の下に、資本主義・新自由主義的な英語教育の管理をAIで加速させることを防ぐべきというものでした。
ですが実は、私がこの発表前日にこの学会に参加した際には、この講演は非常なる不評に終わるのではないかと本気で心配していました(会場外のベンチで、今更ながらに発表スライドを見直して「どうしよう」と悩んだことを今でも覚えています)。会場の三分の一からはブーイングをもらい、もう一つの三分の一からは冷たい視線を浴び、残り三分の一からは「何を言っているのかわからない」といった無理解をもらうのではないかと私は思っていました。大規模標準テスト(いわゆる資格試験)についてかなり批判的な論考をしているからです。
ですが講演は私がびっくりするぐらい好評でした(もちろん無言のうちに不満を覚えていた方もいらっしゃるでしょうが)。多くの方から「よく言ってくれた」といったコメントをもらいました。中には数カ月後に偶然会った際に「夏の講演はすばらしかった」とお声をかけてくださった方もいました。
英語教育において今や大規模標準テストは非常に重要な位置を占めています。大規模標準テストの扱い方を誤ると、英語教育が大きく歪んでしまうと私は考えています。その歪みをAIでさらに拡大させてはいけないというのが私の主張です。
以下は要旨です。
要旨
新技術が台頭する時、人々は熱狂的に「技術に何ができるか」と技術主導の問いを尋ねる。しかしより重要なのは、「人間は技術に何をさせるか、あるいはさせるべきでないか」という人間主導の問いである。本稿は「近代社会の歪みをこれ以上悪化させるためにAIを使ってはならない」という原則の下に、資本主義・新自由主義的な英語教育の管理をAIで加速させることを防ぐべきと主張する。具体的には、AIを使って、これ以上「英語力」を商品さらには貨幣として扱い、学習者と教師を疎外することをやめなければならない、と説く。多くの英語教育関係者は、本来はさまざまな要因から創発している英語使用を、「あるに違いない」と想定する観念である「英語力」から生じるものと信じ込んでいる。さらにはその「英語力」を大規模標準テストで実体化したと思い込み、そのスコアを英語力の証左と見なす。そのスコアはやがて貨幣のように英語教育の価値を示すものとされる。AIを使ってこの近代の信仰システムを増長させてはならない。
論考はやや抽象的ですが、できるだけわかりやすく書いたつもりです。もしよかったらご一読ください。