2020/02/20

第7章「社会的実在性を有する情動」(Emotions as Social Reality) のまとめ: "How Emotions Are Made"より



この記事も、How Emotions Are Madeに関するお勉強ノートです。






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今回の記事では直前の記事と少し重なりますが、同書の第7章についてまとめました。この章は同書の理論編の最後の部分なので少しきちんとまとめておこうと考えました。

以下に現れる (131, 220) といった表記は、最初の数字が原著の、次の数字が翻訳書の該当ページ番号を示します。

翻訳書は大変参考にさせていただきましたが、下で示した訳は私なりに訳したものです。

翻訳書は正確で読みやすく、訳注や解説も充実していますから、ご興味がある方はぜひ入手してお読みください。






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■ 情動は実在するのか? (Are emotions real?)

何が実在する (real) かに関しては、二種類の実在性 (reality) を想定するべきであろう。

第一の実在性は物理的実在性 (physical reality) であり、これは人間という観察者がいようがいまいが、その実在性に変化がない実在性である。物理的実在性は知覚者とは無関係 (perceiver-independent)なカテゴリーである。 (131, 220) 物理学者や化学者などはこの物理的実在性をもとに研究を進めている。

第二の実在性は社会的実在性 (social reality) である。社会的実在性は知覚者に依存した (perceiver-dependent) カテゴリーである。 (132, 221)

情動は--少なくともバレットの定義によるなら--人々に意味をもたらし行動を促すものである。もちろん個々人の意味や行動はそれぞれ微妙に異なるが、同じ文化に住む人々はだいたいに同じように意味を感じ同じように行動を促される。

逆に言うなら、文化が違えば情動に関する意味や行動は大きく変わりうるし、そもそも文化によっては他の文化がもたない情動をもつこともある。こういう点からすれば、情動は、同じような生活様式(ウィトゲンシュタイン)を共有してきた歴史をもつ人々がおおまかに同意する限りにおいて存在しているものである。したがって、情動は社会的実在性をもつと考えるべきである。

もちろん、心臓の鼓動・血圧・呼吸・体温・コルチゾールなどの変動は物理的実在性を有しているともいえる。(132, 222) (注)

(注)ただ、これらの変動を特定しているのは人間の概念であることからすれば、そう簡単に「観察者からの独立性」を標榜をすることはできない。しかしこの問題についてはここでは深入りしない。

ダマシオならこれらの物理的実在性を有する現象に対して「情動」という用語を使うかもしれないが、情動の概念性・予測性を重視するバレットは、それらの物理的(というよりは生理学的)現象を「本質的には情動でない」 (not intrinsically emotional) と述べる。(133, 222) 彼女はこうまとめている。

筋肉運動や身体変化が情動の具体的な事例 (instances of emotion) としとして機能する (functional) のは、人間がそれらを具体的な情動の事例としてカテゴリー化した時だけである。そのカテゴリー化によってこそ、さまざまな経験や知覚といった新たな機能が得られるのである。 (133, 222)

もちろんこの情動の社会的実在性には、物理的実在性の基盤がある。脳と身体である。だが物理的対象としての脳と身体そのものが情動であると言い切ることはできない。脳と身体が生み出した現象についてゆるやかに合意する人々の社会的な営みがあってこそ、私たちは情動をリアルなものと感じている。このリアリティーが社会的実在性あるいは社会的現実である。

ちなみに特定の人間集団という観察者に依存した社会的実在性を、厳密に客観的な方法で測定することはできない。得られるのは合意 (consensus) ぐらいである。これは、科学の限界を示しているというよりは、私たちが物理的実在性ではなく、社会的実在性について扱っていることを示していると考えるべきである。(140, 234)--ちなみにバレットはウィトゲンシュタインを引用していないが、私は彼女の立論を理解する際に、ウィトゲンシュタインの哲学が(ルーマンの哲学と共に)非常に有用であると感じている。


■ 情動はいかにして実在するようになるのか? (How do emotions become real?)

人間が情動の社会的現実を信じている背景には、人間の総合力 (human capabilities) が二つ必要である。

第一に必要なのは、集団的志向性 (collective intentionality)である。これは、対象・事実・事態・目的・価値などに対して、複数の人々が共同的に注意を向ける心の能力であある。集団的志向性は、意図・注意・信念・受容・情動などを個人を超えた複数の人々で共同的に共有するという様態を取る。(Stanford Encyclopedia of Philosphy)。集団的志向性によって協調的行為 (cooperative act) が可能になる。(135, 226)

だが、集団的志向性は、アリ・蜂・鳥・魚・チンパンジーなどももつものである。集団的志向性は、人間の情動にとっての必要条件ではあっても十分条件ではない。 (135, 226)

そこで、第二に必要となってくるのが言語 (language) である。人間ほどに集団的志向性とことば (words) を結びつけている動物はない。 (135, 227) これら二つが結合することにより、人々は協調的にカテゴリー化を進める (categorize cooperatively) が、これがコミュニケーションと社会的影響 (social influence) の基盤となる。 (136, 227)

たとえば「楽器」や「怖れ」といったことばを考えてみても、これらは外見上は非常に異なる事態を概念としてまとめあげている。これらの複雑な概念が「楽器」や「怖れ」という言語の形式を得ることにより、人間はこれらの概念をコミュニケーションに明示的に登場させ、協調的にカテゴリー化を広げ・深めることができるようになった。

人間の集団がこれほどゆたかにさまざまな情動と概念を有しているのは、人間が集団的志向性と言語という二つの力を相互作用させながら使いこなしているからである。


■ 情動的文化的変容 (emotion accultulation) 

社会的実在性をもつ情動は、当然のことながら、属する社会(集団)が違えば異なってくる。移民や留学生は、新しい国の文化と言語になじむにつれ、新しい言語が表す概念に従うことを学び、考え方や感じ方や行動の仕方を変容させる。これを情動的文化変容と呼ぶことができる。

簡単な例を出すなら、アメリカで長く暮らす日本人の多くは、次第にアメリカ人のような身振り・手振りをし始め、笑いや不快感のツボもアメリカ人と同じようになってくる。

こういった日本人が日本の文化・言語による生活様式も忘れていないとしたら、そういった日本人はbicultural(二文化併用的)になったと言えるのかもしれない。

だが、もちろんアメリカ語は流暢になってもアメリカの生活様式をなかなか受け入れない日本人もいるだろう。そういった人は、bicultural(二文化併用的)にならないままbilingual(二言語併用的)になったといえるだろう。そういった日本人の話す英語は、特に情動のレベルで時にアメリカ人を驚かすかもしれない。

言語的変容と文化的変容という話題については、さまざまな価値観が交錯するので語りにくいところもあるが、ますます異文化間交流が進む現在、無視できない話題ではある。




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