2022/04/11

私家版:論文執筆のための5つの手順

 

以下は、私なりにまとめた論文の書き方の手順です。もちろんこれは基本的な原則であり、厳密にこの順番に沿わなければならないものではありません。ですが、この手順にしたがうと比較的効果的に論文を構想・執筆できるのではないかと考え、院生指導に使うため、ここに示します。


***


(1) What, Why, How


自分が書きたいことを、次の3点についてそれぞれ簡潔に1文で表現する。


What:自分の研究の主題 (topic) が何かを示す。必要に応じて定義文を加える。

Why:その主題について検討することの意義 (significance) を他人にわかるように説明する。

How:その主題について検討するための適切な方法 (method) を具体的に示す。



(2) X is Y in Z


検討する主題について、立証したい命題 (Proposition) を、以下の3要素を明確にした上で表現する。


X = topic:命題の主題は何かを、(1)よりもはるかに具体的に示す。

Y = a controlling idea:その主題についてどのような主張をするのか。

Z = detail:その主張は、具体的にはどのような観点や理由からなされるのか。


ちなみに論文では通説を批判的に克服して、新たな命題を主張・立証することが多い。その場合は、 X is not Y1 but Y2 in Z となる。(Y1が従来の説、Y2が新たな説)。


自分が主張したいことを、1文で表現できないなら、まだ論文を書く準備はできていないと考えるべきである。



(3) Context-Problem-Solution


上の (1) と (2) に基づいて、論文全体の話 (story) の流れを考える。流れは次の3段階で構成するとよい。


Context:自分が検討したい主題 (What, topic) について知識も興味ももっていない読者に、その主題について検討することが重要であること (Why, significance) を説明し、共通の文脈を作る。

Problem:その主題については解決しなくては困る問題があることを示す。

Solution:その問題を解決するために適切な方法 (How, method) を示した上で、立証命題 (X is Y in Z) を問題の解決として示す。


論文執筆者は、しばしば論文読者を自分と同じような人間だとしか想定しない。その結果、主題に関するこれまでの経緯や重要用語の定義といった共通文脈 (Context) の設立、およびなぜ自分の研究が必要(あるいは重要)のなのかという説明 (Problem) の記述を怠る。そして自分の勉強ノートを切り貼りして「論文」とする。

しかし、そのような「論文」は読者にとって、何のために読むのか、どこからどこへつながっているのか、どの概念が重要なのか、といったことが不明であり、読むのが苦痛になものになる。論文執筆者は、この3分法でいうなら、Solutionだけを書くのではなく、研究主題に知識も興味ももっていない読者がどのような心の動きをするかということを想像しながら、ContextとProblemの記述をしなければならない。



(4) Outline


上の (3) を大きな話の流れとした上で、Introduction-Method-Result-Discussionなどの構成に即して、 "1." "1.1." "1.1.1" などの階層的な桁番号で示したアウトラインの形に変換して、論文の設計書を作る。どの階層の桁番号も、1文の命題の形で表現する(命題の前には、可能な限り、短い小見出しをつける)。

1桁命題(例 "1." )は章、2桁命題(例 "1.1." )は節 、3桁命題(例 "1.1.1." )は項を示す。

2桁命題は1桁命題の補助命題であり、3桁命題は2桁命題の補助命題である。

命題(章)および補助命題(節か項)は最大でも4~5個程度に抑える。また命題の桁数は原則として3桁に留める。これらの制限は、論文を理解しやすくするために重要である。

なおしばしば、このアウトライン作成が論文執筆の中でもっとも知的に困難である。一人で思考するこの困難な課題から逃げて、文章を書き始める者は、他人には理解困難な論証をしてしまい、結果的に時間を無駄に使ってしまう。

アウトラインが十分であるかどうかは、アウトラインを見ながら口頭で語り、その語りが自分で聞いて論理的であるかどうかを確かめる。口頭での語りは、文章執筆よりも容易で、何度も試行錯誤が可能である。文章を書く前に、必ず語って、論理が明晰であり説明が十分であるかを考えること。

追記(2022/04/18)

また、口頭で語る場合は、まず1桁命題レベルで(つまり、1桁命題を述べるだけで)1分程度で簡潔にかつ首尾一貫して語れるかをシミュレーションすること。(できればこのレベルで他人に聞いて率直な感想を聞くことが望ましい)。

次に2桁命題まで語るレベルで3-5分程度で過不足なく説明できるかをチェックすること。最後に3桁命題まで含めて10分程度でわかりやすく語れているかをチェックするべし。1桁レベルから3桁レベルまで、どのレベルでも語れるようにすること(必要な場合は、あるセクションだけ3桁レベルで語り、他の部分は1桁もしくは2桁レベルで語るといったシミュレーションも行うこと)。




(5) Paragraph writing with unity, modularity, and coherence


上のアウトラインが十分に完成したことを確かめた上で、パラグラフ・ライティングを行う。パラグラフ・ライティングでは次の3つの原則を徹底すること。


Unity:1つのパラグラフでは、1つのトピック・命題についてのみ書くこと。

Modularity:あるトピック・命題については1つのパラグラフで論じきってしまうこと(1つのパラグラフでは語りきれないなら、複数のパラグラフを1つのセットにして、そのセットで語りきってしまうこと)。そのあと、そのトピック・命題が再度登場し、主張が追加されたりすることがないようにする。

Coherence:パラグラフとパラグラフの間の関係がわかりやすいようにする。適宜、discoure markersなどを活用する。


言うまでもなくパラグラフ・ライティングとは、主張提示-主張立証-主張再提示の3要素でパラグラフを構成することを原則とする書き方である。だが実際の学術論文は、常にこの3要素で構成されているわけではない。(参考:「学術ライティングの基本」「英語論文の内部構造」)。


***


なお、以上の5つの手順で論文を構想・執筆するのが難しく思える場合は、手順を始める前に、ブレインストーミングやマインドマッピングでとにかく思考を視覚化すると良い。その図を見ることで自分のワーキングメモリー負荷を減らすことができるので、考えることが容易になる。

これらの図は、最初の段階では手描きで作成する方が素早く書けるので好ましい。思考が整理されたらパワーポイントで作図すると、何枚もコピーしてさまざまなバリエーションを描いて比較検討することもできるので便利である。


大きな建築物を建てる場合には設計図は不可欠である。設計図なしに即興で大きな建物を建てようとしたら、壮大なムダばかりしてしまう。また、設計図は、建築物の機能・目的を十分に明確にした上で作成しなければならない。さもないと、何のために建てたものかわからない無駄な建物になる。論文を書く場合も、(1)から(5)の順番で一つ一つの段階を確実にこなすことを推奨する。




追記(2022/04/18)


上の5つの手順以前の基本的なことも書いておきます。


(6) Claim-Reason-Evidence


学術的な文章で大切な主張 (claim) をする時は、必ずその主張が妥当であることを示す理由 (reason) を添えてください。

また必要に応じて、その理由の裏付けとなる具体的な証拠 (evidence) を添えてください。

重要な論点を言い立てているのに、理由も証拠も示していないことは学術的な文章では許されません。論文とは、読者を知的に説得する文章だからです。

論文の中で重要な論を立てる際は、「主張-理由-証拠」の3点セットで提示してください。


さらに主張が論文の中核的なものでしたら、以下の2つのうちの両方(あるいはどちらか一つ)をつけるべきです。



(6a) Warrant


理由や証拠そのものが論争を呼びそうな場合は、なぜその理由や証拠が妥当であるかの根拠 (warrant) を追加提示してください。この場合の根拠は、理由が妥当であることを示す抽象的な理由あるいは証拠が証拠として成立することを論ずる理由です。そういった根拠はしばしば論者の哲学的背景(特に認識論)を説明することになります。長くなりすぎないように簡潔に記してください。

なお「根拠」という用語は、しばしば上で言うところの「理由」と「証拠」を合わせた総称的な用語としても使われます。この(6)での用語法は、Craft of Researchに基づいています(ただし、私はこの本の翻訳版を読んでいませんので、訳語は違うかもしません)



(6b) Acknowledgement-Response


完全無欠の主張というものはないものです(そもそもそんな主張でしたら、論文で取り上げる意味がありません)。ですから論の展開を本格的にするためには、予め予想される自分の立論の弱点も示すべきです。それが譲歩 (Acknowledgement)です。自分の主張について「とはいえ、確かに○○という反論もある」といった形で自らの論の弱点を認めるわけです。

しかし弱点を認めただけでは、自らの論が弱くなるだけですから、譲歩をしたら必ずそれに対する再反論 (response) も加える必要があります。「しかし、△△を考えるなら、○○の意味合いは大きなものではない」のように、何らかの形で譲歩した内容に対応して自分の立論を守ってしてください。


こうなりますと、学術論文における主張は以下のどれかの形を取ることになります。


・主張-理由

・主張-理由-証拠

・主張-理由(根拠)-証拠

・主張-理由-証拠(根拠)

・主張-理由(根拠)-証拠(根拠)

・主張-理由(根拠)-証拠(根拠)-譲歩-対応


どのレベルで主張を行うかは、白か黒の二分法で決まるものでなく、アナログ的な判断で決められるものです。論文全体のバランスなどから決めてください。

しかし重要な主張をしているにもかかわらず、理由以下をすべて提示していない独りよがりの文章は学術的文章としては認められません。


柳瀬陽介 (2023) 「「英語力」をこれ以上商品化・貨幣化するためにAIを使ってはならない─技術主導の問いから人間主導の問いへ─」『早稲田日本語教育学』第35号 pp.57-72

  この度、『早稲田日本語教育学』の第35号に、拙論 「「英語力」をこれ以上商品化・貨幣化するためにAIを使ってはならない─技術主導の問いから人間主導の問いへ─」 を掲載していただきました。同号は「人工知能知能時代の日本語教育」をテーマにしたのですが、それに伴い、日本語教育と英語...