2021/03/10

古田徹也 (2020) 『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHK出版)


この本の著者は、ウィトゲンシュタインの哲学を「この世界についての展望を開くための哲学だ」と総括しているが (p. 20)、本書は、まさにそんなウィトゲンシュタイン哲学についての展望を示している。著者はウィトゲンシュタインの哲学を実践している。


言い換えるなら、この本は、前期から後期に至るウィトゲンシュタインの哲学が一本の糸でつながっていることを示している。

前期の『論理哲学論考』と後期の『哲学探究』、すべての哲学的問題は解決したと考え小学校教師に転身したウィトゲンシュタインと哲学を再開するウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』を博士論文として提出し審査員のラッセルとムーアに「心配しなくてもいい、これをあなた方が理解できないのはわかっている」と述べたウィトゲンシュタインと講義中に思考を重ねことばにつまりながら自分の哲学的能力に絶望するウィトゲンシュタイン、熱心な教師としてのウィトゲンシュタインと生徒や保護者と衝突を繰り返す教師としてのウィトゲンシュタイン -- 

これらの哲学とウィトゲンシュタイン像はすべて一本の糸でつながっている。彼は(哲学学者としてではなく)哲学者として生きた。ゆえに彼の哲学と人生はつながっている。そして下手をするとバラバラに見える彼のさまざまな哲学的な主張も実はつながっている。


もちろん、このつながっている一本の糸は、単純でまっすぐなものではない。時に曲がり、からみ、もつれ、細くなり、太くなる。また、ウィトゲンシュタイン自身も言うように、長い一本の糸にはその端から端までを貫く繊維があるわけではない。糸はさまざまな繊維が重なり合い連なり合うことで長い一本の糸となる(『哲学探究』第67節)。ウィトゲンシュタイン哲学を貫く糸も多種多様な繊維のさまざまな重なりと連なりから構成されている。この本は、そんな糸のあり方を具体的に解説し、ウィトゲンシュタイン哲学への展望を与えている。


一本の糸のつながりを示すことで展望を与えると述べたが、しかし展望の与え方は一つだけとは限らないこともウィトゲンシュタイン哲学は示している。 (p. 209) だから言うまでもないことだが、本書で示されるウィトゲンシュタイン哲学理解(一本の糸)だけが唯一真正の理解であるわけではない。


だが本書は本書なりに、一見したところまったくの別物のようにさえ思えるウィトゲンシュタインの哲学的主張の間にさまざまな「連結項」を見出し、それらの間のつながりを明らかにしている。


さらに連結項は見いだされるだけではなく、時に発明されるものでもある。社会科学でもある構成概念を理念的に作り上げることによって、その対比で現状を理解することはしばしば見られることだ。 (p. 219)


こうして私たちは「連関を見て、展望を得る」。しかしそれは(上でも示唆したように)一度きりのことではなく、「そのつどの文脈、自分の立ち位置、自分の関心に応じて、試み続けるもの」である。 (p. 225)


したがってウィトゲンシュタインの哲学は、単に「ひとつの理論だけで多様な物事をまとめ上げようとする硬直化した思考」を解体するだけのものではない。彼の哲学は、「物事に様々な角度から光を当て、そのつど浮かび上がる様々なアスペクト同士を比較することではじめて見えてくるもの」 (p. 225) の価値を認める哲学である。


ちなみにこのウィトゲンシュタイン哲学の動態性という観点は、私にとっての本書からの最大の収穫の一つであった。 ウィトゲンシュタインはひとつの物事の捉え方をただ相対化したのではない。彼は、ある人間がその生きる文脈の中でさまざまに視点を変え、多様な「アスペクトの閃き」を経験することによって得られる理解の重要性、そしてその理解をさらに更新し続けることの意義を説いたのだ。したがって彼の哲学とは、哲学的に生きることである。ある1編の論文1冊の本などで集結するものではない。哲学的に生き続けること、そしてそのことによってよりよき人生を創造し続けることが彼の哲学だと私は理解した。


本書は、ウィトゲンシュタインの哲学と人生の関係について次のようにまとめている。


前期の仕事がまさにそうであったように、彼自身が、ひとつの像に囚われて安易な一般化へと向かう傾向を強くもっていた。我々の大半と同様に、偏見に流され、ステレオタイプで人や物事を見ることがしばしばだった。彼はそのような自分を変えたいと願った。それゆえに、彼は新しい哲学の方法を必要とし、それを作り上げたのだ。 (p. 297)


そんなウィトゲンシュタインの哲学を私たちが読むということは、彼の文章を通じて、私たちが考え、さまざまな連結項を発見あるいは発明し、今まで見えなかった連関を見て新たな展望を得ることだ。そして時や状況が変わった上でウィトゲンシュタイン哲学を読み直すということは、新たな連関や展望を得ることが必要であることを私たちが直観し、再読・再思考により、新たなつながりを見出し自らの理解を更新するということだ。そして古い理解と新しい理解を比較し、その比較ではじめてわかることを新たな洞察とし、再び自らの実践的世界に戻ることだ。この意味でウィトゲンシュタインについて私たちは、「哲学学」の一部として知識を得るのではなく、「哲学」として読者自身の生き方と融合すべきなのだ。


『はじめてのウィトゲンシュタイン』という題名をもつ本書ではあるが、教育学部・教育学研究科の学生として哲学をかじりはじめた経歴をもつ私としては、この本が、これまで哲学の本をほとんど読んだことがない初心者にとってわかりやすいものかどうかについては断言できない。だが本書がウィトゲンシュタインという哲学者のさまざまなつながりを見事に解明し、さらには読者自身が発展的に考察することを促す書であることは間違いない。ウィトゲンシュタインについてある程度を知る人は、確実に本書の価値を認めるだろう。





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