中川篤・樫葉みつ子・柳瀬陽介 (2019) 「当事者研究が拓く、弱さを語るコミュニケーション ―校内のコミュニケーションリーダーとなる英語教師を目指して―」 『全国英語教育学会紀要』 30 巻 p. 271-286
新学期を前に情報を整理していたら、この共著論文については私のブログで言及していなかったことに気づきましたので、遅ればせながらここで情報提供しておきます。
中川 篤, 樫葉 みつ子, 柳瀬 陽介
当事者研究が拓く、弱さを語るコミュニケーション
―校内のコミュニケーションリーダーとなる英語教師を目指して―
『全国英語教育学会紀要』
2019 年 30 巻 p. 271-286
https://doi.org/10.20581/arele.30.0_271
共著者として私が考えていたことの一つは、「英語教師はコミュニケーションを教える教師なのだから、学習者とのコミュニケーションにとどまらず、職場同僚とのコミュニケーションにおいても、よいロールモデルとなるべきだ」という青臭い信条です。
私は武術オタクに過ぎませんが、それでもさまざまな武術家・格闘家が言う「できてナンボ」ということばに深く共感します。
理屈を言うことは簡単です。また理屈は(曖昧な日常言語で語る限り)いかようにでもつけられます。
武術家・格闘家も技芸についていろいろと語ることは簡単です。
ですが、武術家・格闘家の真価は、語る理屈にあるのではありません。
大切なことは、技芸を自らの身心で体現できること--できること--です。
理屈を語るのは、それからと言うべきかもしれません。
その意味で、当時公立中学校教諭だった田尻悟郎先生が、「生徒の問題はコミュニケーションがうまくいっていないから生じている。自分はコミュニケーションを教える英語の教師なのだから、授業を通じて生徒のコミュニケーションをよくしよう」と率直に決意したエピソードをすごいことだと思っています。
この公立中学校は生徒数が1000人を超える大規模校で、生徒でごった返す廊下では、お互いよけることもせず、ぶつかっても言葉を交わすこ ともない。校門に立って朝の挨拶をする田尻に返事を返す生徒もほとんどいない。一年生を担当し、そのまま持ち上がることになる田尻は、生徒を育てて学校に温かさを取り戻そうと思ったが、一年の三学期では、めまいがおこるほど毎日問題がおきることとなる。二年になると多くの生徒がクラスに疎外感を感じるようになる。田尻はこれらの問題は、生徒同士がうまくコミュニケーションを取れないことに起因していると分析し、英語科はコミュニケーションの仕方を教える教科なのだから、「授業を通じて生徒同士が関わり合い、お互いを理解し、認め、支えあえるようにしてやりたいと考え、日々の授業作りに精を出した」と解説する 。(p. 168)
柳瀬陽介
アレント『人間の条件』による田尻悟郎・公立中学校スピーチ実践の分析
『中国地区英語教育学会研究紀要』
2005 年 35 巻 p. 167-176
https://doi.org/10.18983/casele.35.0_167
「当たり前のことを当たり前に行う」、あるいは「自分が他人に教えること・説教することは、まず自らが常に実践する」といった当然のことを普通に実行している人を私は尊敬し、そんな人に憧れています。
ですから、こういった発言が自分の首を締めることはわかりつつも、私は、教室でも職場でもよきコミュニケーションを率先して実践できる人間になりたい、という素朴で幼稚かもしれない初心をここで臆面もなく述べておきたく思います。
上で当事者研究ひいてはコミュニケーションについていろいろ偉そうなことを語った私ですが、そんな初心を失ってしまえば(あるいは失わずとも冷笑の対象にしてしまえば)、論文を書くといった営みもどこか虚しく思えます。