2020/09/16

Michael Polanyi (1966) The Tacit Dimension (Peter Smith) のまとめ

  

この記事は、 Personal Knowledgeのまとめに続く、お勉強ノートです。Michael Polanyi (1966) The Tacit Dimension (Peter Smith) [翻訳書:マイケル・ポラニー著、佐藤敬三訳 (1980) 暗黙知の次元 言語から非言語へ』(紀伊國屋書店)の中から、言語教育に関連があり、かつ1958年出版のPersonal Knowledgeには含まれていなかった論点を下に翻訳して補注をつけることでまとめました。まとめの要領は、Personal Knowledgeのまとめの時と同じです。本文だけで405ページある Personal Knowledge と違って、この本は本文が92ページしかない小著ということもあり、下のまとめの分量は多くありませんから、特にキーワード別に分類したり、要約をつけたりすることもしませんでした。

 

 

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 あるレベルの現実は、その下のレベルの具体的諸事項を統治する法則に依存しているが、その下位レベルの法則によって説明されることはない。

 

翻訳2つの点について考えよう。 (1) あるひと連なりの対象を暗黙的に知ること (tacit knowing of a coherent entity) は、私たちがその対象に注意を払うためにその具体的諸事項を覚知していることに掛かっている。 (our awareness of the particulars of the entity for attending to it) (2) 私たちが注意を具体的諸事項に向けてしまうと、具体的諸事項の機能は失われ、私たちはそれまで注意を払ってきた対象の姿を見失ってしまう。これを存在論的に (ontological) 相当させるなら次のようになるだろう。(1) ある包括的対象を制御している原理 (the principles controlling a comprehensive entity) が作動することは (their operation)、その対象の具体的諸事項自体を統治している法則 (laws governing the particulars of the entity in themselves) に掛かっている。(2) 同時に、諸事項自体を統治している法則は、それらが形成する上位の対象を組織化する原理 (the organizing principles of a higher entity which they form) を説明することは決してない。チェスのゲームについて知っていることと、チェスのゲーム自体の違いという話題に戻って考えよう。チェスのゲームをするということは、チェスの規則を遵守することに掛かっている原理によって制御されている対象である。しかし、チェスのゲームそのものを制御している原理を、チェスの規則から引き出すことはできない。具体的諸事項を含む近接項 (the proximal) と、それら諸事項の包括的意味 (their comprehensive meaning) である遠隔項 (the distal) という、暗黙的に知ること (tacit knowing) 2つの項 (terms) は、そうなると、それぞれ別の原理で制御されている、現実の2つのレベルであるように思える。(two levels of reality, controlled by distinctive principles) 上位のレベルの現実 (the upper one) が作動することは、下位のレベルの現実の要素自体を統治している法則に掛かっている。しかし、その上位レベルの作動は、下位レベルの法則によっては説明できない。さらに、そのような2つのレベルの間には論理的な関係 (a logical relation) が保たれていると言うこともできる。この関係は、これら2つのレベルは、暗黙的に知る行為において、その暗黙知を共に包括する (jointly comprehend) 2つの項であるという事実に対応している。 (pp. 34-35, 58-59ページ)

 

補注:ある包括的対象(=ひと連なりで全体を構成している対象)を複数のレベルに分割して観測できるとする。ある下位レベルの作動は、そのレベル独自の法則にしたがっているが、包括的対象の構成部分としてのそのレベルの作動はそのレベル法則だけでは説明できない。その上位レベルでの法則、ひいてはその包括的対象全体での法則を勘案に入れなければ、下位レベルでの作動を十全に説明することはできない。またおそらく、その包括的対象の全体としての作動も、それを含む生態系のレベルの作動を勘案に入れなければ十分には解明できないのではないか。

 話をここで大きくしてしまうなら、デカルトは知的作業の基本を、明証・分割・枚挙・総合の4つの手順で説明したが、いったん何かを分割してしまったら、いくらその分割単位の中での事象が明証され、かつ、分割単位が枚挙されたとしても、その知見を単純に合算するだけでは十分な「総合」とならないように思える。

 

 

 音声学は語彙を説明できず、語彙論は文を説明できない。文法は文体を説明できず、文体論は文芸作品を説明できない。

 

翻訳:次の例でより詳しく論考しよう。話をすること (giving a speech) の例である。話をすることには5つのレベルが含まれている。すなわち、(1) (voice)(2) 語、(3) 文、(4) 文体、(5) 文芸的な作品 (literary composition)、の5つのレベルでの産出 (production) である。これらのレベルはそれぞれに独自の法則の支配下にある。 (subject to) それらの法則は、(1) 音声学、(2) 語彙論 (lexicography)(3) 文法、(4) 文体論、(5) 文芸批評 (literary criticism) によって詳述 (prescribe) されている。これらのレベルは、包括的対象 (comprehensive entities) の階層構造 (a hierarchy) を形成している。というのも、それぞれのレベルの原理の作動は、その上位のレベルの制御下にあるからである。 (for the principles of each level operate under the control of the next higher level) 発する声が語として形作られる (is shaped) のは語彙によってである。語が文として形作られるのは文法によってである。文は文体に適うよう (fit into a style) に作成されうる。文体は、文芸的作品の観念を伝えるように作成されうる。このようにしてそれぞれのレベルは二重の制御下にある。 (subject to dual control) 第一に、自らの要素自体に当てはまる法則の下にあり、第二にその要素によって形成される包括的対象を制御する法則の下にある。(first, by the laws that apply to its elements in themselves and, second, by the laws that control the comprehensive entity formed by them)

 したがって、上位レベルの作動は、それより下のレベルを形成する具体的諸事項を統治している法則によって説明することはできない。 (Accordingly, the operations of a higher level cannot be accounted for by the laws governing its particulars forming the lower level) 音声学から語彙を引き出すことはできない。語彙から言語の文法を引き出すことはできない。文法を正しく使うことで優れた文体を説明することはできない。優れた文体がある散文の内容を作り出すことはない。私たちはこう一般的に結論することができるかもしれないまた、この結論は、私が暗黙的に知ることの2つの項と現実の2つのレベルを同じものだとした時に私が述べたことを確認することでもある上位レベルの組織化原理を、孤立した具体的諸事項を統治している法則で代理させることはできない。(it is impossible to represent the organizing principles of a higher level by the laws governing its isolated particulars.) (pp. 35-36, 60-61ページ)

 

補注:しかし大学の英語教員養成課程では、多くの場合、音声学、語彙論、文法、文体論、文芸批評は別々に教えられている。語彙を音声学的に分析することや、文を語彙論的に分析することもほとんどない(文体の文法的分析や、文芸作品の文体論的分析はまだ見られるかもしれないが)。昔の大学では、例えばシェークスピアの作品を熟読しながら、音声学・語彙論・統語論・語用論・文体論・文芸批評を渾然一体にして教えていたというエピソードを聞いたことがある。そのエピソードを、各学問分野の専門性が確立していなかった時代の、非組織的・非体系的な教育として理解することも可能だが、英語作品をあくまでも「包括的対象」として扱い、レベル間のつながりを保ちながら分析を進めていた「生きた英語」を学ばせていた教育として理解することもできるだろう。

 

追記(2020/11/05)

倉林秀男・河田英介 (著)『ヘミングウェイで学ぶ英文法』(アスク)は、多くの関係者の予想を裏切りベストセラーになり、ついには『ヘミングウェイで学ぶ英文法 2』まで出版されるにいたった。ヘミングウェイの文章に没入しながら文法を学ぶことは、文法を文脈から引き離した形式として学習するよりも有効だ・意味深いと多くの人が感じたからだろう。英語教育関係者は、この種の本が出版不況の中で売れているということの含意をよく理解するべきだろう。

 

 

 創発は、それより下のレベルの作動では説明できない。

 

翻訳:もし上位レベルが、その下のレベルの作動によっては説明が与えられないままになっている[上位レベルとの]境界条件を制御しているのなら (If each higher level is to control the boundary conditions left open by the operations of the next lower level)、そのことが含意しているのは、これらの境界条件は実際に、下のレベルで生じている作動では説明が与えられないということである。言い換えるなら、どのレベルも自らの境界条件を制御することはできない。ゆえに、それらの境界条件を制御することこそがその作動となる上位レベルを生み出すことはできない。(In other words, no level can gain control over its own boundary conditions and hence cannot bring into existence a higher level, the operations of which would consist in controlling these boundary conditions) したがって、階層関係の論理的構造が含意するのは、その下のレベルでは現れないプロセスを経てからでないと、上位レベルは存在しはじめないということである。そのプロセスは創発と呼ばれるに値する。 (a higher level can come into existence only through a process not manifest in the lower level, a process which thus qualifies as an emergence) (p. 45, 72ページ)

 

補注:「境界条件」 (the boundary conditions) のこの本における初出はp. 40 (66ページ) であり、そこではthe boundary conditions of an inanimate systemとなっている。その文脈は、物理学と化学は機械の故障原因は説明できても、機械がどのように構成され何を目的機能としているかといった機械の作動原理を説明することはできないといった話の流れである。そのような作動原理は、物理学や化学といった機械よりも下位のレベルでは何も説明することができない「非生命システムの境界条件」と呼ばれている。

 正直、私自身、十二分に理解した概念とは言い難いが、上の翻訳をする際には、この「境界条件」を、「上位レベルの作動と下位レベルの作動が接するところで、前者がうまく後者を利用する条件」ぐらいに理解して翻訳をした。(識者のご指摘をお待ちしております)。

 

 

 まず意味の存在を信じなければ、物事は理解できない。

 

翻訳:私たちがこれまで確認してきたことは、暗黙的知識は、具体的諸事項をそれらが協働的に構成している対象に関係させる覚知に生息している (tacit knowledge dwells in our awareness of particulars while bearing on an entity which the particulars jointly constitute) ということであった。この生息 (indwelling) を共にするためには、学習者は、最初は意味がないように思える教えには実は意味があり、その意味は教師が実践しているものと同じ種類の生息を見出すことによって得られるのだと仮定しなければならない。(the pupil must presume that a teaching which appears meaningless to start with has in fact a meaning which can be discovered by hitting on the same kind of indwelling as the teacher is practicing) そのような努力は教師の権威 (the teacher’s authority) を受け入れることに基づいている。

 幼児の知性の驚くべき使い方について考えてみよう。幼児の知性は、語られていることばと大人の行動の隠れた意味を推測する確信のひらめきによって促進する。(It is spurred by a blaze of confidence, surmising the hidden meaning of speech and adult behavior.) そうやって意味をつかむのである。幼児はこのように教師や指導者に自分を委ねる (entrusting oneself) ことによって初めて新たな段階に進むことができるのだ。聖アウグスチヌスが「信じない限り理解することはできない」  ( “Unless you believe, you shall not understand) と説いた時、彼はこのことを見取っていったのだ。 (p. 61, 93ページ)

 

補注 “Indwelling” も「棲み込み」や「潜入」ではなく「生息」と訳した。

 

 

 新発見は、不確定な状況の中で、人格をかけたこだわりをもつことから始まる。

 

翻訳:しかし、発見という出来事が起こる前に発見のことを考えるなら、発見という行為 (the act of discovery) は人格的で不確定 (indeterminate) であるようにみえる。発見は、ある問題について一人で親密感を覚えることから始まる。 (start with the solitary intimations of a problem) あちこちにちらばっているその問題の断片は、何か隠されたものへの手がかりを提供している。それらの断片は、まだ知られていないひと連なりの全体 (a yet unknown coherent whole) のかけらのようにみえる。[しかし発見が可能になるためには]この当面の見通し (this tentative vision) は、人格をかけたこだわり (a personal obsession) へと変化しなくてはならない。なぜなら私たちを悩ませない問題はそもそも問題とは呼べないからである。そこには何も駆り立てるものがなく、それは問題としては存在していない。(there is no drive in it, it does not exist)  私たちに拍車をかけ導くこのこだわりに関して、他人は何も語ることができない。その内容は定義できず、不確定で、厳密に人格的なものである。 (undefinable, indeterminate, strictly personal) 実際のところ、その内容に光があたる過程が発見として認められるのは、ひとえに、それが所与の事実に明示的な規則を適用し続けた (persistence in applying explicit rules to given facts) ところで決して得られるものではないからである。真の発見者は想像力を行使したその大胆な離れ業によって称賛されるのだが、そこではありとあらゆる思考の海を海図なきままに横切ってゆかなければならないのだ。 (cross uncharted seas of possible thought) (pp. 75-76, 112-113ページ)

 

補注:この箇所は、大なり小なり自らの手で何か発見をした者ならすぐにわかる箇所だろう(後日、その「発見」は実は既に少なからぬ人々に知られていたとしてもそれはかまわない)。未知のことが気になって、それについて何かしなければ毎日が過ごせないぐらいのこだわりがなければ新たな発見はなかなかできない。

 

 

 人間が語れる普遍性は、人々が皆それに敬意を払うことにより成立している。

 

翻訳:私はここで確立した普遍性 (an established universality) についてではなく、普遍的な意図 (a universal intent) について語っている。なぜなら、科学者は自らの主張が受け入れられるかどうかを予め知ることはできないからだ。主張は結局のところ間違っているかもしれないし、もし正しいとしても、その確信を得ることができないかもしれない。自分の結論が受け入れられないことを予期しなくてはならないかもしれない。受け入れられたとしても、それで自分の主張が真であることが保障されたわけでもない。ある陳述の妥当性を主張することは、その陳述は万人によって受け入れられるべきだと宣言しているだけのことである。 (To claim validity for a statement merely declares that it ought to be accepted by all.) 科学的真理を肯定することは、他の価値判断と同じような義務的な特質を有している。 (The affirmation of scientific truth has an obligatory character which it shares with other valuations) それらが普遍的であると宣言されるのは、私たち自身がそれらに敬意を払うからである。 (declared universal by our own respect for them) (p. 78, 116ページ)

 

補注:もちろん科学的真理の普遍性が、単なる発話行為(宣言)とその宣言への共感だけによって成立しているのではなく、その発話行為は事実確認行為と密接に絡まっていなければならない。ただ、たとえば人権概念が「普遍的」であると主張される時、それはその宣言に対して多くの人々が共感と敬意をもつことによってもっぱら支えられているといえるだろう。また、その宣言は普遍的な意図をもつものであるから、新たに考慮すべき事例が現れたなら、人々はその普遍性を巡って語り合う義務を負っているともいえる。

 

 科学的発見に実存的な側面があるにせよ、それは個人の恣意によるものではない。

 

翻訳:科学的発見についての私の説明は、実存的選択を記述している。 (My account of scientific discovery describes an existential choice) 発見の追求は、私たちが自分自身をある問題の補助的な要素に投入する (pouring ourselves into the subsidiary elements of a problem) ことから始まる。追求を続けるうちに私たちはさらなる手がかりに自分自身を注入して (spill ourselves into further clues)、発見に至るのだが、その時、私たちは現実の一側面としての問題に完全に献身している。(we arrive at discovery fully committed to it as an aspect of reality) これらの選択が私たちの中に新しい実存 (a new existence) を創り出す。この存在は、他者もその存在のイメージに即して自己変容 (transform themselves) するように働きかける。(challenge)  この限りにおいて、「実存は本質に先立つ」 (existence precedes essence) といえる。つまり、私たちが確立し私たち自身のものとする真理よりも先立って実存が現れるのである。 (it comes before the truth that we establish and make our own)

 しかしこのことは、「人が自分自身の始まりであり、その人のすべての価値はその人が創り出す」 (man is his own beginning, author of all his values) ことを意味するのだろうか?科学における独創性 (originality) を実存的選択の一例とみなしたにせよ、ニーチェやサルトルの実存主義のこれらの主張は、[科学については]誤っているように思える。科学におけるもっとも大胆なイノベーションですらも、科学者が自分の問題の背景として無批判的に受け入れている (accept unchallenged) 広範な情報から生じている。科学者が科学的価値の基準 (the standards of scientific merit) を修正せざるを得ない時でさえ、その改革 (reform) の基盤となっているのは現行の基準 (current standards) である。その科学者が聞いたこともない何千何万もの同僚科学者に媒介されている科学全体を、その科学者は無批判的に受け入れるのである。

 

補注 “Existence” はここではいわゆる「実存主義」の文脈で語られているので「実存」と訳した。

 また、 “man” は人間全体の総称であることは言うまでもないが、それが単数形の表現であることを考慮して「個人」を連想させる「人」という訳語を選んだ。単数形の表現を使って、人間全般を表現することに関しての批判的考察については、以下の記事をご参照ください。

 

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