チェス名人の話をまとめたら、将棋の名人の話も知りたく思い、羽生善治氏の以下の本を読みました。
羽生善治 (2006) 『決断力』角川新書
羽生善治 (2012) 『直感力』PHP新書
羽生善治 (2014) 『大局観』角川新書
羽生善治 (2016) 『迷いながら、強くなる』知的生き方文庫
以下は、その簡単なまとめです。「知識、経験、知恵」のキーワードに絞ってまとめました。
「まとめ」や「定義」は私がまとめた表現です。「・」印で示したのは引用で、「⇒」印以下は私の蛇足です。
今回の本はすべてKindleで読みましたので、ページ数の提示は割愛しております。
■ 知識を経験にそして知恵に
まとめ:羽生氏は一般に、知識から経験へ、経験から知恵へという流れで熟達を考えている。
・「定跡は、ただ記憶するだけでは実践ではほとんど役に立たない。そこに自分のアイデアや判断をつけ加えて、より高いレベルに昇華させる必要がある。」(羽生 2006)
⇒当たり前のことですが、知識を記憶すること自体が悪いわけではありません。知識の記憶は必要です。ただ、その知識をいっこうに使おうとしないこと、あるいは限定的な使用(丸暗記再生)にしか使わないこと、さらには知識の記憶と使用をそもそも分けてしまって考えてしまっていることは批判されるべきでしょう。
・「私は、将棋を通して知識を「知恵」に昇華させるすべを学んだが、その大切さは、すべてに当てはまる思考の原点であると思っている。」(羽生 2006)
⇒チェス名人も、チェスの学びが太極拳の学びに通じ、やがては他の学びにも通じるのと述べています。
・「基本のプロセスは、次の四つだ。アイデアを思い浮かべる。それがうまくいくか細かく調べる。実戦で実行する。検証、反省する。」(羽生 2006)
⇒別の言い方をするなら、着想・吟味・実行・省察でしょうか。しかし、多くの学校現場では、いまだに学習者に独自の「着想」を許さず解法を教え込み、それを「吟味」させることなく機械的に「実行」させ、正解だったらそれでよしと、「省察」(振り返り)もさせないようなドリル形式の学習が多いのかもしれません。
■ 知識
定義:知識とは、一般的に有用だとされている情報の集合である。
⇒チェス名人も、「幅広い知識をもった時に大切になってくるのは、どうやってこれらの素材をうまく探索して使いこなすかだ」と述べていました。その探索の際にもっとも有効なのが直感です。
■ 経験
定義:経験とは、深い情動や感情を伴いながら、数多くの知識の中から特定状況での最適知識を思考して選択し、その結果を受容し省察することである。
⇒情動が思考の源泉であることを考えると、深い情動を伴いながら思考したり省察することが、思考や省察の発達にも重要であるかもしれないと考えられます。「経験が大切」という表現で私たちが意味していることの多くは、「情動の変化を伴わないような状況でばかり思考や省察をするのは入門期では重要かもしれないが、だんだんと経験の幅を広げなくてはいけない段階では、情動変化の中でうまく考えたり反省したりする術を学ばなければならない」などと言い換えられるのではないかと私は考えます。
言語使用でも、自分のことばを使い分けることによって、成功したり失敗したりして、喜怒哀楽を感じるなら、その使い分けの技術は「身につく」ように思います。
ある仏教の啓蒙書(『反応しない練習』)は、「感覚⇒感情⇒思考⇒意欲」の順番で心が動くと説きました。科学的にはこのような単純化は許されないでしょうが、日常的な感覚としてはよくわかります。そうなると身体の状態をよく保って感覚を鋭くしてから感情を豊かに味わうことが、勉強(思考)とその継続(意欲)のためには重要ということになります。教師が学習者に何かを「経験」させる時、それが感覚と感情を豊かにし、思考と意欲を生み出すものとなっているか、反省するべきかもしれません。
・「定跡を生かすためにも、情報におぼれるのではなく、まず、"自分の頭で考える"ことが先決だと思っている。」(羽生 2006)
⇒あるパターンを覚える時も、「そのパターンに即して行動する時に自分の内と外で何が起こるかをよく観察することが重要」と言い換えられるかもしれません。
・「理解しマスターし、自家薬籠中のものにするーーその過程が最も大事なのである。それは他人の将棋を見ているだけでは、わからないし、自分のものにはできない。自分が実際にやってみると、「ああ、こういうことだったのか」と理解できる。(羽生 2006)
⇒チェス名人は、学ぶこと自体の価値や美しさを実感することが重要だと述べています。私はこのような語りでしばしば出てくる「美しさ」という理念について、もっと私たちは注意を払ってもよいのではないかと考えています。
・「どんなに机上で勉強、分析しても、実戦でやってみて「失敗した」「成功した」経験をしないと、理解の度合いが深まらない。」(羽生 2006)
⇒これも「情動を伴わない学習は身につかない」と言いたいところですが、単純化が過ぎますでしょうか?
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意味のシステム依存性と語の超越論的指示機能に関する若干の考察:バレット著、高橋洋訳 (2019) 『情動はこうしてつくられる』(紀伊國屋書店)の1-7章を読んで
・「自分で手を動かすことが知識に血肉を通わせることになる。」(羽生 2006)
⇒「血肉」という比喩表現が、まさに情動の関与を示唆しているようです。
・「生きた情報を学ぶのにもっとも有効なのは、進行している将棋をそばで皮膚で感じ、対戦者と同時進行で考えることだ。・・・次にどう指すかわからない局面を、その場にいて、その人が指す同じ過程、同じ時間で見ていると、対局者の気持ちにうまく入り込むことができる。・・・現場にいると意味がよくわかる。」(羽生 2006)
⇒羽生氏は、棋譜で「ここで30分長考」と書かれていても、実際に、プレッシャーを感じながらその30分の長さ(あるいは短さ)を体験しなければ、深く考えることはできないとも言っています。
・「ミスがどういう状況で起こるかは、プレッシャーとも関係する。・・・プレッシャーを克服するには、経験が大きく役に立つ。机上の勉強や練習では養えない。実戦の中でいろいろな局面にぶつかり、乗り越えることでしか身につかないものなのだ。」(羽生 2006)
⇒チェス名人も、不快な情動が生じてもそれを否定せずに和解して、それをうまく使いこなすことが重要であると述べていました。
・「自分の感情をコントロールすることは将棋の実力にもつながるのだ。」(羽生 2006)
⇒チェス名人は「チェス盤での私の問題は、たいていの場合、チェス盤以外の私の生活に姿を現している」と述べていました。また、彼は感情をより緻密なものにして、それを多方面に活かすことについても述べています。
・「"ビギナーズラック"は初めてで何もわからず無欲だから生まれているのではないでしょうか。その新鮮さを維持することは、現実的には不可能に近いことではありますが、欲を小さくすることが、予想を当てやすくすると思えます(予想を当てようと願うこと自体も立派な欲の一つかもしれませんが)。 (羽生 2016)
⇒チェス名人の言葉なら、「障壁がないこと」(bariierlessness)の状態を自分自身の内部で達成することとなるかもしれません。妙な欲が心の中の壁とならないようにすることです。
・「「鍛えの入った一手」とは将棋界でよく使われる言葉の一つで、負けにくい一手、慌てない一手、今まで苦しい思いをしていなければ指せないような一手を形容する。」(羽生 2014)
⇒言語使用においても、苦しい経験をくぐり抜けてきた人だから言えることばがあります。そのことばは、特段に珍しいものでも高尚なものでもないかもしれませんが、「この文脈のこのタイミングでこの人がこの口調で」語ることに重みがあるようなことばになっています。
そうなるとやはり私たちの知識とは人格的なものであるとなりそうです。
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Michael Polanyi (1958) Personal Knowledge (The University of Chicago Press)のまとめ
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・「受け身の姿勢だけでただ教わるというのでは、集中力や思考力、気力といった勝負に必要な総合的な力を身につけることはできないだろう。」(羽生 2006)
⇒繰り返しになりますが、情動を伴わない学習は、意欲につながりにくいとなりましょうか。
■ 知恵
定義:知恵とは判断力のことであり、その主な構成要素は、直感力、決断力、大局観である。直感力は瞬間的な判断力を指す。決断力とは、特定局面での判断力である。大局観とは、長期的・全体的な判断力である。
⇒ここで羽生氏は、「知恵」を「判断力」とした上で、その判断力を、判断に関わる時間的側面から、直感力、決断力、大局観と分ける極めて明快な定義を提示しています。
・「[たくさんの知識について]瞬時に判断し、次の一手を選択しなければならない。方向性やプランに基づいて、ばらばらの知識のピースを連結するのが知恵の働きである。」(羽生 2006)
⇒「方向性やプランに基づいて」という表現から、瞬時の判断である直感力も、中期的な判断である決断力や長期的な判断である大局観と常に結びついていなければならないことが伺えるようです。
・「余計な思考が省ける。・・・一気に結論に到達できるのだ。」(羽生 2006)
⇒チェス名人は、名人ほど意識を使わずに考えることができると述べています。
・「直感力は、それまでにいろいろ経験し、培ってきたことが脳の無意識の領域に詰まっており、それが浮かび上がってくるものだ。」(羽生 2006)
⇒チェス名人もこれと同じことを言っています。それまでの知識や経験がないままに「閃いた」と思っても、それは名人の直感とまったく異なるものです。
・「直感とは、論理的思考が瞬時に行われるようなもの」、「本当に見えているときは答えが先に見えて理論や確認は後からついてくるものなのだ。」(羽生 2012)
⇒これについては数学や物理学の解法を思いついた人も同じようなことを述べていると思います。
・「全体を判断する目とは、大局観であうる。一つの場面で、今はどういう状況で、これから先どうしたらいいのか、そういう状況判断ができる力だ。本質を見抜く力といってもいい。」(羽生 2006)
⇒さきほどとは逆の言い方になりますが、大局観は、そのまま中期的な決断力と瞬間的な直感力に結びついていなければ
・「厳しい局面では、最終的に自らリスクを負わなければならない。そういうところでの決断にはその人の本質が出てくるのだ。」(羽生 2006)
・「「大局観」は多くの経験から培われるもので、自分以外の人間の過去のケースをたくさん見ることでも磨かれていく。いわば、「大局観」には、その人の本質的な性格や考え方がとても反映されやすいのである。」(羽生 2014)
⇒チェス名人も、チェスを極めれば極めるほど、チェスは自分自身の発見となり、やがては到達できない真理への接近になったと述べていました。