2025/09/26

「言語教育設計学1」のシラバス(2025年度後期)

 

言語教育設計学1

 

授業開催形式

今期の授業はすべて教室で対面して行う予定です。受講者の皆さんは、京都大学の人間・環境研究科のLearning Management SystemであるPandAにアクセスできるデバイス(ラップトップ推奨)を持参して教室に来てください。なお、万が一のためにZoomでの授業録画(教師のスライド画面と音声の記録)をしますが、これは特別な理由で教室に来れない人のための例外措置です。

授業資料提示および課題提出はすべてPandAから行います。受講者は毎週必ずPandAをチェックしてください。

なお下の記述は、大学のKULASISシステムに掲載したものとは少し異なっております。講師の最新の知見を活かすための改訂ですので、ご了解をお願いします。

 

授業の概要・目的

この授業では言語教育の設計を、「現代的問題」、「言語能力のモデル」、「コミュニケーションのモデル」、「言語教育の哲学的探究」の4つの観点から考察します。この授業の目的は、これら4つの観点から、言語教育における授業およびカリキュラムの設計について理論的に考察し、さらにそれを改善・再構築する力をつけることです。この力により、履修者が実際に教壇に立った際に、言語教育の改良に貢献できることを目指します。

なおこの授業での「言語教育」として考察する事例は主に日本における英語教育ですが、その他の事例にも時に言及します。

※ この「言語教育設計学1」は、「言語教育設計学2」と合わせて1つのコースになっています。前者が言語とコミュニケーションに、後者が教育実践に重きをおいた内容になっています。順序はともかく、2つの講義を受講していただけたらより理解が深まるかと思います。

 

到達目標

・理論的目標:言語教育における授業やカリキュラムの設計において、単に自分の経験から考えるのではなく、理論的な観点から検討を加えることができるようになる。

・理論的下位目標 (1):言語教育を考える際に、現代的な問題の観点から言語教育について批判的に考察できるようになる。

・理論的下位目標 (2):言語能力の観点から言語教育について批判的に考察できるようになる。

・理論的下位目標 (3):コミュニケーションの観点から言語教育について批判的に考察できるようになる。

・理論的下位目標 (4):哲学的な思考を経た上で、言語教育について批判的に考察できるようになる。

・実践的目標:言語教育の授業やカリキュラムの設計・改善・再構築について、自分なりの解決法を提案し、それを共同体的観点からも研究的観点からも再検討することができるようになる。

※ 上記のうち、理論的目標と実践的目標は「言語教育設計学2」と共有しています。この授業独自の目標は、理論的下位目標です。

 

授業計画と内容

この授業は上記の4つの観点に基づき、4部から構成されています。

 

1 (10/02) 導入:言語教育について研究するにあたって

※ 第1回目の授業では顔合わせ、授業説明をした後に以下の点について講義・討論します。この回に限って予習は必要ありません

■ ダブルループラーニング (double-loop learning 二重ループ学習)についての私的まとめ

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/11/double-loop-learning.html

■ 「人間を育てる英語教育とは何か--英語教師に必要な哲学」『新英語教育』20223月号 pp.7-9

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/03/2022-20223pp7-9.html

■ 研究のまとめ方の基本(高校生や大学1年生のための約15分のYouTube解説動画)

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/06/15youtube.html

▲ 実践者として現場で考えるための方法論

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/07/blog-post_20.html

 

 

 

【第1部 現代的問題】

 

2 (10/09) 生成AIの影響

 

■ AI時代に「自分のことば」を学ぶ意味 (そして長い追記)

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/02/ai.html

■ 「AI活用により英語学習者を自律的ユーザーに育てる --京都大学の学術英語ライティング授業についての省察的報告--」(英語翻訳の二次出版付き)

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/05/ai.html

■ AI時代における第2言語としての英語力―大規模言語モデルの可能性と限界からの考察

https://doi.org/10.34545/jacetchubu.21.0_1

▲ 人間は出現頻度以外の言語の価値を復権できるのか?

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/09/blog-post.html 

▲ 「AIの言語生成と人間の言語使用の違い:AI時代の言語教育のための考察」(2024210日 言語系学会連合公開シンポジウム)の発表予行練習動画

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2024/02/aiai2023210.html

▲ 国立情報学研究所「教育機関DXシンポ」スライドと解説録画の公開:大学英語教育におけるChatGPT活用形授業実践

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/10/dxchatgpt.html 

▲ 国立情報学研究所・教育機関DXシンポの第2回目の登壇の動画とスライド、およびその後の社会の変化を踏まえての長期的視野の必要性

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/05/dx2.html 

▲ 機械翻訳が問い直す知性・言語・言語教育 ―サイボーグ・言語ゲーム・複言語主義―

https://doi.org/10.24781/letkj.7.0_1 

▲ 「AI活用型英語ライティング授業を行う大学教師の実践と構想」 -- 日本語話者は外国語の学習と使用においてAIの使い方を間違ってはならない

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2024/04/ai-ai.html 

▲ 【まとめ】AIを活用した英会話練習のすすめ―10個のChatGPT/Geminiプロンプト(カスタムGPTs

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/02/ai7chatgptgpts.html 

▲ 【Ver.4.6:カスタムGPTも公開】ChatGPT学術英語ライティング添削・改訂プロンプト -- 語法添削と3種類の改訂例を出力

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/11/ver4chatgpt-3.html 

▲ 【Ver. 2に改訂】中高生の英語ライティング力向上ChatGPTプロンプト/カスタムGPT--ご自由にお使いください--

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/02/chatgptgpt.html 

 

 

3 (10/16) 日本近現代史から考える21世紀の英語教育

 

■ 柳瀬陽介 (2025) 「英語教育はどこへ向かうのか」『英語教育学の今 ―実践と理論の統合―』 (pp. 20-25)

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/09/2025-pp-20-25.html 

■ 「英学2.0を支援する英語教育研究」の発表予行演習動画とスライド

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2025/05/20.html 

▲ 第15回産業日本語研究会・シンポジウム(テーマ:生成AIの普及で日本語のコミュニケーションがどうかわるのか)の予行演習動画と使用したスライドの公開

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2024/03/15ai.html 

 

 

 

【第2部 言語能力のモデル】

 

4 (10/23) 応用言語学の言語能力観(HymesからBachmanまで)

■ Hymes, Canale, Swainの論に関するファイル

https://app.box.com/shared/7en2j1cs8l

■ WiddowsonBachmanの論に関するファイル

https://app.box.com/shared/2hhexdlyt0

■ Hymes, Canale & Swain, Widdowson and Bachman & Palmer (授業用スライド)

 https://app.box.com/s/vc1iqyoufo4ifpehf7v5

▲ 教育と生産を混同するな--ウィドウソン、ハーバマス、アレントの考察から--

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2008/10/blog-post_4057.html

 ▲  『第二言語コミュニケーション力に関する理論的考察 : 英語教育内容への指針』

https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/records/2041228

 

5 (10/30) 言語コミュニケーション能力の3次元的理解 

 「学校英語教育の見通し」

https://app.box.com/shared/rz8lkgkj4i 

■ 「言語コミュニケーション力の三次元的理解」(日本言語テスト学会研究紀要/11 巻 (2008))

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jltaj/11/0/11_KJ00008662556/_article/-char/ja/

 授業スライド:コミュニケーション能力の三次元的理解

https://app.box.com/s/8tpkdkyzrtzoxkt6702m 

▲ Common European Framework of Reference for Languagesの摘要

https://yanaseyosuke.blogspot.com/2013/06/common-european-framework-of-reference.html 

▲ 複言語主義(plurilingualism)批評の試み

https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00033694 

 

 

 

【第3部 コミュニケーションのモデル】

 

6 (11/13) Davidsonの言語・コミュニケーション哲学

 デイヴィドソンのコミュニケーション能力論からのグローバル・エラー再考

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00027396 

 コミュニケーション能力論とデイヴィドソン哲学

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00028105 

■ 授業用スライド

https://app.box.com/s/my02oalacetso38t4vsz 

 二項対立の間でデイヴィドソンを考える

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2008/11/blog-post_13.html 

 

 

7 (11/20) Jakobsonのコミュニケーション観

■ コミュニケーションに関するヤーコブソン・モデルの展開 : 英語教育研究の刷新のために

https://doi.org/10.20713/celes.42.0_297 

■ Jakobson (1960) Linguistics and Poeticsを読む

https://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/06/jakobson-1960-linguistics-and-poetics.html 

■ コミュニケーションとしての授業: 情報伝達モデル・6機能モデル・出来事モデルから考える

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/05/6.html 

■ コミュニケーション・モデルの再検討から考える 英語教師の成長

https://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/06/blog-post_26.html 

▲ 小山亘(2012)『コミュニケーション論のまなざし』三元社

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/05/2012.html 

 

 

8 (11/27) 第1総括

これまでの週の論点の中で自分がもっとも重要だと思った命題について論証してください。この総括は、本格的なエッセイ・論文である必要はありませんが、パラグラフ・ライティングで書くなどの基本的な学術的作法には従ってください。ただし、論証の際に、これまでに提出した課題の一部を再利用することはかまいません。文字数は日本語なら2000字程度、英語なら1000語程度を目安にしてください。

 

■ 私家版:論文執筆のための5つの手順

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2022/04/5.html 

■ Thesis Statement (X is/does Y in Z) 3要素の説明とYZの定め方

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2022/05/thesis-statement-x-isdoes-y-in-z-3yz.html 

 

 

 

【第4部 言語教育の哲学的探究】

 

9 (12/04) Wittgensteinの哲学からの探究(その1)

■ ウィトゲンシュタイン『哲学的探究』の1-88節の個人的解釈

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2021/03/1-88.html 

 ウィトゲンシュタイン『哲学的探究』の1-88-- 特に『論考』との関連から

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/01/1-88.html 

  「四技能」について、下手にでなく、ウィトゲンシュタイン的に丁寧に考えてみると・・・

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/11/blog-post.html 

    野矢茂樹 (2006) 『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』 (ちくま学芸文庫)

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/01/2006.html 

   鬼界彰夫(2003)『ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951』講談社現代新書

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/10/2003-1912-1951.html

 

10 (12/11) Wittgensteinの哲学からの探究(その2

■ 柳瀬陽介 (2024) 「ChatGPT による学術英語語彙の自律的学習 ―言語観とプロンプト設計と学習者認識の一貫性―」 KELESジャーナル9号 pp.45-51

https://doi.org/10.18989/keles.9.0_45

■ AI活用の決定要因としての教育観と学習観  Part 4: ウィトゲンシュタインの言語使用論

https://youtu.be/w4A6GA6Kfps

■ 「英語ユーザーへのインタビュープロジェクトの実践から」(日本英文学会第95回大会シンポジウム)の解説動画とスライド

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/05/95.html 

■ ウィトゲンシュタイン『哲学的探究』の89-133節の個人的解釈

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2021/03/89-133.html 

授業用スライド

https://app.box.com/s/yfpb7o8j8jbsrv26lbfe 

▲ Introduction of The End of Average by Todd Rose (2017)

https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/03/introduction-of-end-of-average-by-todd.html 

▲ 平均の発明 Ch.1 of The End of Average by Todd Rose (2017)

https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/03/ch1-of-end-of-average-by-todd-rose-2017.html 

▲ いかにして私たちの世界は標準化されてしまったのか Ch.2 of The End of Average by Todd Rose

https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/04/ch2-of-end-of-average-by-todd-rose.html 

   ジョン・M・ヒートン著、土平紀子訳 (2004) 『ウィトゲンシュタインと精神分析』(岩波書店) (2005/8/3) 

http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2004-5.html#050803 

▲  ウィトゲンシュタインに関するファイルをダウンロード

https://app.box.com/s/uz2839935sszn8597nsx 

▲ ウィトゲンシュタイン著、鬼界彰夫訳(2005)『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』講談社

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/2005.html 

 

 

11 (12/18) Arendtの哲学からの探究

■ 真理よりも意味を、客観性よりも現実を: アレント『活動的生』より

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/05/blog-post_24.html 

■ 人間の複数性について: アレント『活動的生』より

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html 

■ アレントの行為論 --アレント『活動的生』より—

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/01/blog-post_18.html 

■ 授業投映用スライド

https://app.box.com/s/16u6niaruo7x3bcmkgh4s3eps9r51ls2 

▲ アレント『暗い時代の人々』より -- 特に人格や意味や物語について—

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/10/blog-post_11.html 

▲ 「現代社会における英語教育の人間形成について―社会哲学的考察」を読んでください。

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/05/pdf.html 

▲ アレントの言語論に通じるル=グヴィンの言語論

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/10/blog-post_25.html 

▲ 人間の条件としての複数性

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/04/blog-post_8473.html 

▲ この世の中にとどまり、複数形で考える

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/03/blog-post_24.html 

▲ 「政治」とは何であり、何でないのか

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/04/blog-post_11.html 

▲ アレントによる根源的な「個人心理学」批判

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/03/blog-post.html 

 世界を心に閉じこめる近代人

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/06/blog-post_1835.html 

▲ ハンナ・アレントの講義から学校教育について根源的に考え直す

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/02/blog-post.html 

▲ 「人間らしい生活--英語学習の使用と喜び」

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/10/blog-post_31.html 

▲  E・ヤング=ブルエール著、矢原久美子訳 (2008) 『なぜアーレントが重要なのか』みすず書房

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/e-2008.html 

▲  仲正昌樹 (2009) 『今こそアーレントを読み直す』 (講談社現代新書)

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/2009.html 

▲ 欠陥商品としての「考える」こと

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/05/blog-post_16.html 

▲ ジュディス・バトラー著、佐藤嘉幸・清水知子訳(2008)『自分自身を説明すること』月曜社

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/11/2008.html 

▲ ジュディス・バトラー著、竹村和子訳(2004)『触発する言葉』岩波書店

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/11/2004.html 

 「当事者が語るということ」もどうぞ

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_4103.html 

▲ 西洋哲学の寵児の政治的判断

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/04/blog-post_10.html 

▲ 人間、ハンナ・アレント

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/01/blog-post_12.html 

▲ アレント哲学の枠組みの中での「芸術」の位置づけ:エクセルファイルの概念図

https://app.box.com/shared/lseur17j1e 

▲ 映画『ハンナ・アーレント』予告編

http://www.cetera.co.jp/h_arendt/ 

 

 

12 (12/25) Luhmannの意味理論からの探究

■ 柳瀬陽介 (2021) 「学校英語教育は言語教育たりえているのか:意味の身体性と社会性からの考察」『KELESジャーナル』 6 p. 6-23

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2021/05/2021-keles-6-p-6-23.html 

▲ 「意識の統合情報理論からの基礎的意味理論―英語教育における意味の矮小化に抗して―」(『中国地区英語教育学会研究紀要』 No. 48 (2018). pp.53-62

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/05/no-48-2018-pp53-62.html 

■ 「意味、複合性、そして応用言語学」 『明海大学大学院応用言語学研究科紀要 応用言語学研究』 No.19. pp.7-17

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/no19-pp7-17.html 

▲ オンデマンド配信シンポジウム:「学校英語教育は言語教育たりえているのか―意味の身体性と社会性からの考察―」

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2020/06/blog-post_7.html 

▲ ルーマン『社会の社会』第1章第3節(意味)のまとめ

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2020/02/13.html 

▲ コミュニケーションはいかにして形成され、そこでは何が生じるのか:長岡(2006)『ルーマン 社会の理論の革命』の第8章を基にしたまとめ

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2019/09/20068.html 

▲ 意識とコミュニケーションの関係についてのルーマン論文のまとめ

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2019/06/blog-post_20.html 

▲ ルーマン (1990) 「複合性と意味」のまとめ

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/05/1990.html 

▲ ルーマン意味論に関する短いまとめ(『社会の社会』より)

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/06/blog-post_15.html 

▲ ルーマンの二次観察についてのさらに簡単なまとめ

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2019/07/blog-post.html 

▲ ルーマンの二次観察 (Die Beobachtung zweiter Orndung, the second-order observation) についてのまとめ -- Identitat - was oder wie? より

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/08/die-beobachtung-zweiter-orndung-second.html 

▲ 「言語学という基盤を問い直す応用言語学?―意味概念を複合性・複数性・身体性から再検討することを通じて―」(応用言語学セミナーでのスライドとレジメ)

https://yanaseyosuke.blogspot.com/2016/11/blog-post_15.html 

▲ 今井邦彦・西山佑司 (2012) 『ことばの意味とはなんだろう』岩波書店 (「第19回応用言語学セミナー 応用言語学を考える」の準備の一環としてのまとめ)

http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/11/2012-19.html 

 

 

13 (01/08) KantMarxの哲学からの探究

■ 柳瀬陽介 (2023) 「「英語力」をこれ以上商品化・貨幣化するためにAIを使ってはならない─技術主導の問いから人間主導の問いへ─」『早稲田日本語教育学』第35 pp.57-72

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2024/04/2023-ai35-pp57-72.html 

■ LET62基調講演「AIによる英語教育の商品化と格差の拡大を防ぐ― テクノロジーは人権尊重のために ―」投映スライドと解説動画の公開

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/08/let62ai.html 

■ 「田尻悟郎氏の授業における教室秩序の成立」:シンポジウム発表のスライドと解説動画を公開します。

https://yanase-yosuke.blogspot.com/2023/08/blog-post.html 

 

 

14 (01/15) 第2統括

セメスター後半の論点の中で自分がもっとも重要だと思った命題について論証してください。この総括は、本格的なエッセイ・論文である必要はありませんが、パラグラフ・ライティングで書くなどの基本的な学術的作法には従ってください。ただし、論証の際に、これまでに提出した課題の一部を再利用することはかまいません。文字数は日本語なら2000字程度、英語なら1000語程度を目安にしてください。

 

 

15 (01/29) フィードバック

PandAで情報提供します。

 

 

8回と第14回の統括回以外の授業では、履修者が指定されたテクストを精読した上で、教師が問いかけを行い、それをもとに参加者全員で討議します。

統括回の授業では、履修者がそれまでに学んだ観点を整理した上で独自の観点から発表し、参加者全員で討議します。

15回の授業ではフィードバックとして、授業全体を通じた学びを再確認しそこから新たな学びにつながるような情報提供・対話を行います。

 

 

履修要件

特になし

 

成績評価の方法・観点

精読回の授業での課題(40点満点)と積極的な対話(10点満点)、および統括回の課題(40点満点)と実際の発表(10点満点)の合計得点(100点満点)で評価します。それぞれの予習については後述します。

 

教科書

授業に関係する文献を教師が要約した資料をPandAで配布します。

 

参考書等

PandAで配布する資料で示します。

 

授業外学習(予習・復習等)

通常の授業では、資料(■印は必読資料、▲は参考資料)を読んだ上で自分が理解できたこと、疑問に思ったことなどをPandAの所定の欄に予め書き込んでおくことを予習課題とします。

統括回の授業では、それまでの学びを復習した上で独自の観点から整理した文章をPandAの所定の欄に予め書き込んでおくことを予習課題とします。

予習課題の提出期限は原則として授業前日(水曜日)の23:59とします。

 

その他(オフィスアワー等)

面談を希望する履修者は、口頭もしくはメール(yanase.yosuke.3n<*>kyoto-u.ac.jp)でお知らせください(<*>は@に差し替えてください)。お互いに都合のよい時間帯を予め決めて面談を行いましょう。

 

その他特記事項

特になし。

 


2025/09/11

人間は出現頻度以外の言語の価値を復権できるのか?

 

私がガメ・オベールさんの活動に注目し始めたのは2023年から2024年にかけてぐらいだとぼんやり記憶しているが(参考:言語学習についての安直な学問化・科学化と在野の知恵について)、ガメさんは数ヶ月前から主な発表媒体をSubstack に変えて以来、毎日、文章を掲載している。これだけ創造性の高い人を私は他に知らない。私は毎朝ガメさんの文章で思考に刺激を得ている。9月8日に発表された次の記事は、ことさらにすごかった。


ガメ・オベール

「雑な日本語日記18 いま何をなすべきか」

https://gamayauber007.substack.com/p/18


文章を読んで私も何か書かねばならないと思い、昼休みに書いたのが下の文章です。思い入れの激しい文章なのでSubstackに掲載するだけのつもりでしたが、その後、ガメさんにX(旧Twitter)でも紹介していただいたし、それ以上に、何だかうまく表現はできていないけれど、自分にとっては大切な論点が含まれているように思える文章なので、記録のためここに掲載しておきます。AIが世の中に浸透する時代の言語使用について考え続けたいという願いから、題名を「人間は出現頻度以外の言語の価値を復権できるのか?」としました。



人間は出現頻度以外の言語の価値を復権できるのか?



私は神についてきわめて粗い理解しかもっていないが、もし神を「人間には理解不能な真善美の存在を示唆し、人間の認識の跳躍的向上をもたらす存在」とするならば、人は、常に神を讃えることによって、慣習的な思考ではとても思いつけない発想に至ることができると理解できる。


また、人心が荒廃し、社会に憎悪と冷笑のことばしか見出せなくなったとしても、神を忘れない義人がいれば、希望のことばと建設的な発想を人の世に提示することができる。

人間の理解を超え続ける真善美の導き手としての「神」を仮定し、かつ--これが大事なことなのだが--、それを見ることも十分に理解することもできないにもかかわらず信じることができる知性があれば、人の世には望みがある。


だがそういった真善美を希求する跳躍的な知性をもたないLLMは、ビッグデータに基づく確率計算だけで言語を生成する。ビッグデータでの確率計算では、上の記事でガメさんが説明したように、出現頻度が低い言語パターンは生成されにくいし、生成されたとしても信頼性の低いものしか出力されない。


人の世から神--あるいはそれに類する超越概念--を希求する言語使用が減って、せいぜい残ったとしてもそれがAIにデータ化されない親密な言語圏での使用に限られたら、AIは神が不在の言語使用だけを再生産し続ける。


さらに人間が、AIの表層的な言語生成能力に魅了され、AIが出力した言語を自分自身のことばとして公開し、後続の者はそのAI出力を言語の規範として学び続けるとしよう。

そういった、言語使用から神などの超越概念を失った人々のことば遣いが、ある臨界点を超えて醜悪な方向に振り切ったら、人類にとっての最大の認識・表現装置である言語は取り戻しの効かないほどに凶暴になってしまう。


私も「陰極まりて陽生ず」になると思いたいが、生態系の復元力はある一定のレベルを超えると失われる。AIはその限界レベルへの到達を早める可能性が高い。

出現頻度とは異なる言語使用の価値基準を失ってしまえば、AI言語によって私たちは人間としての死を迎えるのかもしれない。


これから人間は、LLMとは異なる種類のAIを作り出し、そのAIとLLM-AIを共存させて知性を発揮できるのか。

あるいはAIの限界を深く理解し、人間らしい言語使用を復権し発展させることができるのか。


私もこういった問題を考える前に一言「神よ・・・」と付け加えるべきなのだろうか。


2025/09/08

柳瀬陽介 (2025) 「英語教育はどこへ向かうのか」『英語教育学の今 ―実践と理論の統合―』 (pp. 20-25)

 

全国英語教育学会が、学会第50回大会記念特別号『英語教育学の今-実践と理論の統合-』を全文公開しました。 15の章に分かれた、447ページの大作です。

これだけの大部を編集し刊行した上で、公益を考え全文公開をされた編集委員会の皆様に心からの敬意をお捧げします。

私はこの冊子の第1章第2節 (pp.20-25) を書くことができました。上で冊子全体が公開されておりますので、ここでは拙稿の部分だけを掲載させていただきます。ただし参考文献は削除しておりますので、その部分も含めた完全版をご覧になりたい方は上の青い部分をクリックしてください。



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英語教育はどこへ向かうのか



1 はじめに

 未来について考える最良の方法の1つは歴史を振り返ることだ。この節では,日本の英語教育の歴史を,近現代の特に外交史と経済史の文脈の中で総括し,英語教育がやり残した課題を明らかにする。筆者のまとめは,幕末・明治以来の150年あまりを2回の上昇・下降として捉えることである。


2 「坂の上の雲」から原爆雲まで

 明治から第二次世界大戦降伏までの時代は,希望を象徴する「坂の上の雲」―司馬遼太郎の同名の小説タイトルで使われた比喩―を追った前半の上昇と,無謀な戦いを続け原爆雲を見るにいたった後半の下降に分けることができる。

(1) 不平等条約締結から日露戦争と第1次世界大戦の「勝利」まで

 幕末の開国は,関税自主権と領事裁判権がない点などでの不平等条約に基づいていた。西洋諸国の帝国主義政策が進行する中,日本にとっての一大課題は近代国家としての形を整えて,不平等条約を撤廃し,自国の植民地化を防ぐことであった。日本は,学制の整備・日本銀行設立・大日本帝国憲法発布・帝国議会開催などの急速な近代化を敢行した上で日露戦争にも辛勝する。そういったこともあり,1911(M44)年には日米修好通商条約の改正に成功し,その後の諸国との不平等条約の解消にいたった。さらに第1次世界大戦で日本は戦勝国側に属したため,1920 (T9) 年に設立された国際連盟の常任理事国となった。

 だが日本の近代化は軍事国家化でもあった。特に日清戦争・日露戦争・第1次世界大戦など10年に一度は大きな出兵を行うことなどは,経済力・工業力だけでなく,教育勅語などによる超国家主義的な精神形成がなければ不可能だったはずだ。保阪 (2024) は,政治や商業を取り込んだ軍事国家を牽制すべき人権意識が不十分であったことを,その後の軍事的暴走の原因の1つとしている。

(2) 国際連盟の脱退と第2次世界大戦敗戦まで

 日本は満州事変を起こし,1933 (S3) 年に国際連盟を脱退する。さらにノモンハン事件・支那事変・太平洋戦争と,軍事的にも勝算のきわめて薄い戦いをしかけた結果,主要都市にナパーム弾での空襲を受け,沖縄地上戦で火炎放射器攻撃を浴び,広島と長崎に2発の原爆を落とされるまでになる。

 この完敗にいたる国の暴走を軍部だけのせいにするのも一面的かもしれない。五・一五事件などの軍事クーデターは少なからずの国民の共感を呼んだ。その背後には国民の経済的苦境があったが,進みゆく国レベルでの思想教育もあった。顕著なのが,文部省が出した『國體の本義』(1937/S12年)と『臣民の道』(1941/S16年)である。たとえば『國體の本義』は,西洋の個人主義が「民主主義・社會主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり,最近に至ってはファッシズム等の輸入」(p. 5) につながったと総括する。同書は,「我等臣民は,西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる」 (p. 33)  のであり,臣民としての「没我歸一の精神」は「主語が縷縷表面に現れず敬語がよく發達してゐる特色」 (p. 98) をもつ国語にもよく現れていると説明する。『臣民の道』は,「我等が私生活と呼ぶものも,畢竟これ臣民の道の實踐であり」「私生活の間にも天皇に歸一し國家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」 (p. 71) と説く。

(3) 英学・英語教育の貢献と限界

 日本の英学・英語教育はこのような文脈の中で発展した。日本の急速な近代化の背後に,西洋諸学を旺盛に翻訳しその過程で多くの近代語を創成した英学があったことは言うまでもない。さらに岡倉由三郎 (1911) の記念碑的な書籍『英語教育』が端的に示すように,英語学習には実用的価値 (Practical Value) だけでなく教育的価値 (Educational Value) もあるとされた。教育的価値の1つは「外國に對する偏見を撤すると共に,自國に對する誇大の迷想を除」くことであり,もう1つは「母國語の外に更に思想發表の一形式を知り得て精神作用を敏活彊大ならしむる」 (p. 39) ことだと岡倉は説いた。夏目漱石 (1914) も個人主義を,「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する」,「党派心はなくって理非がある主義」だと説明し,個人主義は国家主義とも世界主義とも併存しうると説いた。 (pp. 29-30) このように英語教育や英語学習を代表する識者は,日本の暴走を防ぎうる思想を語っていた。だがその思想を広い層に浸透させることができなかったのが当時の日本の英語教育の限界だった。


3 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」から「失われた30年間」まで

 第2次世界大戦降伏から現代に至るまでの時代を,ここでは焼け野原から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と驕りバブル景気に至った上昇と,その後の「失われた30年」の下降に分けて総括する。

(1) 占領統治からプラザ合意そしてバブル景気まで

 占領軍の中核を担った米国の当初の日本占領政策は,日本を二度と戦争ができない国にすることであった。米国は,日本の精神文化を変え,兵器開発につながる工業力を落とすことを目指した。

 だが1950 (S25) 年の朝鮮戦争あたりから米国の対日政策は大きく転換する。共産主義国家の台頭を阻むことが優先事項となり,日本にある程度の工業力と経済力をつけて自由主義陣営の支援をさせるようになった。そして1951 (S26) 年のサンフランシスコ平和条約で日本国の再びの独立が認められた。敗戦直後に戦争に関連したとして公職から追放されていた20万人以上のほぼ全員が公職に復帰可能になった。(山崎, 2022)少し前まで『國體の本義』や『臣民の道』に共感した者も国家運営に戻れるようになったわけである。

 だが米国も日本への手綱を完全に外したわけではない。サンフランシスコ平和条約締結の後に日米安保条約が結ばれ,日米両国の間に行政協定ができたが,元外務省国際情報局長・防衛大学校教授の孫崎 (2012) によれば,米国の優先順位は逆であった。行政協定を可能にするための安保条約であり,安保条約を成立させるための平和条約であった。日本は,行政協定第2条で米国に対し必要な施設および区域の使用を許すことに合意し,第17条で米国軍人・軍属・その家族についての専属的裁判権を米国側に認めている。これは事実上の不平等条約といっても過言ではないが,こういった取り決めを国会での審議や批准を経ずに決めたのが行政協定であった。無論,行政的な取り決めのためには,国家レベルでの大枠の合意が必要である。そのために調印されたのが安保条約であった。しかし,安保条約は独立国家間での条約である。それを可能にするために結ばれたのが日本の独立を認める平和条約であった。

 孫崎 (2012) の分析をさらに続ければ,これらの米国の政策転換により,戦後の日本政治は,米国への協調を最優先とする米国追従路線と,米国との間に多少波風を立てても日本の国益を守るための主張をする自主路線との間での相克となった。他方,経済においては,占領軍による公職追放の対象となった大蔵官僚の数はわずか数名であったことに端的に示されているように,日本の経済官僚はうまく立ち回り,戦時期の国家総動員体制―「1940年体制」―をうまく温存して再編して石炭や鉄鉱などの基幹産業を再建した。(野口, 2019)

 日本は急速に工業力と経済力を高めたが,その一方で米国は戦争直後の覇権を徐々に失っていった。1970年代に米国は,基軸通貨の象徴である金本位制度を放棄し,日本に対しても日米繊維協定を結び,日本からの輸出攻勢に苦しむ姿をあらわにした。その後も1981 (S56) 年の日本車対米自主規制,1986 (S61) 年の日米半導体協定や通商301条など,米国は日本の工業的・経済的発展にいらだちを隠せない。そんな中で日米を含む先進5か国の蔵相と中央銀行総裁で電撃的に結ばれたのが1985 (S60) 年のプラザ合意であった。これにより米国は日本の輸出競争力を落とすことを狙った。だが詳述は割愛せざるを得ないがプラザ合意に伴う金融緩和も手伝って日本はバブル景気を享受するにいたった。

 日本の台頭について警告していたのが,ハーバード大学で東アジアを研究していたエズラ・ヴォーゲルの著書 Japan as No.1 (1979) であった(翻訳書も同年に刊行)。だが同時に彼は日本の国力が,自由主義諸国では見られない独自の組織力・政策・計画―野口の用語なら「1940年体制」―によるものであることを見抜いていた。ヴォーゲルは2004年の翻訳書復刻版で,同じくハーバード大学教授で駐日米国大使も長く務めたエド・ライシャワーが,同書を米国人には必携の書だが日本では禁書にすべきだと述べたことを明らかにしている。ライシャワーはこの本が日本人を傲慢にすることを恐れていた。だがその復刻版の帯で京セラ名誉会長の稲盛和夫は,「日本社会の卓越性と底力をつとに指摘した本書は,わが民族に希望と勇気を与える永遠のバイブルである」と語っている。このような認識に日本のうぬぼれを見ないわけにはいかない。

(2) 冷戦後の新自由主義・新帝国主義体制での国民の疲弊

 冷戦終了も米国は,ソ連に代わる軍事的脅威としてイラク・イラン・北朝鮮を「ならず者国家」として糾弾し,軍事力を維持した。同時に日本を米国の軍事戦略に組み込んで軍事負担を増やし,日本の経済発展を抑えようとした。(孫崎, 2012)2005年には日本の外務大臣・防衛庁長官と米国の国務長官・国防長官が「日米同盟:未来のための変革と再編」に署名した。これにより可能な軍事行動の対象は極東から世界に拡大し,その軍事行動の理念が国際連合重視から日米共通の戦略に変わった。だがこの変更は大きく報道されず,日本が政府レベルで米国に約束したことと国民の間に大きなギャップが生じ始めた。(孫崎, 2009)

 その間,世界レベルでは新自由主義による新たな経済競争が激化し,様相は新帝国主義的色彩を帯び始めた。(柄谷, 2023)経済的にも軍事的にも緊張が高まる中,発生したのが新保守主義である。新保守主義は,経済的自由以外の自由を批判する。さらには,国内外の危機を重視し,道徳と国家への忠誠を強調する。(ハーヴェイ, 2007) 

 その間の日本は,国民の実質賃金は低いままで,諸外国の賃金上昇と大きな違いを見せている。(内閣府, 2022)実質実効為替レートによるならば,日本円は1972年の変動相場制開始時よりも通貨価値が低い。(日本銀行, ND)バブル後の流行語となった「失われた10年」は,いまや「失われた30年」となった。寓話「ゆでガエル」のように国民の多くは少しずつ疲弊を重ねている。

 この経済的停滞の背後には,「1940年体制」の精神文化を超克できない日本があると野口 (2019) は分析する。彼は,バブル時期においても近年の円安容認政策時期においても共通しているのが,国の関与を強める1940年体制的発想だとしている。企業や社会の一人ひとりが個人として動き,その相互作用の中から新しい流れを生み出す文化が日本にはまだ不十分であるように思える。

 新自由主義と新帝国主義を補完するイデオロギーとして権力側に重宝される新保守主義も,日本に蔓延しているようだ。国や企業のために人が粗末にされることが当たり前になり,日本のあり方(=國體)に特別な意味をもたせようとする「戦前回帰」の傾向すら見られ始めた(山崎, 2018)

(3) 英語教育の変容と限界

 英語教育は,戦後直後は強い米国の影響下での民主化の時期を経験した。続いて,日本国独立後の文部省は,学習指導要領に「法的拘束力」があると主張して英語教育体制を維持した。だが1980年代に米国の対日圧力が高まると,中曽根総理直属の諮問機関としての臨時教育審議会が力をもち始め「官邸主導」の英語教育体制が始まった。JET(後のALT)プログラムも中曽根首相とレーガン大統領との会談で合意された。2000 (H12) 年に小渕首相の諮問機関「21世紀日本の構想」は,「長期的には英語を第2公用語とすることも視野に入ってくる」と大胆な提言をした。第2次安倍内閣の諮問機関「教育再生実行会議」はさらに権力を行使し,十分な議論も準備もなかった小学校英語教育の抜本的拡充や中学校での英語授業の実施を閣議決定で突如決めた。

 その流れで文部科学省は2017 (H29) 年に大学入学共通テストの英語に民間試験を活用することを決定した。だがテスト実施には数々の現実的問題があり,かつ,国民間の格差を助長するものであった。反対する市民の声は高まり,2年後に文部科学省は,事実上の断念をした。だがその後,東京都は数々の批判にもかかわらず高校入試に民間スピーキングテストを導入している。日本の英語教育に市民の声によるダイナミズムがもたらされたと楽観はできない。

 ますます官邸主導で改革された英語教育だが,現在の日本の若者は諸外国の中でもとりわけ留学への意欲に乏しく,留学者数も韓国以下である。(内閣府, 2022)国力の不足を痛感した明治の日本が取った方針は,謙虚に外国から学ぶことであったが,そのような気運を現代日本に感じることは難しい。


4 これからの日本の英語教育

 明治からの日本は,西洋諸国の帝国主義政策に対抗して自ら帝国となり,軍事的に暴走した。英語教育は,外国に対する偏見と自国に対する誇大妄想を排することができるはずだった。主語を明示し,身分関係を問わず相手を "you" と呼ぶ英語に習熟することは,自他を尊重する個人主義の普及にいたっても不思議ではなかった。

 戦後の日本は,自主路線の動きは時折あったにせよ,ほぼ米国追従の歴史であった。プラザ合意まで米国に許容された日本の経済的・工業的発展は,その後,米国主導の新自由主義・新帝国主義体制の中で力を失った。一部の大企業や富裕層を除いて「失われた30年」の疲弊を感じているのが現代である。その間,官邸主導の英語教育改革は繰り返されたが,それでも日本文化から「臣民」思想は払拭されず,人権は未だに十分に尊重されていないように思える。テストによる学習管理はますます進行中だが,その反面,明治初期のように積極的に外国から学ぼうとする気運はむしろ衰退している。

 英語教師はしばしば少数の優秀な学習者の英語力に目を細める。だが,国を造るのは国民一人ひとりである。すべての学習者に英語教育の成果が感じられてこそ公教育は成功する。これからの日本の英語教育は,すべての学習者に日本語以外の思考と表現の形式を経験させて心の働きを豊かにし,自由主義社会の共通基盤である個々の人間を大切にする人権思想を浸透させることができるだろうか。昨今登場し世間を動揺させているAIはその方向で活用されるのだろうか。それともAIは,新自由主義・新帝国主義の時代の新たな臣民づくりの強力な道具となるのだろうか。決めるのは私たちだ。    



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